心が貧しい人って、どんな人?
先生・先生と呼ばれてふんぞり返る政治家、社長・社長と呼ばれてふんぞり返る人、分不相応のお金を持って他人(ヒト)を見下す人、分不相応の地位を得て他人(ヒト)を見下す人、こういう人を見るとイエス・キリストの「山上の垂訓」(新約聖書・マタイによる福音書5章)の一節を思い出します。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである」
はじめてこの言葉を目にしたとき、「バカ言ってんじゃねえ 、何が、心が貧しいのが幸いなんだよ。ちゃんちゃらおかしい」 と独り毒突いたものです。
一般的には、「心貧しい」とは、心が狭い、心が卑しいと言うような意味なのでしょうが、イエス・キリストが山上の垂訓で言っている「こころの貧しいひと」とは、何事にも謙虚な人や地位があるとか財産があるというだけで誇り高ぶらない人のことをさすのでしょう。
聖書は口語訳よりも文語訳に味わいがありますが、特にこの「山上の垂訓」の文語訳に味わい深さを感じます。
口語訳「山上の垂訓」
文語訳「山上の垂訓」
この中に次の文章があります。
「イエスの一番嫌いなのは、自分を正しいと思っている人間たちであった。心の中で、いつも、『自分も大したものだ。学はある。金はある。そして、人に尊敬されている』と数え上げては誇っている人間たちである。イエスは誇ることのできない人たちには、限りなく愛を注ぐが、誇り高ぶる人間には、容赦のないきびしさを持って迫った」
私も反省と自戒をこめて「山上の垂訓」を読みたいと思います。
★私は、創造主である唯一神の存在を確信し、イエスを救い主(キリスト)と認める者ですが、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません。宜しくお願いします。★
・・・星周作(ハンドルネーム)(本名:馬場忠博)・・・
「世界が偶然できたというのはナンセンス「神が存在すると信ずるのは筋が通っている」・・・2014年3月米ローリングストーン誌のインタビューに答えて