星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

宗教改革(その6・最終回)

人間が「救われる」ためには、善行をしたり、徳を積んだり、滝行をしたり、千日回峰行をしたり、お百度参りをしたり、日本国で定められている法律のすべてを守ればよいのでしょうか。

つまり、何らかの外形的な行為をすれば「救われる」のでしょうか。

すでに当ブログでも確認したようにカトリック教会が発行していた「免罪符」を購入するという行為をすれば「救われて」天国に行くことができるなどと現代社会では誰も信じることはないでしょう。

マルティン・ルターが再発見した真理の基となる新約聖書・ローマ人への手紙3:28をもう一度見てみたいと思います。

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人が救われるためには、法律(律法)を完璧に遵守したり、善行などの行いによるのではなく、主イエス・キリストを信じる信仰が全てなのです。

続いて新約聖書・エペソ人への手紙2:8~9をご覧ください。

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この聖書箇所は聖書が教える創造主(神)と人間との関わりの中で最も重要なところです。

聖書に啓示する創造主(神)および主イエス・キリストに背を向けた状態のままで信じる信仰がなければ、いくら数多くの善行をしようが、偽りの神にお百度参りしようが、救われることはないのです。

人間が何かしらの行為をしたことへの対価として「救われる」のではなく、「信仰」と神からの「恵み」によって「救われる」のです。

もう一度書きます。

聖書は「救いは神の恵みのゆえに、ただ信仰によるのであり、行いによって救われるのではない」と教えています。

何故、善行などの「行い」をしても救われることにならないのか、上記のエペソ人への手紙2:9に書かれているように行いをしたことを「だれも誇ることのないため」なのです。

聖書に啓示された創造主(神)は人間の「誇り、高ぶり、おごる心」を嫌います。

旧約聖書箴言21:4をご覧ください。

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ビジネスの才能を誇る、知的能力を誇る、美貌を誇る、運動能力を誇るなど、いずれも人間を創造された創造主(神)が授けた賜物によるのであって、何一つ人間に誇るものなどありはしないのです。

善行をすることも、善行をすることができる能力を授けたのも創造主(神)の賜物だからです。

 

話の次元が違うのを承知で、次のことを考えていただければ「救いが、人間の行いではなく、神の恵みと信仰による」ということもある程度は理解していただけるのではないでしょうか。

例えば、皆さんの目の前に二人の青年がいると仮定します。

一人は皆さんの子供でも何でもない他人ですが何の欠点もない品行方正で隣人にも親切な善い行いをする青年です。

もう一人の青年は過去から現在まで繰り返し過ちを犯して親兄弟に迷惑をかけ家出をして遊び歩いていた皆さんの息子が心の底から反省してボロボロになって家に戻って来たのだとします。

どちらの青年が皆さんは愛おしいですか?

品行方正で隣人に善行をする青年が愛おしいですか。

答えは明らかですね。

親である自分の元に戻って来た息子が愛おしいに決まっています。

いくら品行方正で善行をしていても偽りの神を崇拝(偶像崇拝)している人間よりも、聖書に啓示されている父なる神は、父なる神に背を向けている人間が悔い改めて天地万物の創造主の存在を認め、信じてご自分のもとに帰ってくることを願っているのです(新約聖書ルカの福音書15:11~32の放蕩息子のたとえ話をアレンジ)。

 

聖書の教えを理解するためには、天地万物が偶然に存在するようになったのではなく、つまり、進化などでは絶対なく、目に見える物はもちろん目に見えない物も、ありとあらゆる全てのものである天地万物を創造された創造主(神)が間違いなく存在することを明確に認識し、そして、信じることが何よりも必要なのです。

天地万物の創造主(神)の存在を明確に信じることができれば、聖書の難解な箇所も自ずと理解できるようになるはずです。

逆に天地万物の創造主(神)の存在を明確に信じることができなければ、聖書に書かれている内容が理解出来ず当然心の琴線に触れることもなく、聖書が神話・作り話あるいは単なる道徳書に過ぎないものとなってしまいます。

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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