カトリックとプロテスタントの違い(その4・最終回)
基本的に信徒個人の信仰にまかせているプロテスタントとは異なり、ローマ・カトリックは神のもたらす救いの仲介者として教会に大きな権威を認めるのが特色です。
イエス・キリストの十字架上の血による罪の贖い(あがない)、つまり贖罪(しょくざい)がもたらす恩恵を欲するには、ローマ・カトリックの信徒は教会が定めた救済の手段、すなわち秘跡(サクラメント)にあずからなければならない。
秘跡(サクラメント)という言葉の意味は、目に見える儀式(水を注ぐなど)である「跡」で、目に見えない恵みの「秘」が授けられるということです。
なお、ローマ・カトリックでは「洗礼」「堅信」「聖体」「ゆるし」「病者の塗油」「叙階」「婚姻」の七つを秘跡(サクラメント)としています。
この七つの秘跡(サクラメント)について一つ一つ説明しようとすると長文になってしまうので、詳細をお知りになりたい方は、下記のサイト(ウィキペディア)をご覧ください。
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秘跡(サクラメント)の一つ「洗礼」だけ簡単に説明しておきます。
「洗礼」は、それを授ける人(神父など)が、受ける人の額に水を注ぎながら「〇〇さん、私は父と子と聖霊とのみ名によってあなたに洗礼を授けます」と唱えることによって行われます(カトリックの場合)。
創造主(神)の存在やイエス・キリストの存在を理解していない、つまり、聖書に書かれていることを理解していない段階の「幼児洗礼」がローマ・カトリックでは行われています。
「幼児洗礼」は両親の信仰に基づいて受ける洗礼ですが、幼児が洗礼を受けたことを明示する聖書の記述はありません。
「幼児洗礼」は5世紀頃から行われるようになったのですが、当時は幼児の死亡率が高く、洗礼を受けずに死ぬと「救いの恵み」を受けることができないとの理由から行われるようになったのではと考えられています。
しかし実際は紀元60年代にすでに行われたいたとする見解もあります。
なお、一部の教派のプロテスタントも「幼児洗礼」をしています。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。