人生の賭け
神の存在を信じない無神論者の男性が、熱心なキリスト教徒の高齢の女性に次のような質問をしたそうです。
・無神論者の男性
「もし、あなたの信じている聖書に書かれている天国や永遠のいのちが本当は作り話で、でっち上げだったらどうしますか?」
・キリスト教徒の女性
「わたしは、ぜんぜん平気よ。だって、神の存在や聖書を信じていないあなたと同じようになるだけですもの。
でもね、あなた、私が信じている通り聖書に書いていることが真実であれば、神を信じない、そして、イエス・キリストを信じないあなたは、神に裁かれることになるのよ。それでもいいの?」
聖書を信じている人(クリスチャン)にとって、その聖書が作り話、でっち上げの書物であったとしても、聖書を信じていない人と同じになるだけのことであり、聖書を信じたことによるリスク、損失はありません。
しかし、聖書に書かれていることが真実であれば(もちろん、真実ですが)、聖書を、神を、イエス・キリストを信じなかったことによるリスク(神に裁かれる)、損失は計り知れないものとなります。
医師でもあるプロテスタントの折田泰彦牧師の著書「天声塵語」より一部引用します。
「パスカルの原理で知られ、哲学者でもあったブレーズ・パスカルは、その著書『パンセ』の中で友人に問います。
『神がいるか、いないか、君はどちらに賭ける?』と。
『いや、どちらかを選べということ自体が間違っている。正しいのは賭けないことだ。』
『そうかもしれない。しかし、賭けなければならない。君はすでに船に乗り込んでいるのだから。すでにこの世に生きている以上、この勝負から降りることはできないのだ。賭けないこと自体が、結果的に一つの選択となるからだ。
賭け金は自分の人生なんだ。【神はいる】というほうに賭けたとしよう。勝てば君は永遠の命と無限に続く喜びを得ることになる。今の人生も意味のあるものになるだろう。賭けに負けた(神はいない)としても、失うものは何もない。
逆に【神はいない】というほうに賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝った(神はいない)としても、君の賭けはこの世の幸福だけだ。死後は無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けた(神がいる)時には、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるから。』
さあ、あなたはどちらに賭けられますか?」
本名「馬場忠博」で投稿しているフェイスブックも宜しければご覧ください。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。