聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その⑦)
(その⑥)の続き。
前回、聖書に書かれていないイエスの13歳から29歳までの空白の17年間について触れましたが、この空白のある期間に、イエスはバプテスマ(洗礼)のヨハネの弟子として色々な教えを受けたと主張する学者がいます。
カトリックの信者だった遠藤周作もそのように捉えていたところがあります。
著書の「イエスの生涯」の一部を引用します。
「洗者ヨハネ教団のなかにあってイエスはほとんど自分を全面に出されなかった。だが自分を主張されなかったことは、必ずしもこの教団のすべてを肯定されたことではない。彼の眼にうかぶ苦しげな色はこの教団に従順に従われている間も決して消えなかったように私には思われる。イエスはたしかに、聖都エルサレムの神殿と衆議会とを支配しているユダヤ教主流派のサドカイ派やパリサイ派を糾弾する洗者ヨハネの声に共鳴されていた。」
<注>遠藤周作は、バプテスマのヨハネが多くの弟子をかかえていたので、「ヨハネ教団」という表現を使ったようです。
空白の17年間のある時期にイエスがヨハネから様々な教えを受けた弟子であったとする主張に私は賛同しません。
なぜなら、聖書の記事を心底信じるからです。
次の聖書箇所をご覧ください。
マタイの福音書3:13~15
<注>13節と15節の「ユダヤ人」は主にサドカイ派やパリサイ派などの宗教指導者を指すようです。
上記の聖書箇所を読んで、皆さんは、イエスがヨハネの弟子であったと考えますか。
聖書を素直に読めば、誰一人として、イエスがヨハネの弟子だったなどとは読み取ることはないでしょう。
イエスは、16節で「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方(父なる神)のものです。」と明確に語っています。
イエスがバプテスマのヨハネの弟子であったのなら、ユダヤ人たち(宗教的指導者)も知っていたはずです。
ヨハネの弟子でなかったからこそ15節に書いているようにユダヤ人(宗教指導者)は驚いて「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」と言ったのです。
結局、一部の学者や遠藤周作がイエスがヨハネの弟子だった可能性を考えるのは、聖書以外の様々な資料を調べているからです。
しかし、その様々な資料にも、イエスがヨハネの弟子だと断定しているものはないのです。
「〇〇資料のここにこのようにイエスがヨハネの弟子であると書いている」と主張しているわけではないのです。
要するに聖書以外の様々な資料から推測しているだけなのです。
このようにイエスがヨハネの弟子だったと推測するということは、聖書よりも聖書以外の資料をより信用しているということになりはしないでしょうか。
イエス・キリストに信仰を持っていない学者たちが、聖書に重きを置かずに聖書以外の資料に重きを置くのは理解できるにしても、キリスト者(クリスチャン)が聖書以外の資料に重きを置くのはどういうことなのでしょうか。私には理解しかねます。
私も聖書研究をする過程で、反聖書及び反キリストの作家が書いた本を含め聖書以外の数多くの書籍等の資料を調べますが、聖書の教えに反する主張をする資料に心を動かされることはありません。
特定の宗教団体のメンバーではない無教会者の私なので、その宗教団体の教義に縛られることはないので、納得もせずに無理をして宗教団体の教祖が独自に解釈した聖書の教えと称するいかがわしいものを頑なに信じる必要がありません。
ある宗教団体の信者の自称クリスチャンが聖書を信じていると称して、未信者に聖書研究をすすめたりしますが、その信者と対話して気付くことは、聖書を信じているというよりも、その宗教団体の創設者や幹部の独自の聖書解釈を信じているに過ぎないことがよくわかります。
天地万物の創造主(神)とイエス・キリストの御心に忠実にありたいという思いがある私は、創造主(神)とキリストの御心の表れである書物が聖書であると確信しているので、これからも私は、私自身の本能と直感を信じて聖書研究を続けるだけです。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。