聖書の妙な癖(その③)
(その②)の続き。
奴隷状態であったイスラエルの民は、モーセの導きによりエジプトから脱出しました。
神はモーセの兄アロンを大祭司に任命します。
なお、大祭司とは、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職です。
平たく言えば、神と人間のつなぎ役です。
アムステルダム聖書博物館にある大祭司のモデル。
大祭司の装束の胸に12個の宝石が付けられていますが、これは、イスラエルの12部族を表しています。
エジプトから脱出したイスラエルの民はシナイの荒れ野に着きます。
モーセがシナイ山の頂で十戒を含む神の言葉を授かっている間、モーセの帰りを待ちきれなかった民は形ある神が欲しいとアロンにせがみます。
アロンは女たちの金の耳飾りを集めて金の雄牛を造ります。
なお、金の耳飾りは、エジプトにおいて無報酬で奴隷として働いたときの報酬として受け取ったものです。
以上の聖書の記事から、2つの「聖書の妙な癖」を私は感じます。
<その1>
大祭司という重要な役割をモーセではなく兄アロンという不思議です。
人間的な発想であれば、別の言い方をすれば作り話であれば、エジプト脱出の大功労者のモーセが大祭司に任命されることが、一般読者が最も納得するストーリーではないでしょうか。
<その2>
さらに金の雄牛事件(偶像崇拝)に加担したアロンが大祭司となる不思議です。
その1と同様に人間的発想ではないですね。
ここで、私の個人的な考えを以下述べたいと思います。
そもそも、神に対して皆さんはどんなイメージを持っていますか。
ここで私が取り上げたいのは、神は「真実の方」であるということです。
神が冗談を言うことはないでしょう。
神はウソつきではないでしょう。
神が発した言葉が冗談やウソであったら私たち人間が神を信頼することはできません。
神の言葉は、人間の語る言葉とは違い極めて重いものです。
神はアロンを大祭司に任命しました。
アロンが加担した金の雄牛事件は、モーセがシナイ山で十戒を含む神の言葉を授かっている最中です。
アロンには十戒の一つである偶像崇拝の禁止をまだ知らされていません。
アロンの大祭司任命は取り消されることはありませんでした。
神が一度発した言葉は、神自身が忠実に必ず実現します。
ここに、金の雄牛事件に加担したにもかかわらずアロンの大祭司任命が取り消されなかった鍵があると私は考えます。
神の言葉は重いものです。
神を侮ることは出来ません。
神を畏れるべきです。
神は、神に背を向けた者を裁くと繰り返し(聖書で)語っています。
神は、イエスを信じた者は死んでも復活し、永遠の命を与えると繰り返し(聖書で)語っています。
神の言葉は必ず実現します(と私は確信します)。
私にとっての「ほんもの(実在的なもの)に特有なあの妙な癖」について、次回のブログでも書きたいと思います。
↓ ↓ (その④)はこちらをクリック
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
・親鸞、日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。