汝の敵を愛せよ
聖書を読んだことがない人でも「汝の敵を愛せよ」と言う言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
プロテスタントのクリスチャン作家の三浦綾子さんが書いた「氷点」では、この「汝の敵を愛せよ」という言葉と人間の原罪をテーマにした小説で朝日新聞に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載されて話題となり、その後出版もされ、幾度もテレビ化や映画化もされました。
(文庫本の裏表紙の紹介文)
イエス・キリストが弟子たちに語った言葉ですが、聖書には次のように書かれています。
マタイの福音書5:44
『はい、そうします。』と言ってすぐ実行出来るような人がいるでしょうか。
ほとんどの人は「そんなこと私には出来ません」と思うことでしょう。
キリスト者(クリスチャン)になれば、すぐ出来るというものでもないでしょう(と私は思います)。
生身の人間には到底不可能なことです。
創造主(神)及びイエス・キリストが遣わしてくださる「助け主(パラクレートス)」すなわち「聖霊」の助けがなければ、「自分の敵を愛する」ことなど出来ません。
使徒パウロは、「聖霊」を受けつづけることによって、人間の中に「愛」が成長することを教えています。
コロサイ人への手紙1:8をご覧ください。
御霊(みたま)とは聖霊のことであり、愛に不完全な人間が聖霊によって人間の中に愛を芽生えさせ成長させてくれるのです。
ガラテヤ人への手紙5:22をご覧ください。
御霊(聖霊)の助けによって人間に「愛」「喜び」「平安」「寛容」「親切」「善意」「誠実」「柔和」「自制」という9つの「御霊(聖霊)の実」が育ってくるのです。
結局、「自分の敵を愛する」などということは人間業(わざ)では不可能であり、「聖霊」の助けが必要なのです。
私は愛に欠ける出来そこないで劣等生のキリスト者です。
正直「自分の敵を愛する」境地には全く達していません。
ただただ、主イエス・キリストに赦しを願い、そして、「聖霊」の助けをいただくことを求めて祈るだけです。
ここで、あるクリスチャンではないA氏とクリスチャンのB氏との会話を紹介します。
A氏:「よくもまあ、お前みたいな悪いことばかりしてきたヒドイ奴がクリスチャンになれたもんだ」
B氏:「ヒドイ人間だったからこそ神(創造主)に赦しを求め悔い改めてクリスチャンになる必要があったんだ。もし、クリスチャンになっていなかったら、もっとヒドイ人間になっていたよ。クリスチャンになったから少しはまともな人間になれているのかもしれない。」
「この世界における核爆弾の存在は国家間に恐怖と不信を引き起こしています。それは、この世界の中で神のすばらしい存在である人間の命を破壊してしまうもうひとつの手段です。一体どうやって平和は打ち立てられるのでしょうか?私たちが愛し合う以外にはないのです。権力やお金のために戦っている強欲な人たちは、愛を知らないのです。ただ愛だけが家庭に、社会に、そしてこの世界に平和をもたらすことができるのです。」
今更、愛に欠ける私が言うことでもないのですが、全人類に「愛」が満ち溢れれば全世界は平和になることでしょう。
しかし、創造主(神)から遣わされた「聖霊」が人間に注がれることなしには人間の中で「愛」が成長することはないのだということは、上記の使徒パウロが語りました。
天地万物の創造主である真の神に背を向けたままでは、罪深き人間の努力だけで「愛」を実現することは不可能です。
一人でも多くの方一日でも早く聖書を学び、主イエス・キリストを信じることによって、助け主である「聖霊」が注がれることを願っています。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。