星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

義認 → 聖化 → 栄化(その③)

 

(その②)の続き。

 

早速ですが、ヨハネ福音書17:3をご覧ください。

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私の住む福岡市内にある福岡六本松キリスト福音教会の折田泰彦牧師(1942年~)は、九州大学医学部を卒業後内科医として現在も医療に携わりながら牧師をされていますが、折田牧師の著書「天声塵語」の中で上記の聖句に関して次のように述べている箇所があったので、一部引用したいと思います。

「(楊貴妃を寵愛した)玄宗皇帝ならずとも、いつの時代にも人間は永遠に続くいのちを求めています。永遠のいのちとはどのようなものでしょうか。それは、キリストと神様に知り合いになり、さらにもっと親しく付き合い、この方々のすばらしさを知ることだというのです。キリストを信じた時から永遠のいのちはもうすでにこの地上で始まっています。ですから、永遠のいのちは、この地上での神の国の一員としてのいのちとこの地上の生涯の彼方にある神の御国での永遠に続くいのちとに分けることができます。人がまことの神とその御子キリストを知り、信じ、受け入れると、肉体の生命の上に新しい霊のいのちを与えられ、この地上の肉体の生命を持ちながら、霊のいのちを生きていくのです。」

日々、医師として真摯に「いのち」と向き合っている中で聖書で示されている「永遠のいのち」を信じている折田牧師のことばには説得力があります。

 
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聖書を読んだことがなく、イエスが実在した人物であったのかなかったのかも吟味したことのない人からすれば、私を含め「永遠のいのち」を信じているキリスト者は「頭がオカシイ人たち」ということになるのでしょう。ということは、この医師でもある折田牧師も「頭がオカシイ人」ということになりますね。

しかし、決してそうではありません。

聖書を真剣に学べば「永遠のいのち」が空想や妄想ではなく、創造主(神)から授けられる恵みであることが理性的に理解できるはずです。

一日でも早く、一人でも多くの人たちが聖書を学ばれることを心より願います。

過去の当ブログで私も書きましたが、折田牧師も書いているように「キリストを信じた時から永遠のいのちはもうすでにこの地上で始まっています。

 

さて、前回の続きに入ります。

「義認」の恵みは、キリストを信じる者に対する創造主(神)からの一方的な祝福です。

陸上選手が100メートルを10秒切って走るから、オリンピックで金メダルを取ったからとか、ノーベル賞を受賞するほどの能力があるからといった人間側に特別の能力があるから「義」と認められ「神の子」されるわけではありません。

何故なら、本人の努力自体は賞賛に値するものであるが、それらの能力も元は創造主(神)の創造の賜物であって、人間側には何の誇るところもないのです。

「義認」は主イエス・キリストを信じる信仰による恵みなのです。

 

「義認」の教理に続いて「聖化」について検討しますが、次の聖句をご覧ください。

ペテロの手紙第一1:15~16

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<注>16節はレビ記からの引用です。

レビ記11:44~45

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これらの聖句に記されているように完璧に「聖」である創造主(神)は主イエス・キリストを信じる者にも「聖」であるよう求めておられます。

しかし、主イエス・キリストの血の贖いによりキリストを信じる者が表面的には「義」と宣言されても、以前として人間に内在するアダムから引き継いでいる堕落した本能、罪を犯す旧い性質(これをパウロは「肉」の性質と表現する)が取り除かれたわけではありません。

パウロも己の中にある旧い性質、肉の性質について次のように記しています。

ローマ人への手紙7:18~21

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人間のこの罪を犯す旧い性質を取り除く方法はあるのでしょうか。

次の聖書箇所をご覧ください。

コリント人への手紙第一6:9~11

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私たち人間の努力や業(わざ)だけで罪を犯す旧い性質から解放されることは不可能です。

この聖句にあるように「御霊(聖霊)」に助けていただけなければ罪を犯す旧い性質を洗い流すことはできないのです。

ローマ人への手紙8:26~27をご覧ください。

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ここで、J・I・パッカーの著書から引用します。

「『聖化』とは罪が完全根絶されることでも、罪が単に妨害されることでもなく、私たちを罪の習慣から解放し私たちのうちにキリストのような思いや気質や徳を形成するような、神によってもたらされた全人格の変化である。」

 

結局、聖化とは、キリストを信じた者が「聖」であるキリストのようになるために御霊(聖霊)の助けを受けながら成長(変化)する過程であるということができます。

 

↓ ↓ (その④)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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