星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

衝撃的なことば

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エスは12人の弟子に次のように語りました。

マタイの福音書10章37節をご覧ください。

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私が20代の時、聖書が啓示する神(創造主)を知らない時、聖書を全く読んだことがない時に、何らかの本(マザー・テレサの本?遠藤周作の本?)の中に上記の聖句が書かれているのを読んで、かなり違和感を覚えました。

あなたの父と母を愛するようにわたし(イエス)を愛しなさい。」と書かれているのであれば、さほど違和感なく納得できたのでしょうが、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」とはどういうことか。

正直理解に苦しみました。

私だけではなく、人によってはこの聖句に反発するのではないでしょうか。

自分の父や母、自分の息子や娘が他の誰よりもまして愛する人のはずです。

それなのに、イエスは父や母、息子や娘以上にわたしを愛せよと語ったのです。

何と衝撃的なことばでしょうか。

後年、聖書を本格的に学び、聖書が啓示する天地万物の創造主が唯一まことの神であることを知ることになり、さらに、聖書に書かれている幾つかの聖句によってイエス・キリストが神(創造主)であることを知ってからは上記の聖句のことばに違和感を覚えることもなく素直に受け入れることができるようになりました。

ヨハネ福音書1章1節~3節でイエスが「ことば」であり神(創造主)であると書かれています。

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エスが神ではなく私たち普通の人間よりわずかに優れた能力を持っているに過ぎない人間であれば、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」ということばは、あまりにも突拍子もないものであり、到底受け入られるものではありません。

しかし、イエスは創造主である神なのです。

私という人間を造り、私の父や母を造った方なのです。

エスは創造主である神であるからこそ、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」と言えたのです。

このことばは神(創造主)でなければ言えることばではないのです。

人間が言えることばではないし、人間が言ってはならないことばです。

聖書が人間の作り話、創作であれば冒頭に書いたように「あなたの父と母を愛するようにわたし(キリスト)を愛しなさい。」としか書けなかったはずです。

しかし、聖書は真実の書、真理の書なのです。

真理の書であるからこそ、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」と衝撃的なことばが書けたのです。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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預言が成就した!

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旧約聖書には、イザヤ、エレミヤなどの何人かの預言者が登場しますが、本日は預言者ミカを取り上げたいと思います。

まず、ミカ書1章1節をご覧ください。

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この1章1節の記事から預言者ミカが活躍した時代が紀元前8世紀であることが分かります。

何故なら、「ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に」とあり、聖書以外の他の資料から、ヨタム王の治世が紀元前740~735年頃の6年間、アハズ王の治世が紀元前735~716年頃の19年間、ヒゼキヤ王の治世が紀元前716~687年頃だということが分かっているからです。

 

続いて、ミカ書5章2節をご覧ください。

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ベツレヘム・エフラテよ、」と呼び掛けられ、続いて「あなたは」とありますが、ベツレヘム・エフラテは決して人の名前ではなく、エルサレムの南南西8キロほどの土地の名です。

そして、このベツレヘム・エフラテの地から将来「イスラエルを治める者が出る。」という預言です。

イスラエルを治める者」とは救い主(キリスト、メシア)のことです。

預言者ミカとほぼ同時代の紀元前8世紀に活動した預言者イザヤも次のように救い主(キリスト、メシア)が将来現れることを預言しています。

イザヤ書9章6節~7節をご覧ください。

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このように、ベツレヘムの地で「イスラエルを治める者」、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる方が現われると預言されました。

このミカやイザヤの預言した時代から約700年後に成就しました。

マタイの福音書2章1節をご覧ください。

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このように救い主(キリスト、メシア)のイエスベツレヘムの地で現われることは紀元前8世紀、つまり、約700年も前から預言されていたのです。

なお、預言者イザヤやミカが活動した後の時代(紀元前627~583年頃)に活動した預言者エレミヤは次のように救い主(キリスト、メシア)が現れることを預言しています。

エレミヤ書23章5節~6節をご覧ください。

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聖書に書かれている預言は必ず成就します。

今は天におられるイエス・キリストが再びこの世に来られること(再臨)が預言されていますが、今のところ成就していません。

使徒の働き3章20節~21節をご覧ください。

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上記の「回復の時」「万物が改まる時」とは、神に背いて堕落した人間の罪によってのろいのもとに置かれた万物が、今は天におられるキリストがこの世の終わりに再臨されて、救いが完成することを意味します。

この聖句のようにイエス・キリストは今は天におられますが、この世に再臨される日が必ず訪れます。

希望をもってイエス・キリストの「再臨」を待ち望みたいと思います。

 

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

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知性ある創造主の存在

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本年最初のブログは、ドイツの一流の科学者でありキリスト者でもあるヴェルナー・ギット博士の著書の一部(赤血球の技術革新)を引用します。

ヴェルナー・ギット博士は、ドイツの科学技術研究機関であるドイツ連邦物理学・科学技術研究所において教授兼所長を務めていた経歴を持つ方です。

・・・・・ 

私たちの血液の1立方ミリメートル(1マイクロリットル)に、約5百万個の赤血球が含まれています。この赤血球は特化した専門的な機能を持っており、生命の維持に不可欠な重要な役割を果たしています。

