星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

メシア預言(その③)

 

(その②)の続き。

 

早速ですが、次の聖書箇所をご覧ください。

この箇所もメシア預言を記しているものです。

創世記49:10(新改訳聖書)

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この箇所を新共同訳聖書では次のように訳しています。

「王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」

何故、この聖句がメシア預言を示していると言えるのか。

前回登場してもらったメシアニック・ジュー(キリスト者)のアーノルド・フルクテンバウムの説明が理解し易いと思われるので、その一文を引用します。

「創世記49章には、ヤコブが十二人の息子について語った預言が記録されている。10節はユダに対する預言である。そこで、ユダは他の部族を治める部族というアイデンティティ統治権を失うことはないが、それはあるお方が来るまでのことだ、と語られている。言い回しは翻訳によってさまざまだが、たいていどの訳も「シロ」という言葉をあたかもメシアの固有名詞であるかのように訳している。実は、それがこの文の本当の意味をわかりにくくしている原因である。「シロ」は、本来「所有代名詞」として訳すべき言葉である。この節(新共同訳聖書)を直訳すると次のようになる。『王笏はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない。しかし、それは権威を身に帯びた者がくるまでのことである。諸国の民はその方に従う。』ユダの王笏(王権)、統治の杖(統治権)は失われない、ただし、それは王権・統治権を本来持つはずの方が来るまでのことである。」

このように創世記49:10は、メシアがユダ族から現れると解釈できるのです。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

歴代誌第一17:1~2

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歴代誌第一17:10~15

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マタイの福音書1:1

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上記の聖書箇所は、預言者ナタンが主である神(この聖句では「わたし」と記されている)から授けられた御言葉をダビデ王に告げたものですが、メシアがユダ族の中でもダビデの子孫から現れることがわかります。

そして、聖書を学ぶと上記の聖書箇所のように新約聖書旧約聖書と完全にリンクしていることもよく理解できると思います。

 

↓ ↓ (その④)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

  

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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