星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

聖霊と三位一体(その④)

春爛漫、全国的な花見日和が続きますね。

私も昨日、福岡城跡(舞鶴公園)でアルコールなしの花見をしました。

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桜を愛でながら、昔の思いがよぎりました。

聖書、創造主(神)、イエスを全く知らなかった頃、何故この世界に美しい花々が存在するのだろう、花々を鑑賞して美しいと感じる心を持っているのは人間しか存在しないのだから、もしも花々に心があるとして、人間がこの世に存在しないとしたら、花々は自分を観て美しいと感じる者がいないことをさぞかし悲しむだろう、だとしたら花々の存在価値は人間が存在してこそあるのではないか、などと夢想したことがあります。

 

聖書を知り、聖書を学ぶようになった今の私は、上記の夢想が夢想ではなかったことを確認しています。

聖書の初めの創世記から終わりの黙示録までを素直に読めば、天地万物の創造主(神)が、人間を愛し人間のために花々を創造され、その花々を美しいと感じる心を賜物として授けてくださったことが分かります。

 

さて、本日のテーマに入ります。

本日は「御霊の実」について考えたいと思いますが、その前に、イエスが弟子たちに語った有名な御言葉をまずご覧ください。

ヨハネによる福音書15:1~5(新改訳聖書)

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2節の「・・・刈り込みをなさいます。」は新共同訳聖書では「手入れをなさる。」と記されています。

要するに、多くの実が結ぶためには枝の剪定(刈り込み)が必要なように、父なる神は信者がより多くの実を結ぶために訓練するということなのでしょう。

5節では、イエスは「・・・わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。・・・」と語られましたが、どのような多くの実を結ぶのでしょうか。

パウロが語った次の聖書箇所をご覧ください。

ガラテヤ人への手紙5:22~23

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この聖句を逆に考えると、私たち人間は、天地万物の創造主(神)の存在を認めず、イエスを救い主(キリスト)と信じない間は、真の意味の「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という多くの実を結ぶことはできないのです。

天地万物の創造主(神)を信じて、イエスを救い主(キリスト)と信じて、はじめて、イエスがぶどうの木となり信者はその枝として、御霊(聖霊)が内住して御霊に満たされて、真の意味の「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という多くの実を結ぶことができるのです。

 

聖書を読んだことがない人でも、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というイエスの驚くべき教えは知っているのではないでしょうか。

マタイの福音書22:36~39

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まさに驚くべき教えなのです。

自分自身のことのように隣人を愛することなど生身の人間には不可能です。

 

エスは不可能なことを無理強いしているのでしょうか。

 

いや、そうではないようです。

いつもの内村鑑三の言葉を引用(一部要約)します。

聖霊を受けることなくしては、福音を実際的に獲得し、かつその命ずるところを守ることは不可能である。一例を挙げて言おう。『おのれのごとく、なんじの隣を愛すべし』(文語訳・マタイ22:39)というは、主イエス・キリストが第二の大いなる戒めとして与えたまいしところである。この簡単なるキリスト教道徳にても、聖霊によらずしては完全に守ることを得ないのである。われら、あるいは地上において営まれしキリストのご生涯にならわんと努めて、この愛の戒めを実行しようとする。またはキリストを仰ぎ、その助けを受けて、人を愛そうと努める。あるいはまた未来に現れるべきキリストの栄光を待望することによって、愛の徳をおこなおうと努める。いずれもむなしい努力ではないが、これらによってはとうてい愛を有効的に実行することはできないのである。愛の実行を促すものは聖霊それ自身である。パウロは言う『そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』(ローマ人への手紙5:3~5)と。われらは聖霊によって直接愛を感じるのみならず、聖霊が直接にわが心に臨みて愛を注ぎたもうことを願わなければならない。かくして人に対する愛が実行し得るに至るのである。」

 

愛に欠けることを自認している私ですから、愛を語る資格がなく、愛を語るのは苦手です。

聖霊に満たされることを望み、ほんの少しでも愛を実行することができるよう祈りたいと思います。

 

次回は「異言」について検討します。

ブログアップは日曜日・火曜日・木曜日の週3回です。

次回は4月3日(火)にアップします。




★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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