星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

矢内原忠雄と内村鑑三

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矢内原忠雄(1893年~1961年)は、旧制第一高等学校在学中に無教会主義の内村鑑三が主催していた聖書研究会に入門し、聖書の真理を探究したキリスト者です。

 

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1951年から1957年までの2期6年間、東京大学の総長を務めました。

 

総長在職中の1952年に、学生劇団「ポポロ」公演にて摘発された私服警官のメモから警察による系統的な学内スパイ活動が露見し、東大側と警察が前面対決しましたが(東大ポポロ事件)、矢内原は総長として大学の自治と学問の自由を守るために毅然とした態度を取ったのです。

東大ポポロ事件は、日本において大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件であり、日本国憲法第23条に保障する学問の自由及びそこに含まれる大学の自治が問題となった事件として、法学部の学生や司法試験、司法書士試験、行政書士試験などの法律系の資格試験に挑む人たちが憲法を学ぶ際にテキストで必ず目にすることになる事件です。

 

矢内原忠雄は学者として数多くの書物を著わし、そして、聖書研究者としても数多くの聖書及びキリスト教関係の書物を著わしています。

 

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数ある書物の中の一つ「内村鑑三とともに」の冒頭の「序にかえて・内村鑑三先生と私」を以下引用します。

「私は先輩や友人の多くと異なり、内村先生の内弟子であったことはない。すなわち、先生の雑誌の編集・校正・執筆等で先生をお援けしたことは一度もなく、講壇の『前座』をつとめたこともなく、先生から協力を命じられたことはない。私の処女作である『基督者の信仰』を聖書之研究社から出版してくださったのは異例の御好意であるが、それさえ内弟子的な関係とは異なる。私は一度も先生の家庭で食事を頂いたことはなく、先生の家の名物と言われた萩の餅を味わったこともない。私は意識的に先生から距離を置いて仰いでいた。それは私の性質にもよるが、また先生の仕事を煩わさないようにという遠慮から出たことでもあった。

こういうわけであるから、私は肉によって先生を知ることははなはだ少く、ただ畏れをもって先生から聖書の真理を学んだに過ぎない。そしてそのことは私にとって非常に益であった。私は先生の人柄につまずいたことは一度もなく、先生に対して批評的になったこともない。私は先生から聖書の真理と、それによって世に処する信仰的生活態度を学んだのであって、先生を学んだのではなく、先生の知識を蓄えたのでもない。

世には私をも先生の『高弟』の中に数える人がある。先生は先生の十二使徒を選ぶようなことはしなかったが、仮にそのようなことがあったとしても、私はその圏外にいた者である。実際において、先生は何人をも自己の高弟とせず、またどの弟子も先生の高弟をもって任じた者はいない。高弟意識のごときは先生とその無教会主義からは最も遠いものである。

一方ではまた、私のごときは内村鑑三の正統をつぐ弟子でない、と批評する人があるとのことである。正統の弟子とはどういう者を指すか知らないが、そういう思想自体が内村鑑三とその無教会主義にとっては異質的であろう。内村鑑三はその後継者をのこさず、その正統をつぐ者をあらかじめ定めておかなかった。われわれは内村鑑三の相続人ではなく、彼から教義も財産も弟子も何ものも継承しない。われわれは彼から教えられた聖書を、われわれ自身の霊性と知性によって学び、これをわれわれ自身の言葉によって人に伝える。われわれは彼から学んだものがあるとすれば、この何ものにもとらわれず、内村鑑三によってさえとらわれないところの、聖霊による自由な信仰的態度であると言えよう。

今や日本において内村ブームの兆候がある。無教会側だけでなく、教会側においても彼をかつぎ、あるいは全集を出版し、あるいは記念碑を建てる。内村の名義とその肖像写真と、欲しければみんな呉れてやる。われわれは内村の信じたイエスの福音をわれわれ自身の信仰として信じ、内村の戦った福音のための戦いを、われわれ自身の戦いとして戦うのみである。

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本日はここまでです。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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