あなたは誰に似ていますか?
まだ、聖書に触れたこともなく、もちろん神も知らなかったとき、何かの本で「神は自分のかたちに人を創造された」という言葉を目にしましたが、「へえ、そうなのか、ホンマかいな?」と、つぶやきましたが、深く受け止めることはありませんでした。
口語訳聖書(創世記1:27) ↓
それから数年後、聖書自体ではなく、聖書入門書を読む機会が巡ってきて、再度、この言葉に触れたとき、ちょっとした疑問を持つようになりました。
「神は自分のかたちに人を創造された」とあるが、別の聖書の箇所では「神は霊である」(ヨハネによる福音書4:24)「神を見た者はまだひとりもいない」(ヨハネによる福音書1:18)などの聖句が出てくると、「神は自分のかたちに人を創造された」という言葉と矛盾があるような気がし、頭が混乱しました。
混乱はしましたが、さほど気にすることもありませんでした。
それから数年の年月が経ち、聖書を本格的に学ぶようになり、学びが深まるにつれ、「わたし(イエス)を見た者は、父(神)を見たのである」(ヨハネによる福音書14:9)という聖句に導かれ、イエスを知ることにより神を知ることができるようにもなり、「神は自分のかたちに」似せて創造してくださったことの計り知れない重みと人間に対する神のあふれる愛を知るようになり、神に深く感謝するようになりました。
「神は自分のかたちに」とは、どういう意味を持つのか、わたしなりの答えを持っていますが、敢えて、ここでは書かないでおこうと思います。
聖書に触れる各人が聖書を学ぶうちに発見すれば良いのではないかと考えています。
聖書に触れたこともない方でも、知っている有名な聖句があります。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」
口語訳聖書(マタイによる福音書7:7) ↓
文語訳聖書では、「求めよ、さらば与へられん」です。
文語訳の方が、味わいがありますね。
今はまだ神を信じていない方も、潜在的に神を求める心があって、あなたにとっての時が来て、神を探し「求め」れば、答えが与えられます。
わたしも、神を知らないときから、神を知りたいという「求める」欲求が心の奥底にあり、神がその求めに応じてくださり、徐々に、わたしに「与えて」くださったと、今では考えています。
〈追伸〉
わたしたちは、親に似ています。
何故でしょうか。
当たり前でしょうか。
創造主である神の賜物です。
神からのプレゼントです。
(ほとんどの親は)自分に似た子供を見ていて、愛おしさがつのります。
神も、ご自身に似た人間を見つめて、愛おしさをお持ちです。
「神は自分のかたちに人を創造された」という言葉は、神と人間の関係を全て言い表しており、聖書の内容自体も結局この言葉に帰着するような気がします。
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・創造主だけが神
・万物を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「○○神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、人格がいくら高潔であっても、万物を創造せずして崇める対象に非ず。
☆星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室☆