ののしられても、ののしり返さず・・
新約聖書ペテロへの手紙第一2:22~24
ののしられても、ののしり返さなかった、苦しめられても、おどすこともしなかったイエス・キリスト、一度も罪を犯すことがなかったイエス・キリストが、「何故」十字架に処せられなければならなかったのでしょうか。
「何故」イエス・キリストの十字架がわたしたち人間の罪の贖い(あがない)になるのでしょうか。
この大いなる疑問が、私の聖書探究の一つであったような気がします。
この疑問が解き明かされた時に、私の目が開かれ、そして、現在に至っているような気がします。
盲目的に信じるのではなく、誰かから(〇〇教の教祖など)のマインドコントロールによるのではなく、あなた自身の真理を知りたいという欲求の発露により、聖書を学び探究して、答えを見いだしていただきたいと思います。
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「○○神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