伊達者、馬上少年過ぐ、伊達政宗
伊達者と言えば、もちろん本家本元・伊達政宗!
伊達者、「だてしゃ」又は「だてもの」を辞書でひくと、粋でおしゃれな人、しゃれた身なりの人、ダンディなど。
政宗の身にまとった衣装はどれも伊達者と賞賛されるに十分な斬新なデザインと色調を備えています。
写真は、政宗所有とされる陣羽織ですが、紫の地に大小の赤・青・緑・黄・白の五色のカラフルな水玉模様を散らしている。
背には大きく伊達家の家紋である竹雀紋(たけすずめもん)を金糸で刺繍している。
<伊達者の語源>
1592(文禄元)年3月、政宗は、朝鮮出兵のための前線基地である肥前名護屋(佐賀県唐津市)へ向かう為、3000の兵を率いて京の聚楽第を出発した。
ところがこの隊列を見て京の人々は驚いた。
伊達軍の軍装があまりにも見事だったのだ。
一番隊は六緞(むりょう)の襦袢をまとい、具足の前後には金の星という出で立ちで濃い紫の地に金の日の丸をあしらった幟(のぼり)30本を掲げていた。
続く鉄砲隊・弓隊・槍隊の足軽は全員朱塗りの太刀に銀箔の脇差、頭には金色のとんがり笠、騎馬揃えの五番隊は総勢30騎、いずれも黒鎧で兜には金に輝く半月の前立がついていた。
京の人々は「さすがは伊達」と喝采を浴びせ、以後、派手で粋な者を「伊達者」と呼ぶようになったそうです。
「馬上少年過ぐ」
政宗の有名な詩の第一句。
司馬遼太郎著「馬上少年過ぐ」の最初のページを写真引用します。
<現代語訳>
馬に乗って戦場を駆け抜け戦った青春の日々は遠く過ぎ去ったが今や天下泰平。
自分の髪もすっかり白くなった。
天から与えられた余生、これを楽しまないでどうするのだ。
「物事、小事より大事は発するものなり」
政宗が残した人生訓の一つ。
この後に「油断すべからず」と続き、大きな事件は些細なことから起きるものだから、日頃から注意を怠ってはならないとの意味。
★タバコは27歳頃に止めました。焼酎、ウィスキーを毎日飲んでいましたが、30歳頃にビール以外は飲まなくなり、今は、梅酒をちょっとだけ飲んでいます。趣味は、主に海外ミステリー、時代小説を読むこと。江戸川乱歩ファンで江戸時代の風俗、レトロなものをみることが好きです。たまに散歩とスイミングをしています。93㎏、183㎝、ヒゲおやじです。宜しくお願いします★
・・・星周作(1956年生まれ)・・・