星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

矛盾、批判(パートⅠ)

本日のブログは次回アップする予定でした。

ただ、一日でも早く、皆さんに伝えたい重要な情報だと思い直し、本日アップすることにしました。

 

クリスチャンになって数年、ないし、数十年になる方も意外と知らない情報かも知れません。

手前味噌ですが、キリスト教に興味を持ち始めた人には、極めて重要な情報だと思っています。

 

本日のブログは本当に長くなりますが、ご辛抱ください。

 

まず、2冊の本の一部をそれぞれ引用します。

キリスト教の本(上)>

新約聖書福音書は全部で『マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ』の4つであり、巻頭から順に3書は『共観福音書』と呼ばれている。3書は物語の各所において、極めて類似したプロットを共有し、共通の資料をもとに書かれたと推測されるからである。共通の資料とは、一番古くに書かれた『マルコ福音書』である。『マルコ福音書』が物語の骨子となり、マタイ、ルカの福音書に用いられているのである。次の資料は、マタイとルカの福音書に用いられたと推測されるイエス語録集(Q資料)である。」
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<聖書の起源>

「こうしたマルコ福音書の特徴に加えて、そもそもマルコ資料が、福音書の中で、最古の伝承資料であるという事実のゆえに、ナザレのイエスの生涯は、もっぱらマルコ福音書を基礎にして記述されてきた。」
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赤文字で示したように、上記2冊の著者は、最も古いマルコ福音書を参考にマタイとルカの福音書が書かれていると言っています。

 

2人の著者は、マタイとルカの福音書の著者はイエスを目撃した者でも独自取材もしていない者であって、マルコの記事を丸ごとコピーとは言わないが、それに近いものだと言っているようです。

 

この2人の著者の主張は正しいのでしょうか。

 

問題の3福音書を検討したいと思います。

そこで、3福音書が取り上げている複数ある共通場面の内、ある一つの場面の新約聖書の聖句を引用します。

 

ピンクの蛍光ペンの箇所に注目してください。

 

新約聖書・マルコによる福音書10:46

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新約聖書・マタイによる福音書20:29~30
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新約聖書ルカによる福音書18:35

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福音書を比較して、皆さんはどう感じられましたか。

 

矛盾を感じましたか。

 

マルコとマタイは「エリコを出た」と書いているのに対し、ルカは「エリコに近づかれた」と書いています。

 

実は、エリコという町は、イエスが活動していた当時は2ヶ所あったのです。

旧約聖書時代のエリコ新約聖書時代のエリコがあったのです。

そして、現在のエリコを合わせると3ヶ所ということになります。

そんなバカな、と思われるでしょう。

 

教文館刊「聖書大事典」に次のような説明があります。

旧約聖書の時代あるいはそれ以前の時代には、今日のエリコの町より北西2.5kmのテル・エッスルターンに位置していた。(新約聖書の時代の)ヘロデ大王が新たに築いたエリコは、トゥルール・アブー・エルアラーイクのそばを流れる、ワディ・ケルトの両側にまたがっており、今日のエリコの西1.5kmの所にある。」

 

次の地図をご覧ください。

3ヶ所のエリコがわかりますか。

左下の赤丸の箇所がエルサレムです。
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きょう取り上げた聖書記事では、イエスが十字架にかけられることになるエルサレムを目指していました。

エス一行は旧約聖書時代にできたエリコを出て、新約聖書時代にできたエリコに近づいていたのです。

それから、この新約聖書時代のエリコから目的地エルサレムに向かっていくのです。

 

つまり、マルコとマタイは旧約聖書時代のエリコを出ていく視点で書いているのに対して、ルカは新約聖書時代のエリコに近づいていく視点で書いているのです。

 

マルコとマタイは「エリコを出た」と書いているのに、ルカは「エリコに近づかれた」と書いているじゃないか矛盾する、聖書は信じられない、と批判する人達がいます。

皆さんはどう捉えますか。

 

続いて、マルコの記事では「バルテマイという盲人」と書いているのに、マタイは「ふたりの盲人」と書いているじゃないか矛盾する、聖書は信じられない、と批判する人達がいます。

 

これは、単純です。

マタイが書いたように盲人は2人いたのです。

ただ、2人の盲人のうちバルテマイに注目してマルコが書いたというだけのことです。

 

最初に書いたように、マルコ福音書を基礎にマタイが福音書を書いたと主張するなら、マタイも「ふたりの盲人」などと書かずにマルコの書いた通り「バルテマイという盲人」と書くはずです。

 

以上です。

 

聖書の記事は矛盾していますか?

聖書の記事はデッチ上げですか?

 

私には、皆さんにこれを信じろ、などと言う権限は、もちろんありません。

私の今持っている情報を皆さんに提供するだけです。

もちろん、私は聖書に矛盾はなく真実の書だと確信しています。

 

最後まで、ご覧いただきありがとうございます。

 

<次回に続く>



 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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