・赤血球の寿命は120日であるが、その間175,000回も肺を通過し、酸素の供給を受け、同時に二酸化炭素を肺まで運び、排出しています。

・赤血球は、その極小サイズのおかげで、体の先端の、極めて細い毛細血管の中を通り抜けることもできます。

・私たちの身体では、この赤血球が一秒毎に約2百万個も新しく作り出されていて、その一つ一つが、驚くほど複雑な化合物であるヘモグロビンを含んでいます。

ヘモグロビンは、発達中の胚に酸素を運ぶのにも利用されていますが、胚の段階と妊娠約9週以降の胎児では酸素の必要は大きく異なっており、それはまた誕生後とも異なってきます。つまり、胚、胎児、生後の三段階において、それぞれ化学的に異なる構造をしたヘモグロビンを必要とするのです。そして、誕生の直前には、胎児の体内の化学工場では、成人ヘモグロビンが大量に生成されるよう切り替わります。

このような3タイプのヘモグロビンが、進化の過程で試行錯誤を繰り返しながら自然発生するということはあり得ません。なぜなら、ヘモグロビンの構造が少しでも異なった形をしていれば、酸素を十分に運ぶことができずに生命を落としてしまうことになるからです。もし仮に二つの段階で必要となる正しい構造のヘモグロビンが偶然に出来上がったとしても、三つ目の構造を生成する遺伝情報が最初から存在していなければ、やはり死に至る結果となります。人が受精卵から誕生に至るまでの発達において、三段階それぞれに必要な分子を生成するためには、全く異なる化学合成機構を持ち合わせている必要があるのです。その上、各合成機構はそれぞれ正しいタイミングで作動したり停止したりしなければなりません。このような複雑な仕組みは、一体どこから来たのでしょうか?

進化論に基づく諸説では、どれ一つとして満足な答えをすることができません。進化論では生物が次の生物へと進化している途中段階の生物が存在しなければならないのですが、そのような中間形の生物は生きることができません。ヘモグロビンの合成機構は、全て最初から完全な状態で備わっている必要があるのです。

これは「還元不可能な複雑性(irreducible complexity)」というコンセプトで、免疫機能にも当てはまるし、バクテリアが動き回るのに必要な鞭毛にも当てはまります。いずれの場合においても、機能が未完成の「途中の段階」にある生物は生き延びることができません。よって、それらの構造は最初から完成した形で存在した、と考える方がより事実に即した説明であると言えます。そして、最初から完成した形で存在するということは、知性ある創造主がそれを最初から完全に機能するよう設計し、創造した、ということを指し示しているのです。

<注釈>

文中に出てくる「胚」とは、簡単にいうと幼生物のことですが、ウィキペディアでは「胚とは多細胞生物の個体発生における、ごく初期の段階の個体を指す」と説明しています。

・・・・・

最後までご覧いただきありがとうございます。

なお、ヴェルナー・ギット博士が「科学者として聖書を信じる理由」というテーマで講演したユーチューブもご覧いただければ幸いです。

www.youtube.com

 

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人間の幸・不幸

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人間は勝手なもので、自分の仕事が順調で家庭も円満で、何の悩みもなく幸せな時は、神の「か」の字も頭に思い浮かぶことはないのに、自分が不幸のどん底に落ちると神に助けを願い祈るけれど、祈りが叶わないと「この世に神などいない」と心のうちで叫びます。

神という存在は、人間の「幸」「不幸」の状況に左右されて、神が現われたり、消えたりするものなのでしょうか。

 

ここで、マタイの福音書11:2~6を引用します。

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上記の聖句について、イギリスの牧師フレデリック・B・マイヤー(1847年~1929年)は次のように語っています。

バプテスマのヨハネは、キリストにつまずきかけていました。なぜなら、イエスは、いっこうにメシア(救い主)であると宣言されず、その先駆者である私が獄中につながれているのに、救いの手を差し伸べてくださらない。

はたして、これが真のメシアであろうか、と。

私たちにも、折々このような疑念が広がって来る時があります。

もし本当に私を愛してくださっているなら、どうして主(神)はこの苦境から私を助け出してくださらないのか、慰めのしるし(奇蹟)らしいことも無いのは、私を無視しておられる証拠ではないだろうか。

エスは本当に救い主なのだろうか、と。

しかし、主は弁解もされず、ヨハネに助け手を差し伸べることもなく、ただ盲人が見、足なえが歩き、死人が生き返り、貧しい者には福音がのべ伝えられているという事実を示されただけでした。

あたかも『たとえあなたを獄中から助け出さなくとも、わたしがメシアであることを信ずるか』と言われるかのように。

自分の幸・不幸の具合で、メシアを疑い、つまずく者はいまだし、いまだしなのです。」

・・・・・

私たち人間は、自分の幸・不幸の具合で、神の存在を認めたり、否定したりすることがあるようです。

皆さんはどうですか。

聖書が啓示する天地万物を創造された唯一まことの神は、人間の幸・不幸や思惑に関係なく、間違いなく存在する御方です。

 

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〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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地球及び人類が誕生したのはいつ?

