わたしは今日リンゴの木を植える
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを・・・・」
このフレーズをご存知ですか。
鶴田浩二「傷だらけの人生」ですね。
部屋の中に貼っている何枚かのレコードの一枚です。
聴いたことがない方はユーチューブでどうぞ!
私の人生は傷だらけの人生というよりも「失敗だらけの人生」でした。
自分だけの失敗であれば自業自得でそれも仕方のないことですが、人の心を傷つけてしまったことも正直あります。
しかし、後悔しても始まりませんよね、創造主(神)から授かった命を無駄にしないようにこれからの地上での残された人生を精一杯生きることに努めることが大切ですよね。
ところで、「たとえ、世界の終末が明日であろうと、わたしは今日リンゴの木を植える」という言葉をご存知の方も多いと思いますが、どこかの会社の社長が人生訓を語るときにこの言葉を引用したり、多くの方が引用するようです。
私が初めてこの言葉を知ったのは40年程前だったように記憶しています。
そして、この言葉の作者は、東欧の詩人ゲオルギウだと何かの本に書いていました。
石原慎太郎も繰り返し東欧の詩人ゲオルギウ作だと紹介してきたようです。
しかし、ネットを見るとマルチン・ルターの言葉だと説明されています。
マルチン・ルターの言葉を詩人ゲオルギウが引用したのでは、という説もあるようです。
出所がいずれであっても、多くの人の心に何かを訴える言葉であることに間違いないようです。
40年程前にこの言葉を知り、そして、聖書を信じる前までの私が考えていたことは、世界の終末を想像したのではなく、もし、ガンに侵されて余命数ヶ月と宣告されたときに、今までと全く同じように日常生活を送ることが出来るだろうか、というものでした。
恐らく、悲嘆に呉れ死の恐怖に苛まれて今までと同じように日常生活が送ることは困難だろう、と想像していました。
ましてや、リンゴの実りを間違いなく見ることができないのに、今日リンゴの木を植えるなど到底私には出来ないと考えていました。
このように考えることしか出来なかった私に劇的変化が起こったのが、聖書によって真理を知ってからです。
過去のブログにも書きましたが、可笑しなことを言うようですが私にはキリスト教を信じているという認識も、世の中の人が考えているような「神」を信じているという認識がありません。
私が信じているのは、天地万物を創造された創造主の存在を信じているのであり、創造主の口から出た「ことば」だけが真理であると信じているに過ぎないのです。
この真理を教えてくれているのが聖書であり、キリスト教であるというだけのことなのです。
したがって、私の心持ちとしては「神」という言葉は出来れば使いたくないし、キリスト教信者、つまり、クリスチャンという名称もあまり使いたくないのです。
ただ、このブログを書いたり、人と会話する際にその都度クリスチャンという名称を使いたくない理由を説明するのも面倒なので、便宜上使うことになります。
常に私が求めているのは「真理」です。
「真理」は天地万物の創造主から出たものだけです。
森羅万象のすべての「真理」は、繰り返しなりますが、天地万物の創造主のものです。
普通に考えれば「人間が死んでも、主イエス・キリストを信じる者は、復活して永遠のいのちを持つ」など、とんでもない話です。
しかし、私を創造してくださった天地万物の創造主の存在を確信してからは、とんでもない話ではなく、「復活と永遠のいのち」が当たり前、つまり「真理」であると確信することができるのです。
もし、天地万物の創造主の口から出たことば、つまり、真理が「人間は数十年この地上に生きて、この世で数々の病に侵され、様々な苦難を経たのちに死に至り、その後無意識の状態になる。」というのであれば、このことを私は信じます。そして、他の宗教(偽りの神)が逆に「復活と永遠のいのち」を教えていても、この他の宗教の教えは真理ではないので「復活と永遠のいのち」を信じることはできないということになります。
要するに私の主張は、常に「真理」が何であるかが重要だということなのです。
私にとって受け入れがたい教えであったとしても、それが「真理」であれば、それを信じて従うだけのことなのです。
「復活と永遠のいのち」が私にとって都合がよく受け容れ易いから信じたのではなく、あくまでも、天地万物の創造主の口から出たことば(聖書)だから信じているのです。
61歳の私ですから、年齢的にどんな病に侵されてもおかしくありません。当然ガン宣告を受けるかも知れません。
しかし、40年程前に知った「たとえ、世界の終末が明日であろうと、わたしは今日リンゴの木を植える」という言葉は、天地万物の創造主の存在を信じ、主イエス・キリストを信じ、「復活と永遠のいのち」を信じてからは全く違った捉え方が出来るのです。
私が余命数ヶ月のガン宣告を受けることがあっても、リンゴの木を植えることはありませんが、少なくとも悲嘆に呉れ死の恐怖に苛まれことはなく、復活と永遠のいのちに希望を持ちながら、それまでと同じように主イエス・キリストに信仰を持って日常生活を送ることが出来るようになれるのでは、と思っています。
続いて次の聖書箇所をご覧ください。
ローマ人への手紙12:19(文語訳聖書)
この言葉を知ったのは、聖書を学ぶ随分前の佐木隆三の小説を映画化した緒方拳主演の「復讐するは我にあり」です。
復讐するのは俺(人間)がするという意味ではなく、創造主(神)がされるという意味だということを聖書で学びましたが、その後当分の期間もう一つピンとこない聖句でした。
何故なら、独裁者のヒトラー、スターリン、ポル・ポトなどはもちろんですが、生前に非道なことをしていながら金銭的にはもちろん健康的にも恵まれながら生を全うしたまま、神から復讐されないまま死んでいった人も多くいるからです。
また、キリスト教以外の宗教を信じて大成功をしている人(偶像崇拝者)が、キリスト教を信じている貧しい人に次のように言ったとか?。
「キリスト教を信じても貧しいだけじゃないか、私の信じている宗教を信じれば私のように成功するよ。」
人生がこの地上での一回限りのものであれば、この世で神の復讐も行われず、貧しいだけの人生や病に次から次と侵される人生の人にとっては不公平だと感じることでしょう。
しかし、人間の人生はこの世だけが全てではありません。
死で全てが終わるわけではありません。
過去ブログでも引用した、次の聖書箇所をご覧ください。
ヘブル人への手紙9:27
創造主(神)の復讐(裁き)は必ず行われます。
主イエス・キリストを信じる者には、病もなく苦難もなく涙を流すことがない新しい生が待ち受けています。
ヨハネの黙示録21:3~4をご覧ください。
創造主(神)は公平な御方であり、信頼できる御方であることを肝に命じたいと思います。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉(ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。