神によるテストと試練(パートⅠ)
私たち人間は、神の愛をひたすら求め、神が人間に愛を示してくださることを期待します。
しかし、聖書が啓示する神は、次の二つのことをするお方でもあることを知る必要があります。
(1)神は人間をテストするお方である。
(2)神は人間に試練を与えるお方である。
本日は、(1)について、検討したいと思います。
最初の人類であるアダムとエバを神はテストされました。
食べることを禁じられた「善悪の知識の木」は、神に従うかどうかのテストでした。
つまり、神への信仰が試されるテストです。
しかし、アダムとエバは、このテストに不合格となりました。
続いて、神はアブラハムに子イサクをいけにえとして捧げることを求め、アブラハムの信仰をテストしました。
次の聖書箇所をご覧ください。
旧約聖書・創世記22:2
旧約聖書・創世記22:10~13
アブラハムは、何故、イサクをいけにえとして神に捧げる決心ができたのでしょうか。
それは、アブラハムには、神が真実なお方であり神のことばに偽りがなく必ず実現するとの信仰があったからです。
神はアブラハムにイサクを捧げることを求める前に次のことを約束されました。
旧約聖書:創世記21:12
「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」とあるように、イサクがいけにえとして死んでも、死後必ず復活して子孫をつないでいくとの信仰がアブラハムにあったのです。
このことは、新約聖書・ヘブル人への手紙11:17~19に次のように書かれています。
キリストは、十字架の上で死んでから3日後に復活しました。
キリストの復活は、私たちキリスト者の初穂です。
新約聖書・コリント人への手紙第一15:20~25
(23節のキリストの「再臨」については、別の機会にブログアップします。)
キリストを信じた私たちキリストに属している者(クリスチャン)は、死後、復活の初穂であるキリストに続く者として、死後必ず復活することを確信します。
聖書の神のみことばは、必ず成就します。
聖書の学びが日々深まるにつれ、死者の復活は絵空事でもなんでもなく、確実にリアリティを持って実現することを私は感じています。
キリストを信じた一人一人が神にテストされることがあっても、決してぐらつくことのないアブラハムの信仰に見倣う者となれるよう祈りたいと思います。
アーメン。
次回パートⅡにつづく。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。