星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

師弟

雨が降らない日は、ほぼ毎日夕方の1時間ほどウォーキングをしています。近くに公園があるのですが、下の写真でもわかるように人通りの少ない(福岡)都市高速の高架下側道を歩いています。夕方の西日も都市高速によって遮られ、そして、さわやかな風が吹くので、この夏は心地良いウォーキングを楽しむことができました。

ウォーキング中は聖書、神、イエスのこと、そして、ブログに何を書こうかとアレコレ考えています。

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本日のテーマに入ります。

昨日以上に長文になります。

まず、B(ブルース)・M(マンニング)・メツガー(生1914年~没2007年、新約聖書本文批評の世界的権威)の著書「新約聖書の本文研究」の一部を引用します。

尚、昨日のブログに登場したバート・D・アーマンの師匠に当たる人物です。

「十五世紀に活字印刷の技術が発明されるまで、新約聖書の本文は、新約聖書だけでなく、古代の文献の本文はみなそうであるが、一字一字、たんねんに書き写すことによってのみ伝えられてきた。したがって、写本の成り立ちや書き写しの過程を研究することは、古代文化を学ぶ者にとって、また特に新約聖書を学ぶ者にとって、きわめて重要なことである。・・・<中略>・・・古代においては、粘土板、石、骨、板、皮革、金属板、陶器の破片、パピルス、(牛、ヒツジ、ヤギの)皮紙などが文字を書きとめるために用いられた。これらの材料のうち、新約聖書を学ぶ者が特に関心をよせるのは、最後の二つである。というのは、ほとんどすべての新約聖書の写本が、パピルスか皮紙でできているからである。」

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続いて、昨日に続きバート・D・アーマンの著書「捏造された聖書」の一部を引用します。

「現存する新約聖書ギリシア写本を研究すればするほど、目の前に立ちふさがってくる問題があった。オリジナルは神の霊感によって書かれたと主張するのは良い。だが現実には、私たちの手許にはオリジナルなんてないのである。だからオリジナルを再現することができない限り、霊感云々は言っても詮無いことなのだ。しかもその上、キリスト教会というものが出来てこの方、キリスト教徒の圧倒的大多数はオリジナルを手にすることができていないという点も、その霊感を疑わしいものにしている。むしろオリジナルどころか、そのオリジナルの直接の複製すら存在していないのである。・・・<中略>・・・私たちが手にしているのは、後になって、それも、かなり後になってから作られた複製だ。・・・<中略>・・・古代の世界で本を複製する方法はただひとつ、人間の手で一字一字、一度に一語ずつ書き写すことだ。・・・<中略>・・・書き写す写字生は、テキストに必ず何らかの改変を加えるからだ。つまり、偶然か(ペンが滑ったとか、そんな感じの不注意)あるいは意図的にか(写字生が書き写している単語に故意に改変を加える)の理由によって、書き写す単語を変えてしまうのだ。」

バート・D・アーマンには、写本は写し間違いがあるのが当然だという思い込み先入観があるようです。

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続いて、無神論者であったリー・ストロベル(生1952年~、作家、元新聞記者)は、妻がキリスト教徒になったことをキッカケに新聞記者の取材力を武器に、キリスト教神学者や大学教授に神の存在についての疑問をぶつけたり、様々なキリスト教関連文献を当たるうちに、キリスト教徒になった人物です。

彼の著書「ナザレのイエスは神の子か?」の中に、取材対象となった上記のB・M・メツガーとの対話がありますので、その一部を引用します。

「『正直、最初に新約聖書の原本がないと知ったとき、どうにも懐疑的になりましてね。コピーのコピーのそのまたコピーしか存在しないわけですね。この状態で、今日私たちが読んでいる新約聖書とオリジナルが同じだと、どうして信じられるのでしょうか』私は博士に尋ねた。『それは何も聖書に限った問題ではなく、古代から伝えられてきたすべての文章に言えることでしょう。しかし、新約聖書が信頼できる、特に他の文章に比べて俄然信頼できるという理由は、今まで残されてきた写本の多さにあります』と博士は答えた。『どうしてそれが重要なのでしょうか』、『つまり、同一の写本が多いほど、特に違う場所から同一の写本が見つかったという事例が多いほど、それぞれの写本を見比べて原本の内容を推察することがしやすくなります。人間の系図になおして考えると、わかりやすいかもしれません。つまりこうした写本のもとをたどっていけば、それが同じ家族から派生した子孫であることが証明されるわけです。』・・・<中略>・・・『博士は研究者として何十年もの間、研究され、教科書になるような本を執筆され、新約聖書を徹底的に調べてこられたわけですが、こうしたことがご自身の信仰にどう影響したと思われますか』、『そのことですか』と博士は嬉しそうに言った。『新約聖書が今日までしっかりと受け継がれてきた事実、圧倒的な写本の多さ、そして大変古い時代の写本があるという事実を得て、私の信仰の基礎はさらに強固なものとなりましたね』」

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キリスト教を棄てたバート・D・アーマンは、昨日引用した彼の著書「破綻した神キリスト」の中で神が全能ではなく愛でもないことを聖書の様々な聖句と悲惨な現実世界を引き合いに出し説明します。

「捏造された聖書」では、聖書はコピーにコピーを重ねたもので神の書ではないとの主張を展開します。

簡単に言えば、神及び聖書を信じることができなくなった彼には、彼の思い込みによって、聖書の真実性が見えなくなってしまったというのが、私が持った印象です。

 

バート・D・アーマンとB・M・メツガーの関係を軽いものにする意図は全くありませんが、ダースベイダーとダースベイダーになる前のアナキン・スカイウォーカー時代の師匠オビ・ワン・ケノービとの師弟関係を重ねて見てしまいます。

 

最後に、私が長々と二人の立場を扱ったのは、結局、世界のすべての人間がこの二人のどちらかの道を選ぶことになるということを言いたかったのです。

B・M・メツガーの立場を取る人間(キリスト者)は圧倒的に少数派(狭い門)です。

 

新約聖書・マタイによる福音書7:13~14には有名なイエスが語った聖句が記されています。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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