地球及び人類が誕生したのはいつ?
聖書には創造主である神が6日間で天地万物を創造されたと記していますが(創世記1章)、聖書に書かれているアダムの生きた年齢(930年)やアダムの子孫の生きた年齢(ノア・950年、アブラハム175年など)から逆算すると、地球を含む天地万物が創造された時期は、紀元前4000年頃と推定されます。
因みに、アダムの誕生を、万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンが聖書を基に算定した年は紀元前4004年、宗教改革者マルティン・ルターは紀元前3961年としています。
以上のことから、聖書に書かれていることを事実と捉えている人たちは地球年齢を現在の2019年から遡ること約6000年前だと考えているのです(私もその中の一人です)。
しかし、ここで重大な疑問が生じてきます。
それは「もし創造主(神)が天地万物を今から6000年程前に創造したのなら、なぜ星は数万光年や数百光年も離れたところに存在するのか?」という疑問です。
この疑問に答える前に「光年」とは何なのかを確認しておきたいと思います。
光年とは天文学で用いられる距離(長さ)の単位です(ウィキペディア)。
時間の経過の測定単位ではないのです。
つまり、夜空に輝く遠くの星が数百万光年離れていると語られる際、その星の輝きが地球に届くまでに数百万年かかったという時間の経過を意味しているのではなく、そのくらい離れた距離のところにあるということを意味しているのです。
ここで、不思議なことが書かれている3つの聖書箇所を引用します。
・ヨブ記9:8
・イザヤ書42:5
・イザヤ書44:24
何故この箇所を書いた人物は「天を延べ広げ」と書いたのでしょうか。
現代人の私たちは天体望遠鏡や人工衛星などの存在によって天(宇宙)が果てしなく広大なことを知ることが出来ています。
しかし、現代人と異なり古代の人は狭い範囲しか確認できない肉眼で空を観察した際に、どうして広大な天(宇宙)を連想するような「天を延べ広げ」などという表現ができたのでしょうか。
「天を延べ広げ」などという表現は、神の啓示なくして、人間の知恵だけで書けるようなものではないと私は考えています。
「天を延べ広げ」という表現に、夜空に輝く遠くの星が数百万光年も離れている秘密が隠されているように、私には思えてなりません。
創世記1章1節に「はじめに神が天と地を創造された。」と書かれています。
今から約6000年前に、天を神が創造された際に、まさに神は「天を延べ広げ」たのです。
延べ広げた結果、星々が天の遥か遠くの場所に存在するようになったのです。
以上が私の出した結論です。
皆さんはどのように考えられますか。
<追記>
鍾乳洞で観察される大きな鍾乳石が出来るには数十万年、数百万年の長い歳月が必要であると言われています。
一般に鍾乳石の成長率は1000年でわずか0.1~10㎝であると言われています。
このことから、地球が誕生したのは6000年前などではないと否定する人たちもたくさんいます。
しかし、本当に鍾乳石ができるのに数十万年、数百万年も必要とするのでしょうか。
シベリアで出来た鍾乳石の断面を分析すると1年で1㎝以上の成長を見せているのもあるそうです(詳細は省略)。
つまり、鍾乳石は短期間で出来るようです。
数十万年、数百万年の長い歳月をかけ鍾乳石が出来たのではなく、約6000年前に地球が誕生してから鍾乳石が徐々に成長して現在のような大きさの鍾乳石を全国各地の鍾乳洞で見ることができるのではないでしょうか。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。