聖霊と三位一体(その⑪)
(その⑩)の続き。
無教会者の私ですから、ある宗教団体の信者のように創設者の言葉や教義あるいはその宗教団体の幹部の聖書解釈を信じているのでもありません。
つまり、私の信じているのは、「人」が語る言葉ではありません。
私が、主イエス・キリストを信じる者が死後「復活」し「永遠のいのち」を生きると信じているのは、聖書に書かれているからというのはもちろんですが、何よりも、私が進化論のいうところの偶然にこの世に生まれた何処の馬の骨とも知れない者ではなく、天地万物の創造主(神)が間違いなく目的をもって私を創造し命を授けてくださったことを信じるからであり、主イエス・キリストの愛を信じるからであり、聖霊の内住を信じているからです。
つまり、私の信じているのは「三位一体の神」なのです。
本日は、「聖霊」が神の活動力や影響力に過ぎないものではなく、神であることを確認したいと思います。
もし、聖霊が神の活動力や影響力に過ぎないものであれば、聖霊に人格などないはずですが、本当に人格はないのでしょうか。
人格があると言えるためには、「知性」「感情」「意志」の3つの要素を備えている必要があります。
聖書は明確に聖霊が「知性」「感情」「意志」を備えている御方であることを教えています。
(1)聖霊には「知性」がある。
コリント人への手紙第一2:10
知性をもつ者だけが、探究したり、調べたりすることができます。
ヨハネの手紙第一5:6~10
御霊(聖霊)は真理です。
イエスを神の御子であると証し(証明)することができるのも知性があるからです。
9節及び10節でイエスを神の御子であると証し(証明)された聖霊が神だとヨハネは語っているのです。
(2)聖霊には「感情」がある。
ローマ人への手紙15:30
聖霊は憐れみや気配りのできない無感情な存在ではありません。
聖霊は私たち人間を愛してくださる御方なのです。
エペソ人への手紙4:30
感情をお持ちの聖霊を悲しませるようなことがないように。
(3)聖霊には「意志」がある。
コリント人への手紙第一12:11
キリストを信じる者に与えられる様々な聖霊の賜物は、適当に与えられるものではありません。
聖霊ご自身の意志によって分け与えられるのです。
ヨハネの黙示録2:7
明確な意志によって聖霊が言われることを聞き、導きに従うことは、キリストを信じる者にとって非常に重要なことです。
以上が聖霊に人格があることが記された代表的な聖書箇所です。
上記以外にも数多くありますが、今後の皆さんの聖書の学びの中で掴み取っていただきたいと思います。
聖霊が神であることを今回は少し触れましたが(ヨハネの手紙第一5:9~10)、次回(最終回)「はさらに聖霊が神であることを探っていきたいと思います。
↓ ↓ (最終回)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。