アブラハム契約(最終回)
(その③)の続き。
本日のテーマに入る前に次のことをもう一度確認して置きたいと思います。
聖書を学び始めてしばらくユダヤ人は全てユダヤ教徒だと考えていた時期がありますが、当然これは大間違いであって、イエスの弟子のマタイ、ペテロ、ヨハネなどの12使徒やパウロがそもそもユダヤ人であり、そしてユダヤ教から改宗してキリスト者になったメシアニック・ジューと呼ばれる人たちが増えているわけですから、ユダヤ人がすべてユダヤ教徒などと考えていたことは勘違いも甚だしいものでした。
つまり、ユダヤ人の中には、イエスを救い主(メシア)と信じていない人たちと、信じている人たちがいるということです。
次の聖書箇所をご覧ください。
マタイの福音書23:37~39
詩篇118:26
マタイの福音書23章はイエスが弟子、ユダヤ人群衆、偽善の律法学者、パリサイ人に語っている箇所ですが、39節の「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」は詩篇118:26からの引用であり、「主の御名によって来られる方」とは救い主(メシア)のことを指しているのですが、ユダヤ人の多くがイエスを救い主(メシア)と認める時が来れば、イエスが再度地上に現われて見ることができるようになると言っているのです。
つまり、十字架にかけられて死んだキリストが3日後に復活して、その後天に昇っているキリストが地上に再臨してはじめて神の国(千年王国)が実現するのです。
キリストの地上再臨によって神の王国が実現される条件は、ユダヤ人がキリストを救い主(メシア)と認めて「祝福あれ、主の御名によって来られる方」と祈る時なのです。
キリストの地上再臨の前には人類が一度も経験したことのない7年間の患難期があり、この患難期の前に携挙(けいきょ・空中再臨)があります。
続いて前回見ていただいた出エジプト記19:6を再度ご覧ください。
イスラエル人ないしユダヤ人は「祭司の王国」として人類全体の代表者として、つまり創造主(神)と人間を結び付ける役割の仲介者であるのですが、パウロはローマ人への手紙の中でイスラエル人について次のように書いています。
ローマ人への手紙11:11
イスラエル人ないしユダヤ人が「つまづいた」とは、イエスを救い主(メシア)と認めることが出来ず十字架にかけてしまったことなのですが、このことがかえって異邦人に主イエス・キリストの福音が宣べ伝えられることになり、異邦人が救いにあずかることができる道が開かれたのです。
そして、救われた異邦人を見てイスラエル人に「ねたみ」のこころが芽生え羨ましくなり、イエスを救い主(メシア)と信じていない人たちもイエスを救い主(メシア)として受け入れる時が来るとパウロは語っているのです。
冒頭で引用したマタイの福音書23:39「『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とあなた方が言う・・・」とイエスが語ったように、今現在ユダヤ教から改宗してキリスト教徒になり、まさに『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』と祈るユダヤ人(メシアニック・ジュー)が増えつつあるのです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。