宗教改革500周年
太り気味なので、天気の良い日はウォーキングをしていましたが、中々体重が減りません。
そこで、10月から週3回ほど市民プールでスイミングを始めました。
クロールと平泳ぎを交互に約1時間ほどスローペースで泳ぎます。
さすが全身運動だけあって、お腹にダブダブと付いていた脂肪も結構とれてきました。
今日の日曜日は、市民プールの利用者が多いのでスイミングは休んで、近くの川沿いをウォーキングしようと思っています。
さて、今日のテーマに入ります。
今年は、宗教改革から500年が経ちます。
宗教改革は、マルティン・ルターが1517年10月31日に、ドイツ東部にあるヴィッテンベルグの城教会の扉に「95ヶ条の提題」(免罪符に対する抗議書)を掲示したことに始まるとされます。
私の手許にある「いのちのことば」という小冊子の記事の一つを紹介したいと思います。
私も「ユダヤ人と彼らの嘘」を読みましたが、一部を引用します。
「彼ら(ユダヤ人)は一つの原則を保持して、それを頼りにしている。即ち、彼らは地上でもっとも高貴な国民の生まれ、アブラハム、サラー、イサク、レベッカ、ヤコブ等の子孫であるという事である。われわれ異教徒(ゴイム)は、彼らの目から見ると人間ではなく、ほとんど虫けらにも値しない。・・・」
「彼ら(ユダヤ人)は彼(イエス)を売春婦の子と呼び、彼の母マリアを売春婦と呼ぶ。彼女はイエスを鍛冶屋との不倫のうちに産んだとするのである。まことに不本意であるが、私は悪魔と戦うために非常に粗野な言葉を使わねばならない。彼らが単なる憎悪とわがままでこうした嘘をつくのは、ただ彼らの哀れな若者や単純なユダヤ人達がイエスの教義(それを彼らは否定できない)を受け入れてしまわぬよう、我らの主に対する偏見を彼らに抱かせるためなのである。・・・」
ルターは、当ブログでは引用がはばかれるほどの激烈な言葉をもってユダヤ人を攻撃しています。
昔の私はユダヤ人すべてがユダヤ教徒であると思い込んでいましたが、この小冊子の記事に出てくる「メシアニック・ジュー」という言葉が示すように、ユダヤ教徒ではなくイエス・キリストを信じているユダヤ人達も徐々に増えているということです。
<参考>
メシアニック・ジューとは、ユダヤ人であってイエスをメシア(救い主)と信じている人たちです。
簡単に言えば、ユダヤ人のクリスチャンということですが、メシアニック・ジューは、(個人差はあるようですが)クリスチャンと呼ばれることを好まないようです。
メシアニック・ジューはユダヤ人であることに誇りを持ち、イエス(イェシェア)をメシアと信じる信仰にも誇りを持っている人達ということでしょう。
イエス・キリストを十字架に吊るしたユダヤ人及びそれに賛同したユダヤ人だけでなく、ユダヤ人全体を憎む反ユダヤ主義者が現在の今も数多くいます。
しかし、イエス・キリストご自身がユダヤ人として誕生し、マタイ、ヨハネ、ペテロなどの12人の使徒(弟子)もユダヤ人なのです。
さらに、上記で書いたようにイエスをメシア(救い主)と信じるメシアニック・ジューがいることも忘れてはなりません。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。