与えたくてしかたがない
昨日のブログでは、5個のパンと2匹の魚を男の人数だけで5000人に与えた聖書のエピソードを引用しました。
著者のルカは、何故、群衆の数を「男だけでおよそ五千人もいたからである」というような書き方をしたのでしょうか(本日初めて当ブログをお読みの方は、まず、昨日のブログをお読みください)。
ここに、私は、聖書の真実を見ます。
作り話デッチ上げであれば、「男女子供合わせて、およそ〇〇人もいたからである」と書けば済むことです。
また、「人々はみな、食べて満腹した。そして、余ったパン切れを取り集めると、十二かごあった。」と書かれています。
「人々はみな、食べて満腹した。」と書くだけで十分なはずなのに「そして、余ったパン切れを取り集めると、十二かごあった。」と書き加えているのです。
事実だったから、その通り書いただけのことなのでしょう。
ここのエピソードで、私は、神のご性質の一端を感じます。
それは何かと言うと、「神はケチじゃない」と言うことです。
人数分ちょうどのパンと魚を与えたのではないですよね。
パン切れが十二かご分残ったのです。
ここのエピソードだけでなく、旧約聖書に出てくる様々なエピソードを読むと神は、食物だけでなく、あふれる程豊富な祝福を人間に与えてくれます。
旧約聖書の出エジプト記では、エジプトを脱出したイスラエル人が荒れ野にいたとき、イスラエル人はモーセにパンや肉を腹いっぱい食べたいと不平を言いました。
そこで、神は天からマナと呼ばれるパンとウズラ(鳥肉)を豊富に与えます。
聖書を伝説としてしか捉えていない学者は、マナは自然界で採れる植物であろうと説明します。
そうだとしたら、ウズラもウズラではなく伝説の架空の鳥を登場させて、読者に事実はウズラのことだと読み取らせればよかったのではないでしょうか。
聖書を信じていない人は、事実とは考えず他に解釈を求めるようです。
ただ、私は、このような解釈も歓迎します。
聖書研究の過程では、聖書を事実と認めない解釈があることで、却って聖書の真実をあらためて認識することができるからです。
神は、愛する私たち人間に「与えたくて、与えたくて」しかたがないのです。
話は変わりますが、動物の生態を紹介するテレビ番組で、敵から自分の身を守るために草原や森の色に似る色(保護色)に進化したとか、堅い甲羅を進化によって身に着けたなどの説明がなされます。
もちろん私は進化論なんてものは、議論する余地の全くないものとして、眼中にありません。
しかし、私はあることを考えてみました。
不本意ですが仮定として話せば、敵から身を守る最善の進化は、「食べたらマズイ」「食べたら毒によって死ぬ」と敵に認識させることだと思うのです。
わざわざ、何億年もかけて堅い甲羅を身に着けるより、短期間に敵から身を守ることができる効率の良い進化ではないでしょうか。
先程も書きましたが、進化論など眼中にない私がここで言いたいのは別にあります。
ステーキは好きですか。
ポークソテーは好きですか。
秋刀魚は好きですか。
何故、こんなに美味しいのでしょうか。
牛刺し、馬刺し、鳥刺し、魚の刺身など生でも美味しいです、生だから美味しいのかもしれません。
我々人間の味覚は、色々な香辛料によって、人間が誕生した時の味覚が徐々に麻痺して食物本来の旨味を味わえなくなっているのかもしれません。
ライオンやトラも、ただ、生きるためのエネルギー源としてだけで獲物を食べているのではなく、美味しいと感じて食べているはずです。
また、そのように神は創造されています。
動物には味覚はない、と言う人もいるかもしれません。
しかし、その動物にとって、美味しくないものは一旦口に入れても吐き出しています。
様々な種類の動物を観察すると食べることが一生のすべてであると思える程です。
常に食べ物を求めています。
人間だけでなく、ライオンやトラにも味覚があります。
味覚が、もし、なかったらどうでしょうか。
想像もしたくないです。
味覚をさずけてくださった神に感謝します。
食物に関して、次の聖句があります。
新約聖書・テモテへの手紙第二4:1~5
神は「与えたくてしかたがない」のです。
神は与える神です。
奪う神ではありません。
今はまだ、神がご計画されている、人間をあらゆる面で豊富に祝福する本来の地球の姿ではありません。
神から権威をさずかったキリスト・イエスが支配する「神の御国」によって実現します。
天におられるキリスト・イエスが「神の御国」を支配するために天から地上に来られることを「再臨」と言います。
これに対して、約2000年前のイエスの誕生の時を「初臨」と言います。
このキリスト・イエスの再臨に向かって、神のご計画は着々と一歩一歩進んでいます。
キリスト・イエスの「再臨」については、別の機会に語ります。
このことは、私の妄想や空想ではありません。
聖書に明確に書かれています。
聖書を丸ごと神の書として受け入れ信じれば容易に理解できることです。
浅知恵で頭の悪い私ですら、聖書を学べば理解できることですから、読者の皆さんが本格的に聖書を学べば、あの時、馬場(HN星周作)がブログで書いていた通りだったと思い出してくれるはずです。
カルトの教祖が「私を信じなさい」又は「私の言っていることに間違いはない」、だから「〇〇を購入して、病を癒しなさい、悪霊を除霊しなさい。」と言ったりするようです。
私(馬場)は、私の言っていること(ブログ記事)を信じてくれとは言っていません。
神のメッセージに反する情報を提供しないよう、聖書の記事に沿った情報を皆さんに提供しているつもりです。
私の言葉ではなく、聖書を信じてくださることを願っています。
聖書を読めば理解できることですが、神のスタンスが、そもそも、人間に神を信じることを強制していません。
人間が自発的に、創造主の神である父を発見して神の御心に従ってくれることを切に望まれています。
神は忍耐して待っています。
しかし、神の忍耐も、そろそろ終盤に来ているのかも?
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。