「目からウロコ」の語源
「目からウロコが落ちる」の意味は、あることがきっかけとなって、迷いから覚めたり、物事の実態が理解できることのたとえですが、そもそも「目からウロコが落ちる」は、新約聖書・使徒の働き9:18の記事が語源だと言われています。
イエスの教えを信じる者たちを迫害するパリサイ派のサウロ(ラテン名はパウロ、サウロはユダヤ名)は天からの光で失明しましたが、イエス・キリストによって遣わされた弟子のアナニヤがサウロに手を置くとたちまち目からウロコのような物が落ちて元通り見えるようになりました。
このサウロの目から落ちる「ウロコのようなもの」の正体を知りたいと長い間思っていました。
仮に単なる比喩だとしても実際に何かしらの物がサウロの目から落ちていなければ比喩そのものが成り立たないはずです。
いつの日か必ず「ウロコのようなもの」の正体が判明する日が訪れると信じて聖書研究をしていました。
そして私が到達した結論は次のとおりです。
この「ウロコのようなもの」は単なる比喩ではなく、ウロコの正体は、恐らく、眼病の「結膜結石(けつまくけっせき)」ではないかと私は考えています。
ネットで調べると、まぶたの裏側の結膜に、小さな白色のかたい感じのかたまり(結石)ができる病気だとあり、結膜下に変性した細胞などが集まってできたもので、お年寄りや「結膜の炎症」の後などにできやすいと書かれていました。
少し話は変わりますが、私は30歳前後から50歳前後に数年おきに「尿路結石」が出来ていました。
経験した方はお分かりだと思いますが、この「尿路結石」による痛みは大袈裟ではなく七転八倒する痛みです。
尿路結石は腎臓などにできるシュウ酸カルシウムやリン酸カルシウムなどのかたまりのことですが、私に尿路結石が出来て痛みに苦しんでいたある日、小便をする時に小便と一緒に便器にポロッと「ブドウの種のようなもの」が落ちて、その「ブドウの種のようなもの」である「結石」をお医者さんに見せたことがあります。
サウロ(別名パウロ)もまぶたの裏側の結膜に出来た結石がポロッと「ウロコのようなもの」が落ちる経験をしたのだと思います。
聖書がウソ作り話なら、「イエス・キリストが 、サウロの目に手を置くと元どおり見えるようになった」と書くだけで十分ではないでしょうか。
「目からうろこのような物が落ちて」という表現は不要だし、事実起こったことでなければ決して思いつかない表現だと私は考えます。
事実起こったことであったからこそ、聖書記者はその事実を素直にそのまま書いたのだと思います。
皆さんはどう思われますか。
私は、聖書は作り話ではなく、事実・真実を書いたものだと固く信じています。
パウロはイエスの教えに反対する集団のパリサイ派の人物であり、イエスの教えを信じる者たちを迫害する急先鋒でした。
このパウロが新約聖書・使徒の働き9章に書かれているエピソードからイエス・キリストの福音(教え)を宣べ伝える大伝道者になっていきます。
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「世界が偶然できたというのはナンセンス「神が存在すると信ずるのは筋が通っている」・・・2014年3月米ローリングストーン誌のインタビューに答えて
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★