聖霊と三位一体(その⑧)
(その⑦)の続き。
前回、「主はただひとりである(申命記6:4)」「神は唯一です(テモテへの手紙第一2:5)」と記されている聖句を確認しました。
その一方で、「われわれとして、われわれに似せて(創世記1:26)」という聖句では神が複数存在することが読み取れる聖句も確認しました。
この創世記1:26の「われわれ」と記されている表現について、ある人たちは、「われわれ」と記されているのは、神が複数いるということではなく、ヘブル語文法の「尊厳の複数形」を用いていると主張します。
しかし、「尊厳の複数形」が用いられるのは旧約聖書が書かれた後の時代であって、旧約聖書が書かれた時代に「尊厳の複数形」が用いられた証拠はないようです。
<注>尊厳の複数形とは、欧州言語で国王などの高位身分にある者が自らを指す場合に代名詞を一人称単数でなく一人称複数を用いることをいう(ウキペディアより)。
聖書冒頭の創世記1:1で「初めに、神が天と地を創造した。」と記されていますが、この「神」はヘブル語では「エロヒム」という複数形の男性名詞です。
聖書の中で「エロヒム」は、真(まこと)の神だけでなく、偶像の神々にも使われています。
真の神としての複数形の「エロヒム」は2500回ほど聖書に出て来ます。
したがって、神が複数いることが類推されるのです。
つまり、聖書は「神は唯一である」とする単一性と「エロヒム」のように複数性を教えているのです。
複数性を教えていると言っても、聖書は真の神が多数の4以上も存在するとは書いてはいません。
つまり、「父なる神」と「子なる神(イエス)」と「聖霊なる神」の3つの存在を記しているのです。
そこで、イエス・キリストと聖霊が神ご自身であるのかを検討していきたいと思いますが、まず、イエス・キリストが神ご自身であるのか、聖書から読み解いてみたいと思います。
すでに前回、ヨハネの福音書1:1の「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」を引用して、「ことば」であるキリストが「神」であると明確に聖書が記していることを確認しましたが、その他の聖句も確認したいと思います。
テトスへの手紙2:13
ローマ人への手紙9:5
この様に明確にイエス・キリストが神であると記しています。
神の存在を信じていない日本人が、一般人より優れた能力を持つ人間を不用意に、いとも簡単に「神業」とか「神の手(ゴッド・ハンド)」だとか言って囃し立てるのとは分けが違い、己自身に偶像崇拝を厳しく戒めている聖書記者が真の神以外を神と呼ぶことなどありえません。
イエス・キリストが間違いなく真の神であったからこそ聖書に記したのです。
続いて次の聖書箇所をご覧ください。
イザヤ書9:6
旧約聖書の中に将来現れる救い主(メシア、キリスト)を預言する聖書箇所が幾つかありますが、その一つがこの聖句です。
「不思議な助言者」の不思議と言う言葉は日本語や英語の「ワンダフル(wonderful)」では様々な場面で使われる言葉ですが、ヘブル語では「ペレ(pele)」と言い、神にしか使われない言葉なのです。
因みに、出エジプト15:11では、イスラエルの民がエジプトを脱出した後にエジプトの軍隊から追われ紅海に来たとき、紅海を割って通り道を造った神の御業をペレ(日本語訳では「奇(くす)しいわざ」)と記しています。
「力ある神」は、文字通り神であり人間を指す言葉ではありません。
「永遠の父」は、生まれてくる御子が、ただの人間ではなく、人類全体の救い主の神であることを表しているようです。
「平和の君」は、生まれてくる御子が混乱や争いをもたらす御方でないことが分かります。
今回はここまでですが、次回もイエス・キリストが神であることを他の聖句によって確認したいと思います。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。