星 周作 Blog

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宗教改革(その2・免罪符)

16世紀の頃のヨーロッパの人々は信仰心を高め真剣に救いを求めていました。

ただ、繰り返し起こったペストの大流行が、死が身分の区別なく訪れることを人々に感じさせていたのです。

いずれ訪れる死の先にある「煉獄」(れんごく)の教えに人々は恐怖していました。

生前に大罪を犯した者は地獄に行くことになるが、生前に小さな罪を犯した者は「煉獄」という場所で浄められた後天国に行くとカトリック教会は教えていたのです。

 

煉獄とは死後の世界に天国と地獄の他に第三の場所として設定された所を指し、この煉獄で厳しい試練の業火に耐えれば天国への道が開かれることになるというのです。

 

聖書に書かれているのは天国と地獄であり、第三の場所の煉獄などは書かれていません。

これはカトリック教会独自の教えです。

そもそも些細な小さな罪さえも全く犯さない人間などいるものではなく、当時の多くの人々は死後に自分が煉獄に行くことになる不安と恐怖を感じていたのです。

ところで当時免罪符(又は贖宥符(しょくゆうふ)、贖宥の文書)というものが販売されていて、免罪符を購入することで煉獄の苦しみが解消されると聞いた人々は群れをなして免罪符購入に走りました。

さらにカトリックローマ教皇レオ三世(在位1513年~21年)は、ローマのサン・ピエトロ大寺院の莫大な改築費用捻出のために大々的に免罪符販売を行うことにしたのです。

そして、免罪符販売を引き受けたのがドミニコ会修道士ヨハネス・テッツェル(1465年~1519年)でした。

テッツェルは免罪符を購入した金貨が免罪符箱に落ちてチャリンとなると魂は天国に昇って救われると言いながら販売しました。


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金銭を出しさえすれば救われると聞いて人々は喜んで免罪符購入をしたのです。

こうした行為に宗教的危機を見て取ったのがマルティン・ルター(1483年~1546年)だったのです。

当時聖書研究に没頭していたルターは、新約聖書のローマ人への手紙3章28節の「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」という真理を再発見し、「人はただ信仰のみによって義とされ(これを「信仰義認論」という)、その信仰のよりどころは聖書以外にない(これを「聖書主義」という)」という信仰原理をルターは確信するに至るのです。

簡単に言えば、新しい教えでも何でもなく聖書に予め書かれている真理をルター自身はもちろんカトリックも見落としていたわけで、そういう意味でルターは再発見したわけです。

免罪符を金銭で購入すれば天国の切符を手に入れることができるとする教えは、ルターが確信した「人はただ信仰のみによって義とされる」とする信仰義認からすれば、決して無視することのできない宗教的危機を強く感じるものだったのです。

信仰によって救われる(義とされる)という聖書の真理に反する金銭で免罪符を購入すれば救われるというテッツェルの免罪符販売を批判する「95箇条の命題」を書き、これを1517年10月31日にヴィッテンベルクの城教会の扉に「95箇条の命題」を貼り出したことによって宗教改革が動き出すことになります。

「95箇条の命題」(提題ともいう)の中の「命題27」及び「命題32」をご覧ください。

<命題27>

「箱の中へ投げ入れられた金がチャリンと鳴るや否や、魂が煉獄から飛び上がると言う人たちは、(神の教えではなく)人間的な教えを宣べ伝えているのである。」

<命題32>

「贖宥の文書(免罪符)で自分たちの救いが確かであるとみずから信ずる人たちは、その教師たちとともに永遠の罪に定められるであろう。」

このようにルターは免罪符販売を痛烈に批判したのでした。

本日は、ここまでです。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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