聖霊と三位一体(その⑥)
(その⑤)の続き。
前回の終わりに書きましたが、現代のキリスト教のある教会では、意味不明の理解できない音を発する人たちがいて、これは聖霊に満たされたことによる賜物の「異言」だと主張します。
ブログやユーチューブで異言を話すことができると語っているクリスチャンがいますが、その異言だと称する意味不明の理解できない音を聞いた人には当然その内容を理解できないのはもちろんですが、当の本人すらも自分が何を言っているのか分からないと語っているのです。
クリスチャンにとっての最重要任務は何か。
イエスの大宣教命令に従い、世界の隅々まで福音を宣べ伝えることです。
イエスの最初の弟子たち(使徒)にとって必要なのは、福音を正しく明確に語ることが出来る他国の言語であって、意味不明の理解できない音を発することではなかったはずです。
イエスは「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)と語りました。
意味不明の理解できない音を発することでは、イエスの証人となることなどできないでしょう。
しかし、ローマ人への手紙8:26を引用して反論する人もいるようです。
つまり、天に祈るときは、「言いようもない深いうめきによって」という天の祈りの言葉を使うというのです。
「言いようもない深いうめき」を意味不明の理解できない音と解釈しているようです。
そして、意味不明の理解できない音であっても、天の祈りの言葉だから神様には理解できるということのようです。
私は、このように意味不明の理解できない音を聖霊の賜物の異言だと信じている方を批判するつもりはありません。
ただ、もし私が聖霊に満たされて異言が授けられることがあれば、主イエス・キリストの福音をより多くの人に正しく伝えることができる明確な言語が授けられることを求めたいと思います。
カナダの有名な牧師であり著述家であったオズワルド・J・スミス(1889年~1986年)の著書から一部引用(要約)します。
「使徒たちの経験を求めずして、彼らの教えに従われよ。聖書の中に使徒たちの経験を受けよと書いてある所はどこにもない。むしろ彼らが記したところに従えと言われている。大切なことは、彼らがどんなことを経験したかではなく、彼らがどんなことを教えたかである。聖書の教えに頼る代りに他の人の経験をまねようとして、実に多くの人が道をふみはずしている。・・・中略・・・恐らくあなたは異言の賜物のことで悩まされているかも知れない。ペンテコステの日に初めて御霊が注がれた時と、それに続く二度(使徒の働き10章と19章)の場合に、何人かの者が一度に異言を語ったことが記されている。それ故に、使徒の経験をまねるべきであるとするならば、我々も彼らと同様に異言を語らねばならないように感ずるであろう。しかし彼らの教えに従うべきであるとするならば、これとは違った方向に導かれることになる。・・・中略・・・ここで私はペンテコステの日に異言の賜物が与えられたのは、福音を各国語で表現するためであったことを指摘しておきたい。彼らは純粋の国語を語ったのである。であるから色々な国の人が集まっていない限り、このペンテコステの恵みが繰り返して与えられるということはない。・・・中略・・・パウロは、異言の賜物は自己の徳を建てるためのものであるから、人に分からない異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために五つのことばを話したほうが良いと言っている(コリント人への手紙第一14:19)」
使徒たちが宣教を開始した当時は他国の言語を話す必要性が高いこともあり、使徒の働き2章に記されたペンテコステの日の聖霊降臨による異言と使徒の働き10章及び19章の計3回の異言の賜物が授けられたことは、まさに時宜を得たものであったのです。
しかし、現代では多くの言語で聖書が翻訳され、通訳者も多く、ネットでもクリスチャンが様々な言語で福音を伝えているので、異言の賜物の必要性は、全くないとは言わないまでも、少なくなっているのではないでしょうか。
ましてや、意味不明の理解できない音をクリスチャンが発する必要性はないと私は考えますが、皆さんはどうお考えになりますか。
次の聖書箇所をご覧ください。
コリント人への手紙第一14:33(新改訳聖書)
新共同訳聖書では「神は無秩序の神ではなく」と訳されています。
神は混乱や無秩序をもたらす御方ではありません。
意味不明の理解できない音をクリスチャンに授けて、人間に混乱を起こすようなことはなさらないはずです。
↓ ↓ (その⑦)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。