メシア預言(その④)
(その③)の続き。
今回はメシア預言の中でも特に有名なイザヤ書53章を見ていきたいと思います。
何故有名なのか、それは、イザヤ書53章がメシア(キリスト)の生涯を明確に預言している箇所だからなのです。
まず、1節から3節をご覧ください。
1節冒頭の「私たち」とは、預言者イザヤと彼と通して神のメッセージを聞いた人々を指します(新改訳聖書・注解書より)。
この1節を新約聖書のヨハネの福音書12:37~38では次のように引用しています。
私たちのイメージするイエス・キリストの姿はどういうものでしょうか。
今風に言うとイケメンだったのでしょうか。
2節では「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」と記されているようにイケメンではなかったようです。
メシアニック・ジュー(キリスト者)のアーノルド・フルクテンバウムは次のように書いています。
「初臨時のイエスには、人の目を引く要素は何もなかった。出自もごくふつうで、いやむしろかなり貧しい家に生まれた。それだけでなく、容姿の面でもイエスには人を引きつけるようなものはなかった。この点で、一般に描かれるようなイエスの肖像画は事実に反している。イエスはユダヤ人で、ユダヤ人のひげをたくわえ、目は黒く、背もそれほど高くなかっただろう。この節によると、特にハンサムというわけでもなかったことがわかる。」
メシア(キリスト)はイケメンではなかったというだけでなく、人々からのけ者にされ、人が顔をそむけるほどさげすまれたのです(3節)。
イエスは公生涯の終わりに人々から「十字架につけろ」と叫ばれ、ムチ打たれ、つばきをかけられもしました。
聖書を学ぶ前までの私は、イエス・キリストを無視した生活をし、イエス・キリストを信じて天国と永遠の命を信じているクリスチャンを半ば馬鹿にしたような見方をしていましたが、今では痛切に恥じています。
何故なら、3節末尾の「私たちも彼を尊ばなかった。」とあるように、イエス・キリストを尊ばなかった「私たち」の中の一人こそ私自身であったからです。
続いて、イザヤ書53章の4節から6節をご覧ください。
4節及び6節について、アーノルド・フルクテンバウムの説明を引用します。
「4節で強調しているのは、しもべ(メシア)は自分自身ではなく、他の人のために苦しみを受けたという点である。ただ、当時イスラエルはこのことを理解せず、しもべの苦しみは神から下った罰(4節後半の「神に打たれ、苦しめられた」)だと考えた。しもべは自分自身の罪のために苦しみを受けたのであって、他人の罪のためではないと考えたのである。5節でイスラエルは、しもべが『私たち(イスラエル)のそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた』こと、しもべの死が身代わりの死で『彼の打ち傷によって、私たちはいやされた』ことを認める。」
しかし、神は何故、しもべ(メシア)を「打たれ、苦しめる」ことが人間を罪から救われる方法としたのか、という最大の疑問が生ずるのです。
人間の浅はかな知恵からすれば、王の中の王であるメシアであり、かつ、神のひとり子であるにもかかわらず、そのメシアを神が打たれること、つまり、人間の罪の贖いのために十字架につけられることなど考えも及ばないことです。
これこそ、神の奥深い知恵であり、神の人間にたいする愛の証しであることを人間は学ばなければならないのではないでしょうか。
聖書を神話や作り話と考える人たちは聖書のどの箇所を読み、そして、どう理解して神話や作り話と考えたのでしょうか。
このことに関して私にも身に覚えがあります。
それは、数十年前にほんの少し聖書に興味を持った時期があり、部厚い聖書の最初の書である創世記の数行の天地万物がわずか6日間で創造されたと書かれている箇所を読み、それから新約聖書の最初の書のマタイの福音書の数行のイエスが処女マリアから生まれたとする箇所だけを読んで、聖書を神話であり作り話であると早合点して、その他の聖書箇所を読むことを全くしなかったのです。
しかし、聖書を真剣に学ぶようになり、このイザヤ書53章などを読んでみると、人間の罪の贖いのためにメシアが「打たれ、苦しめられる」などという知恵を、人間が神話や作り話として発想できるものでは決してなく、この驚くべき知恵は、創造主(神)の知恵だからこそと確信できるようになったのです。
一人でも多くの人たちが、聖書の一部だけを読むことで満足して神話や作り話だと早合点することなく、聖書全体を一日でも早く読み、そして、研究することによって、創造主(神)でありメシアである主イエス・キリストの愛と真理を掴み取っていただくことを心より願います。
次回はイザヤ書53章7節以降を検討したいと思います。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。