星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

なくてはならないもの

4月28日(土)には福岡県立四王寺県民の森に行きましたが、引き続き、翌日の29日(日)も福岡市内の油山市民の森に行きました。

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30代の頃は仕事の合間に大分県九重山や福岡県内の山によく出掛けましたが、その当時はあまり多くの高齢の登山者も見かけず、ましてや、若い女性などほとんど見かけることもなかったのですが、今回久し振りに登ってみると、高齢の登山者が多くなっているのはもちろんですが、若い女性、つまり巷で言うところの山ガールの多さにビックリしました。

 

本格的な登山をするわけではありませんが、トレッキング・シューズも買ったことだし足腰の鍛錬も兼ねて今後も日帰りが出来る近場の山に登ろうと思っています。

 

話は変わります。

酒は百薬の長と言いますが、飲み方によっては飲む人にとってキチガイ水になりかねません。

酒によって人生を台無しにしてしまう人が少なからずいるようです。

 

今でこそ酒をほとんど飲まない私ですが、20代の頃は飲まない日は皆無であり、恥ずかしながら毎日が二日酔い状態でした。

仕事上のストレスと個人的な悩みも抱えていた29歳前後の頃に、何とか現状から抜け出したいと思っていた時に、クリスチャン作家の三浦綾子さんの本に出会いました。

「道ありき」「塩狩峠」「あさっての風」(小説を除く)などむさぼるように読みましたが、記憶があいまいで書名は忘れましたが、人間にとって「なくてはならないもの」は何かと問いかける一文が私の琴線に触れました。

あまりにも抽象的な問いかけですが、読者の皆さんにとっての「なくてはならないもの」は何ですか。

 

私の知人の中で大の酒好きの人がいて、酒で命を失うのだったら本望だと常々言っていましたが、当然アルコール中毒から肝硬変になり52歳の若さで死んでしまいました。

この人にとって酒が「なくてはならないもの」だったのかも知れません。

毎日飲んでいた当時の私にとって酒が「なくてはならないもの」だったわけではありませんが、現実の生活では酒がなくてはならないものになっていました。

 

三浦綾子さんが言おうとしていたのは、人間にとって「なくてはならないもの」は創造主(神)との繋がりだと言っていたように記憶しています。

 

三浦綾子さんの本はたくさん読んでいましたが、その頃はまだ聖書に手をのばすことはなく、創造主(神)の存在を信じていない私でした。

だから、「なくてはならないもの」が創造主(神)との繋がりである、などと思えるはずもない私でしたが、少なくとも酒が私にとっての「なくてはならないもの」などでは絶対ないはずだと確信だけは出来ました。

このように思えた私は仕事上も私生活上も最も精神的に苦しんでいた頃でしたが酒に頼ることもなく、不思議とキッパリと酒を断つことが出来たのです。

30歳から今日に至るまで酒を我慢して飲まないのではなく、禁酒の誓いをしたわけでもないのですが、酒を飲みたいという欲求が不思議と湧いてこないのです。

 

「なくてはならない存在」と問われれば誰でも両親や妻(夫)・子供と答えるのは当然だとして、あなたにとって「なくてはならないもの」は何でしょうか。

 

ある人は「お金に決まっている」と答えるかもしれないですね。

しかし、お金は人間が生活をしていく上で必要なものであっても、決して人間にとって「なくてはならないもの」とは違うような気がします。

もし、それでも、「俺にとっては、お金は単に必要なだけでなく『なくてはならないもの』だ」と考えているようであれば、有名なイエスのことばを思い出してしまいます。

マタイの福音書6:24

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お金、つまり、富に心が奪われている状態は、神ではなく富という偶像を崇拝していることになるのです。

 

さらに、高齢者がよく「健康が何より」と口にするように、多くの人たちが「なくてはならないもの」は「健康」だと答えるでしょう。

聖書を知らず天地万物の創造主(神)の存在も知らないままに今の61歳になっている私だったら、他の高齢者と同じように「なくてはならないもの」は「健康」だと答えたでしょう。

 

しかし、今更言うまでもなく、この「健康」ほど当てにならないものはありません。

ネット広告が主流になった現代では、内科、外科、眼科、歯科、皮膚科、耳鼻咽喉科心療内科、精神科など街の中で目にする大型の看板広告の大多数が病院のものであり、健康だと自負している人でもその健康も一時的なもので何かの病に侵され病院に行くと病人の多さに誰もが圧倒されるのです。

 

私たち人間だけでなく、この世に存在する全てのものにとって「なくてはならないもの」とは何でしょうか。

 

目に見えるものはもちろん、目に見えないものも創造された天地万物の創造主(神)の存在があって、人間を含む全てのものが存在しています。

したがって、私たち人間を創造された創造主(神)との繋がりこそが「なくてはならないもの」、と最近特に私は思えるようになってきました。

コリント人への手紙第一8:6をご覧ください。

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先程書いた「なくてはならない存在」は大多数の人にとって妻(夫)・子供などの家族のはずです。

その家族に対して、人は一心に愛し尽くそうとするでしょう。

まさに「愛されるより愛する方が幸い」なのでしょう。

 

マタイの福音書22:36~38をご覧ください。

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このようにイエス様が主(神)を愛することを命じましたが、「なくてはならないもの」が創造主(神)との繋がりであると思えるなら、「なくてはならない存在」の家族を愛することができるのですから、イエス様から命じられるまでもなく、「いのち」を授けてくださった創造主(神)を心を尽くして愛することも自然と出来るようになるはずだ、と思えるようになった今日この頃の私です。

 

一人でも多くの人が、一日も早く、創造主(神)の存在を知り、そして、「なくてはならないもの」が創造主(神)との繋がりであることを知って「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、私たちの神である主を愛する。」ことができますように。

アーメン。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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