星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

ダースベイダーにはなりたくない

前回は小休止してエネルギーを補充することができました。

本日は、力が溢れているので、いつも以上に長文です。

最後まで、読んでいただけると幸いです。

 

まず、バート・D・アーマン(生1955年~、ノース・キャロライナ大学教授兼宗教学部長)の著作「破綻した神キリスト」の一部を引用します。

少々長くなりますが、ご辛抱ください。

「私は熱心に聖書の学習に取り組み、その多くを暗記してしまった。特に新約聖書は初めから終わりまで一字一句違わず暗唱できるほどになった。聖書学と神学に関する免状をもらってムーディ(聖書学院)を卒業すると、次にイリノイ州にある福音派キリスト教の学校であるホイートンに行った(ここはビリー・グラハムの母校である)。そこでギリシア語を学んだ私は、新約聖書を原語で読めるようになった。そこで私は、新約聖書ギリシア語写本の研究に生涯を捧げたいと考えるようになり、長老派の学校であるプリンストン神学校に行くことにした。そこの有能な教授陣の中に、アメリカ最高の文献学者であるブルース・メツガーがいたのである。このプリンストンで、私は神学修士の学位―牧師になる修行―を取り、そしてついに新約聖書の研究によって文学博士号を取った。このような学歴を書いたのは、つまり私がガチガチのキリスト教徒であり、キリスト教の信仰に関しては隅から隅まで知り尽くしていたということを示すためである。結局はその信仰を失うことになるのだが。・・・<中略>・・・だがいずれにせよ最終的には私はキリスト教を棄てざるをえなくなった。それは簡単なことではなかった。それどころか、私は足をばたばたさせて泣き喚きつつ、何とか信仰にしがみつこうとしたのである。何と言っても、私は子供の頃から信仰に慣れ親しみ、10代以降はそれこそ人生を懸けてのめり込んできたのだ。だが私は、もうこれ以上信じることのできない地点にまで辿り着いてしまった。話せば長くならざるを得ないが、簡単に述べよう。要は私は、キリスト教の主張と人生における事実の双方を妥協無く受け容れることができないということに気づいてしまったのである。ことに、世界の状況を見る限り、この世界にして全能にして愛なる神が能動的に介入しているということはあり得ないと言わざるを得ない。地球上の多くの人々にとって、人生とは悲惨と苦しみの詰まった肥溜に他ならないではないか。私はもはや、この世を統轄する善良で親切な神が存在するということを信ずることができなくなってしまったのだ。・・・<中略>・・・ついに私は敗北を認めたのだった。私はもはやキリスト教の神を信じることはできないと悟り、不可知論者となった。不可知論者である私には、神が存在するかどうか『判らない』。だがもし存在するなら、その神はユダヤキリスト教が主張するような能動的かつ強力にこの世に介入する神ではないということは間違いない。こうして私は教会に行くのを止めた。」

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(この本は、旧約聖書の内容について触れている箇所も多く、聖書初心者の方には、お勧めできません。)

 

聖書を丸ごと信じているキリスト者である私が、キリスト教を棄てたバート・D・アーマンの本を何故引用したのか。

それは、聖書の神を信じない多くの人達が持つ心情が、彼が持つに至った心情と共通するのではないかと考えたからです。

 

その心情を簡単に書くと次のようなことです。

世界には、いまだに戦争が止むことがなく多くの死者と難民が生まれます。

テロが多くなることがあっても無くなる気配がありません。

干ばつや地震、洪水が世界のいたるところで起こり飢餓で苦しむ人々で溢れています。

生まれながらの障害で苦しむ人、様々なウィルス感染により死者が絶えることはありません。

神が愛であり、全能であるならば、積極的、能動的に介入して、これらの人間の悲惨極まる苦難を一掃してくれないんだ、という叫びが多くの人間の心情です。

 

キリスト教に関心を示して一般書店でよく目にするマザーテレサの本を買って読んでみると、「愛」の重要性が巻頭から巻末まで一貫して語られています。

マザーテレサの本だけでなく、多くのキリスト教の本では、必ず聖書の「神は愛である」を引用しています。

 

ところが、現実世界は、バート・D・アーマンが(上記引用文で)書いているように「人生とは悲惨と苦しみの詰まった肥溜に他ならないではないか。」と感じています。

 

せっかく、キリスト教に関心を示しても、一般書店で購入した本が、神は愛であるということを強調し過ぎるが故に現実世界とのギャップが生じ、神を感じることができずキリスト教の信仰に至らないような気がします。

 

また、バート・D・アーマンのようにキリスト教徒であった人が信仰から遠ざかる一因になるような気がします。

 

9月16日のブログ「神がしない、一つのこと。究極の自己責任」の一部を再度ここでそのまま書きます。

「天地万物の創造主である神が創造された自然界(被造物)を観察し、もっとも身近な人間の体全体が神の恵みにどれほど満たされているかを考えると、神が人間の苦難の多い人生を死を持って終わらせることなど、どう考えても不合理です。地球自体の現状を観察してもそうです。神の辞書に不可能の文字がないはずの全能の神が、その気になれば、今この瞬間に地震、洪水などの災害を一掃できるはずなのに、それをしないのは、どう考えても不合理です。したがって、キズついた今の世界(天地万物の被造物)が終わりをつげ(終末)、次の新たな完全な世界(神の御国)を全能の神が用意されると考えることは(聖書全体はこのことを書いている)、極めて合理的であると確信します。」

 

バート・D・アーマンがキリスト教を棄てる要因になった彼の主張、心情は理解できないこともありません。

その昔私も彼と似たり寄ったりの心情を持っていました。

心情が理解できても、その主張を受け入れることは絶対にできません。

彼は、ユダヤ人がヒットラーによって大量虐殺されたホロコーストを神は沈黙されたと主張します。

未熟なキリスト者の私も神の本当のご意思はわかりません。

ただ、すべての人が全能の神の存在を否定したり疑っているわけではないのです。

ホロコーストを生き抜いたユダヤ人の子孫の中にもキリスト教徒が沢山いるのです。

 

私に文章力があれば、本を出版してこのことを訴えたいところですが、稚拙な文章しか書けないことを自己認識しているので諦めています。

 

唐突ですが、バート・D・アーマンの「破綻した神キリスト」を読んでいて、スターウォーズのダースベイダーを思い浮かべました。

ダースベイダーはそもそもフォースを使うジェダイの騎士でしたが、妻パドメを死の運命から救いたいためにシスの暗黒卿に利用され暗黒面(ダークサイド)に堕ちていきます。

<参考>フォースとは、架空のエネルギー体のこと(ウィキペディアより)

ダースベイダーは映画のキャラとしては最高ですが、こと聖書とキリスト教に関しては、フォースの暗黒面(ダークサイド)に堕ちたダースベイダーのようにはなりたくありません。

 

キリストは世の光です。

 

まっすぐキリスト(光)を見つめ地上の人生を全うしたいものです。

そして、確信を以て来るべき神の御国に希望を持ちます。

 

最後に、新約聖書ヨハネによる福音書12:44~50を引用します。

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本日も最後までお付き合いいただき、感謝します。
 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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