星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

聖霊と三位一体(その⑩)

高齢化社会の世の中にあって、高齢者の孤独死が取り上げられることが少なくありません。

 

わけあって、私は独り暮らしです。

高齢化が進んだ今と違って一昔前であれば、侘しい独居老人とみなされかねない年齢(61歳)の私ですが、主イエス・キリストを信じることができたことによって、パラクレートス(助け主)の聖霊が内住し常に主イエス・キリストが側にいてくださると信じているので、独り暮らしであることによる侘しさも寂しさも感じることがありません。

 

寂しさを感じることのない私にはアルコールに頼って寂しさを紛らわす必要も全くなく、聖書を日々読むことは私にとって快楽であり、聖書以外の海外ミステリーや時代小説を読むことも楽しく、市民プールに行ってリフレッシュすることも出来、先日も書いた木彫りの彫刻刀や木材が20日(金)に手に入る予定なので、今後充実した毎日をより一層満喫したいと思っています。

 

高齢者の仲間入りに近づいた私ですから(内心は高齢者という自己認識なし)、今後、私の身体に何が起きるか分かりませんが、少なくとも寝たきり老人にならないように、私に出来るウォーキングやスイミングをして足腰を鍛えることに努め、主イエス・キリストが語ってくださったように明日のことで思い煩うことなく(マタイ6:34)、あとは全て主イエス・キリストの御心に委ねたいと思います。

 

もし、聖書を知らず主イエス・キリストを信じていないとすれば、独り寂しく希望もなく死を待つ身であっただろう、と想像するだけでゾッとします。

今の私は、主イエス・キリストだけを仰ぐことによって、死を恐れる必要もなく、「復活」と「永遠のいのち」に希望を持つことができることが何よりの感謝です。

 

さて、本日のテーマに入ります。

前回、神には人間の考えるような「名」はなかったのではと書きました。

だとしたら、ある人たちが神の名を「エホバ」と呼んだり、「ヤハウェ」と呼んだりしているのはどうしてでしょうか。

順を追って検討したいと思います。

まず、出エジプト記3:14~15をご覧ください。

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<注> ペーパー版の新改訳聖書では、「主」は太字で印字されています。

」と記されている箇所は、旧約聖書の原語のヘブル語聖書では次のように記されています。ヘブル語は、右から左に読みます。

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ヘブル語では母音は表記されず(22字の)子音で表記します。

上記画像のヘブル語文字を欧文表記すると「YHWH」または「YHVH」などとなります。

いずれにしても、この四文字が創造主(神)の名を表すと神学者は考えているのです。

そして、この四文字をギリシア語で「テトラグラマトン(神聖四文字)」と言います。

 

イスラエルの民は、「神の御名をみだりに口にすることなかれ」との戒めから、この四文字の聖書箇所にくると「アドナイ」(日本語訳で「主」)」と読み替えました。

 

例えば、戦国時代に、ある書状の中に「豊臣秀吉」の文字が書かれている箇所を「豊臣秀吉」と呼ぶことが恐れ多いと考えた家来たちが「殿様」と読むと仮定します。

豊臣秀吉の「秀吉」を欧文表記すると「HiDeYoSi」ですが、ヘブル語のように母音を表記しないと「HDYS」ですね。

「HDYS」の表記を、長い年月「殿様」と呼んでいたらどうでしょうか。

いつのまにか、「HDYS」を何と呼んでよいか分からなくなりますね。

そこで、後代のある人が「殿様(ToNoSaMa)」と発音していた母音の「ooaa」を「HDYS」に挿入しました。

すると「HoDoYaSa」となり、以後多くの人が「ホドヤサ」と呼んだのです。

以上、例え話。

 

この例え話のようなことが、テトラグラマトン(神聖四文字)に起こったのです。

YHWH」または「YHVH」も長い年月が経つうちにイスラエルの民自身も何と呼んでいいか分からなくなったと神学者は解釈しました。

ところが、16世紀になってキリスト教神学者が「アドナイ」と発音していた中に含まれる母音を「YHWH」または「YHVH」に挿入させたらしいのです。

それが、「YeHoWaH」または「YeHoVaH」なのです。

YはJとも表記が可能らしく、そのようにすると「JeHoWaH」または「JeHoVaH」となります。

発音すると「ジェホワ」または「ジェホバ」、つまり「エホバ」なのです。

ということは、文語訳聖書にも採用されていた神の名「エホバ」は、明らかに誤読だということです(山本七平著「聖書の常識」より)。

 

では「ヤハウェ」はどうなのかと言うと、結論から言えば、正しい神の名とは言えません。

なぜなら、テトラグラマトン(神聖四文字)の母音が不明なのですから、「ヤハウェ」であろうが「ヤーウェ」「ヤハヴェ」であろうが全て憶測なのです。

 

前回、「(わたしは)ある」は、ヘブル語では「エフイェ(ehyeh)」と書きましたが、母音を除くと「hyh」です。

ここで、新共同訳・旧約聖書注解の一部を引用します。

出エジプト記3章14節(・・・わたしはある・・・)の神の言葉の理解は難しい。神名ヤハウェYHWH)が、ここで動詞hyh「ある、いる」と関連させられているからといって、語源的にこの動詞に由来するとは限らないが、両者を関連させる見解が今日広く採られている。」

 

私もテトラグラマトンYHWH」が動詞hyh「ある、いる」に関連すると考えます。

 

前回引用した内村鑑三の言葉にもあったように、神の名は「エホバ」「ヤハウェ」などではなく、「有りて在るもの」つまり、あくまでも「わたしはある(I am)」なのです。

今まで当ブログではエホバはもちろんですが、ヤハウェという言葉も書いてきませんでした。

それは、どちらも神の名とは私が受け入れることができなかったからです。

そして、極力「神」という語も単独で使わないようにして来ました。

「神」という語は偽りの偶像の神にも用いられるので、「創造主(神)」という書き方を多用しています。

私が、崇め、そして、賛美する御方は、天地万物を創造した「わたしはある(I am)」と表明した創造主(神)だけです。

 

聖書自体を信じるかどうか、聖書の創造主(神)を信じるかどうか、主イエス・キリストを信じるかどうかは、各人の究極的な自己責任であり、さらに、聖書の内容をどのように解釈するかも、自己責任であると私は考えています。

だからと言って、私は自分の都合の良いように解釈するつもりはありません。

聖書の文脈に沿って字義通り解釈して、そこから「真理」を掴み取りたいのです。

 

私のする聖書研究は、聖書からこの世の御利益(ごりやく)を得るためでも「成功法則」を読み取ろうとしているのでもありません。

興味があるのは「真理」のみです。

創造主(神)の名の検討についても、この姿勢に変わりはありません。

 

次回は、「聖霊」が神の活動力に過ぎないものではなく、神であることを聖書から確認したいと思います。

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は4月17日(火)にアップします。

 



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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