彼の言うことを聞きなさい
「柿の葉っぱのお盆」が7割程彫り進みました。
今、葉脈と葉脈の間にU字形の凹窪みを彫って葉に表情が出るようにしています。
材料の木は「樟(クスノキ)」ですが、彫るたびに樟特有の香りがして、教室に居ながらにして森林浴をしているようです(先生の言葉)。
木彫教室は月3回で朝10時から14時の4時間です。
昼食はすぐ近くにスーパーがあるので、パンやおにぎりを買って食べています。
本来14時で終わりなのですが、先生の好意で16時まで自習ができます。自習と言いながらも、実際は先生が指導してくれています。
木彫をしていると16時までの6時間が短く感じられます。
先生は「私の技術と知っていることをすべて教えるつもり」だと言ってくださっています。
ですから、私の持っている木彫の本や図書館から借りた本のどこにも書かれていないことを実際教えてくださっています。
教室には1年間程度通うことを考えていたのですが、先生は人柄も良く指導も懇切丁寧なので、もっと長くこの先生の教室に通うことになりそうです。
何年先になるか分かりませんが、ほんの少しでも先生の技(わざ)に近づけるようコツコツと継続していきたいと思っています。
さて、本日のテーマに入ります。
前回のブログでも書いたイギリスのキリスト者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)は、ある時イザヤ書45:22に触れて、肉の人(旧い自分)から神の子として生まれ変わりました(ボーン・アゲイン)。
イザヤ書45:22をご覧ください。
日本では、「交通安全の神」「安産の神」「学問の神」など様々な(偶像)神がいます。
しかし、聖書に啓示された神以外に神は存在しないことを心に銘記すべきです。
そして、この唯一の神が、人間の罪の贖い主として主イエス・キリストを地上に遣わしてくださいました。
イエス・キリストが弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登っている時に天から声がありました。
マタイの福音書17:5をご覧ください。
この聖句にあるように、唯一の神は「彼(イエス)の言うことを聞きなさい。」と命じられました。
ですから私たち人間は、歴史上の人物、賢人?と巷でもてはやされている人物、ビジネスで成功した人物などの(これらの人物の言葉も重要ですが)どんなに優れた人間の言葉よりも最優先でイエスのことばを聞かなければなりません。
さらに、ペテロの手紙第二1:20~21に記されているように、神が語ったことばが書かれている聖書を最優先で学ばなければならないのではないでしょうか。
ペテロの手紙第二1:20~21
そして、主イエス・キリストが私たち人間から真理の目を開いてくださり、そして、永遠のいのちに導いてくれるのです。
永遠の時からすれば人間の一生など一瞬の時に過ぎません。
そういう意味では、地球の70数億全ての人間の死が真近に迫っていると言えなくもありません。
しかし、この一瞬の時の間に人間は、病に苦しみ、貧困に苦しみ、戦争や災害によって近親者を亡くすなど、様々な苦難に絶え間なく遭遇します。
主イエス・キリストに信仰を持つキリスト者にとって「死」とは何でしょうか。
キリスト者にとって「肉体の死」は、必ずしも悲劇ではなく、短い一生の人間の様々な苦難からの解放であり、キング・オブ・キングス(王の中の王)の主イエス・キリストが統治する神の御国での永遠のいのちに至る、栄光への移行という祝福なのです。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。