創造か、進化か(その①)
地球は46億年前にできたのでしょうか。
そして、万物は偶然にこの世に生まれ、進化したのでしょうか。
人類は20万年前に現れたのでしょうか。
本日から、天地万物がどのようにしてこの世界に現れたのか、聖書とその他の資料から検証したいと思います。
まず、次の聖書箇所をご覧ください。
旧約聖書・創世記1:1~5
旧約聖書・創世記1:14~19
一章3節の「光があれ。」と神が仰せられると光ができ、5節でこの光を昼、このやみを夜と名づけられた、とあります。
これが天地創造の第一日目です。
神が創造された、この「光」とは何でしょうか?
聖書初心者の頃の私は当然「太陽」だと受け取りました。
ところが、第四日目に「光る物」を造られ、大きな光る物には昼をつかさどらせるようにされたとあります。
そこで、聖書初心者の私は混乱したのです。
神様は、2度太陽を造ったのか?
6日間で天地創造をしたなどとバカげたことを書いていることも含めて、大昔の聖書を書いた人の頭の中の構造が疑わしく、創世記の天地創造の箇所はあまり読む気がしなくなりました。
しかし、聖書の学びが進むにつれ、聖書の真実性を受け止めることが少しずつできるようになり、創世記の天地創造から本格的に取り組むことになって、目が開かれることになります。
私と違い、皆さんはすぐに理解したことでしょう。
そうですね、第一日目の「光」は、「光る物」ではなく、まさに「光」そのものなのです。
日常生活で人間は、太陽や照明器具から発せられる光で「光」を感じますが、この発せられる根源的「光」そのものを創造主は第一日目に創造されたのです。
「光は発光体より出づるものではなく、神より直接創造されたもの」と矢内原忠雄(1893年~1961年、無教会のキリスト者、経済学者・東京大学総長)はその著書に書いています。
次の聖書箇所をご覧ください。
<参考>「都」は千年王国の後にできる新天新地の中に据えられる聖なる都のことです。
上記の聖句から、創世記の創造の第一日目の「光」はイエスご自身だと解釈する人もいます。
ただ、この解釈だと、この「光」が創造される前には、イエスは存在していなかったことになります。
三位一体の第二位格の神であるイエス・キリストご自身が「すべてのものを造られた」とヨハネの福音書1:3に書かれています。
皆さん、少し立ち止まって目を閉じて、想像してみて下さい。
皆さんが現代に生きている人間ではなく、光の性質など未解明の自然科学の全く発達していない数千年前に生きている神話を書く作家だとしたら、天地創造の第一日目に何を書きますか。
ぼんくら頭の私だったら、「光」そのものを造ったなどと、これっぽっちも思い浮かびません。
「神は、天地創造の第一日に太陽をお造りなった」としか書けないでしょう。
聖書が単なる作り話、神話だと一笑に付すわけにはいきません。
創世記一章1節及び2節も奥深い聖句なので、解説したいところですが、今回は割愛します。
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https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。