メシア預言(最終回)
前回からイザヤ書53章を検討していますが、イギリスのキリスト者(牧師)のフレデリック・ブロザートン・マイヤー(1847年~1929年)はイザヤ書53章について次のように語っています。
「イザヤ書のみか、旧約聖書中でも最も偉大な章というべきは、この章です。私たちは年とともに、この預言に従って、私たちの罪を背負われた救い主イエス・キリストのお姿を思って涙を覚えるのです。老使徒ペテロは彼なりのイザヤ書53章を、その第一の手紙に書き残しました。『キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです』と(ペテロの手紙第一2:22~25)。牛は飼い主を、ロバは主人の小屋を、犬や猫もその家を知っています。愚かな羊たちよ、唯一の牧者に帰れ。」
前回はイザヤ書53章の6節まで見ましたので、本日は残りの節を見ていきたいと思います。
イザヤ書53:7~9をご覧ください。
7節では、メシアはほふり場に引かれて行く羊のように黙って口を開かず、毛を刈られる雌羊のように黙って口を開かずとイザヤは預言しているのですが、これは、イエスがユダヤ人の裁判とローマ人の裁判の両方で示した態度と一致します。
マタイの福音書27:12~14をご覧ください。
8節では「彼(メシア)がわたし(神)の民のそむきの罪のために打たれ」と預言されているように、メシアは自分の犯した罪で裁かれるのではなく神の民が神に背いた罪のために処刑されたのです。
処刑されるメシアは9節に記されているように悪者どもとともに墓に葬られるのですが「彼は富む者とともに葬られた。」とあるように実際にイエスは富む人のアリマタヤのヨセフの墓に葬られたとマタイの福音書27:57~60に記されています。
マタイの福音書27:57~60をご覧ください。
続いてイザヤ書53章の残りの3節をご覧ください。
イザヤ書53:10~12
この最後の3節こそ驚きの内容が書かれている箇所です。
まさにフレデリック・ブロザートン・マイヤーが語ったようにイザヤ書53章が「旧約聖書中でも最も偉大な章」と言われる所以なのです。
10節で「彼を砕いて、痛めることは主の意図することではなかった。」と記されていれば、聖書が人間の知恵で書かれた創作だと言えるかもしれませんが、「彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。」と驚きのことが記されているのです。
前回も書きましたが、神の奥深い知恵でなければ到底書くことができない内容なのではないでしょうか。
メシアが初めて地上に現れる(初臨)のはスーパーマンのように偉大な力を存分に振るって人間の現実の苦難から解放するのではなく、10節から12節に記されているように人間の罪過のいけにえとして、人間の咎をメシアが担って、メシア自身のいのちを死に明け渡すために地上に現れるのです。そして神に背いた人間たちのために天において今この時もとりなしをしてくださっているのです。
イザヤ書53章はメシア預言でありますが、メシアの受難を記した箇所でもあるのです。
使徒の働き3:18~21をご覧ください。
最後に過去ブログでも取り上げた聖書箇所であるピリピ人への手紙2:6~8をご覧ください。
今回取り上げたテーマ「メシア預言」は主に初臨について触れました。
メシアの再臨については別の機会に書きたいと思います。
当ブログは聖書を学び始めたばかりの初学者を念頭に聖書のエッセンスを書かせていただいています。
今回取り上げたメシア預言が、読者の皆さんのこれからの聖書研究の一助になれば幸いです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。