星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

洗礼について

4月28日(土)に福岡県立四王寺県民の森に出掛け、4月29日(日)には福岡市油山市民の森に出掛けましたが、買ったばかりのトレッキング・シューズを足に馴染ませるためだったので、舗装された道を歩いて山の中腹まで登ったに過ぎませんでした。

その後もトレッキング・シューズを履いて自宅近くをウォーキングして足に随分馴染んできたので、一昨日5月4日(金)には、再度、油山に行き今度は舗装されていない登山道を歩き、低い山ではありますが急こう配の箇所もあり、すれ違う高齢者や山ガールと挨拶を交わしながら頂上に着きました。

 

登る以上は頂上を目指すのですが、私は、登山の途中の行程で好きです。

歩きながら、鳥のさえずりや季節ごとの花々、新緑、紅葉を楽しみ、木々の間を通り抜ける風の音を聞きながら、体から吹き出す汗を拭き拭きしながらマイペースで登るのがこの上なく爽快な気持ちにさせてくれます。

 

次は、何度も登った山ですが、今月中に太宰府宝満山に登る予定でいます。

山と渓谷社では宝満山を「九州有数の登山者数を誇る修験と展望の山」と紹介しています。

夏には大分県九重山に登ろうと思っているので、今から夏が来るのが楽しみです。それまでは、週3回のスイミングを楽しみます。

 

さて、本日のテーマに入ります。

私は、過去を含め現在に至るまで仏教系、キリスト教系等を問わず一切の宗教団体に属したことがありませんが、創造主(神)と主イエス・キリストに信仰を持つ無教会者のキリスト者(クリスチャン)です。

ただ、愛溢れる敬虔なキリスト者と比較すれば、まだまだほど遠い私ではありますが、創造主(神)の存在を信じ、主イエス・キリストが私たち人間の罪の贖いのために十字架にかけられて死に三日後に復活して昇天されたことを堅く信じているので、間違いなくキリスト者だと思っています。

 

しかし洗礼を受けていません。

 

「洗礼も受けていないのに、キリスト者のはずはない。」という声、主張が聞こえてきそうです。

この主張は正しいのでしょうか。

この主張が正しいとすれば、洗礼を受けないと人は救われないということになります。

 

聖書はどう言っているのでしょうか。

パウロは次のように記しています。

ローマ人への手紙5:1

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ガラテヤ人への手紙2:16

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上記いずれの聖句であっても、「信仰によって義と認められる」つまり「主イエス・キリストを信じる信仰によって救われる」とパウロは言っているのであって、「洗礼によって義と認められる」「洗礼によって救われる」と言っているわけではありません。

心の在り方を問題にしているのであって、洗礼という形式が救われる条件ではないのです。

エスはまさに十字架上で犯罪人に次のように語ったのです。

ルカの福音書23:39~43

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この犯罪人は洗礼を受けてはいませんでしたが、イエスはハッキリと彼がパラダイスにいると約束されたのです。

 

奥山実牧師は、著書で次のように簡潔に語っています。

「洗礼を受けたか、受けないか関係ありません。ヨーロッパには洗礼を受けていても、神の存在を否定し、主イエスをあざけっている名ばかりのクリスチャンが掃いて捨てるほどいます。たくさん献金しているとか、良く奉仕しているというのも基準ではありません。それもいいことなのですが、イエス様を信じるか、信じないかが問題です。」

 

洗礼を受けていない私ですが、決して洗礼を否定したり軽く考えているわけではありません。

マタイの福音書28:19~20をご覧ください。

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このように主イエス・キリスト大宣教命令の中で洗礼(バプテスマ)を授けることを命じています。

この大宣教命令に従い、平信徒に過ぎない私ですが一人でも多くの人に福音を伝えたくて、このブログも書いているのですが、伝える立場としてだけでなく、洗礼を受ける立場として無教会者だからという理由で洗礼を拒否しているわけでも何でもないので、将来その時が来れば洗礼を受けることはやぶさかではありません。

 

ところで、NHK大河ドラマで放送中の「西郷どん」の西郷隆盛が生み出したと思っている方も多くいる「敬天愛人」という言葉は、西郷が生み出した言葉ではなく、18世紀の清王朝の第4代皇帝の康熙帝(こうきてい)によるキリスト教イエズス会)認定の言葉なのです。

詳細は当ブログでは省略しますが、西郷が漢訳聖書を読んでいただけでなく、漢訳聖書を人に教えていたことも資料や証言によって事実ということが確認されています。

ただ、洗礼を受けていたかどうかは不明です。

しかし、上述したように洗礼は形式に過ぎません。

西郷がキリスト教由来の「敬天愛人」という言葉を好んで書いた事実や聖書を教えていたという事実は、主イエス・キリストを信じていなければできることでは絶対ありません。

したがって、私は、西郷隆盛は間違いなくキリスト者であったと考えます。

 

西郷隆盛と会見して江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟も聖書の影響を受けた人物であることが下の画像の本を読めばわかりますが、勝海舟も洗礼を受けたかどうかは不明です。

しかし、西郷隆盛と同様に仮に洗礼を受けていなくても、キリスト教との深い関わりや晩年の言動などから、主イエス・キリストを信じたキリスト者であったと私は考えます。

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幕末及び維新に活躍したサムライの中で一番好きなのは勝海舟ですね。

貧乏のどん底のときは、蚊帳(かや)や布団を売り払い、襖を破り、縁側や柱を削って飯炊きをしていたそうです。

しかし、こんな境遇にあっても海舟は自己鍛錬を怠らず、剣術に打ち込み、日々学問に向かっていたということです。

勝海舟を師と仰いだ坂本龍馬ですが、海舟との出会いがなければ龍馬の目覚ましい活躍もなかったのかもしれません。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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