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聖書には創造主である神が6日間で天地万物を創造されたと記していますが(創世記1章)、聖書に書かれているアダムの生きた年齢(930年)やアダムの子孫の生きた年齢(ノア・950年、アブラハム175年など)から逆算すると、地球を含む天地万物が創造された時期は、紀元前4000年頃と推定されます。

 

因みに、アダムの誕生を、万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンが聖書を基に算定した年は紀元前4004年、宗教改革マルティン・ルターは紀元前3961年としています。

 

以上のことから、聖書に書かれていることを事実と捉えている人たちは地球年齢を現在の2019年から遡ること約6000年前だと考えているのです(私もその中の一人です)。

 

しかし、ここで重大な疑問が生じてきます。

それは「もし創造主(神)が天地万物を今から6000年程前に創造したのなら、なぜ星は数万光年や数百光年も離れたところに存在するのか?」という疑問です。

 

この疑問に答える前に「光年」とは何なのかを確認しておきたいと思います。

光年とは天文学で用いられる距離(長さ)の単位です(ウィキペディア)。

時間の経過の測定単位ではないのです。

つまり、夜空に輝く遠くの星が数百万光年離れていると語られる際、その星の輝きが地球に届くまでに数百万年かかったという時間の経過を意味しているのではなく、そのくらい離れた距離のところにあるということを意味しているのです。

 

ここで、不思議なことが書かれている3つの聖書箇所を引用します。

ヨブ記9:8

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イザヤ書42:5

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イザヤ書44:24

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何故この箇所を書いた人物は「天を延べ広げ」と書いたのでしょうか。

現代人の私たちは天体望遠鏡人工衛星などの存在によって天(宇宙)が果てしなく広大なことを知ることが出来ています。

しかし、現代人と異なり古代の人は狭い範囲しか確認できない肉眼で空を観察した際に、どうして広大な天(宇宙)を連想するような「天を延べ広げ」などという表現ができたのでしょうか。

「天を延べ広げ」などという表現は、神の啓示なくして、人間の知恵だけで書けるようなものではないと私は考えています。

「天を延べ広げ」という表現に、夜空に輝く遠くの星が数百万光年も離れている秘密が隠されているように、私には思えてなりません。

 

創世記1章1節に「はじめに神が天と地を創造された。」と書かれています。

今から約6000年前に、天を神が創造された際に、まさに神は「天を延べ広げ」たのです。

延べ広げた結果、星々が天の遥か遠くの場所に存在するようになったのです。

以上が私の出した結論です。

皆さんはどのように考えられますか。

<追記>

鍾乳洞で観察される大きな鍾乳石が出来るには数十万年、数百万年の長い歳月が必要であると言われています。

一般に鍾乳石の成長率は1000年でわずか0.1~10㎝であると言われています。

このことから、地球が誕生したのは6000年前などではないと否定する人たちもたくさんいます。

しかし、本当に鍾乳石ができるのに数十万年、数百万年も必要とするのでしょうか。

シベリアで出来た鍾乳石の断面を分析すると1年で1㎝以上の成長を見せているのもあるそうです(詳細は省略)。

つまり、鍾乳石は短期間で出来るようです。

数十万年、数百万年の長い歳月をかけ鍾乳石が出来たのではなく、約6000年前に地球が誕生してから鍾乳石が徐々に成長して現在のような大きさの鍾乳石を全国各地の鍾乳洞で見ることができるのではないでしょうか。

 

 

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人生の賭け

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神の存在を信じない無神論者の男性が、熱心なキリスト教徒の高齢の女性に次のような質問をしたそうです。

 

無神論者の男性

「もし、あなたの信じている聖書に書かれている天国や永遠のいのちが本当は作り話で、でっち上げだったらどうしますか?」

 

キリスト教徒の女性

「わたしは、ぜんぜん平気よ。だって、神の存在や聖書を信じていないあなたと同じようになるだけですもの。

でもね、あなた、私が信じている通り聖書に書いていることが真実であれば、神を信じない、そして、イエス・キリストを信じないあなたは、神に裁かれることになるのよ。それでもいいの?」

 

聖書を信じている人(クリスチャン)にとって、その聖書が作り話、でっち上げの書物であったとしても、聖書を信じていない人と同じになるだけのことであり、聖書を信じたことによるリスク、損失はありません。

しかし、聖書に書かれていることが真実であれば(もちろん、真実ですが)、聖書を、神を、イエス・キリストを信じなかったことによるリスク(神に裁かれる)、損失は計り知れないものとなります。

 

医師でもあるプロテスタントの折田泰彦牧師の著書「天声塵語」より一部引用します。

パスカルの原理で知られ、哲学者でもあったブレーズ・パスカルは、その著書『パンセ』の中で友人に問います。

『神がいるか、いないか、君はどちらに賭ける?』と。

『いや、どちらかを選べということ自体が間違っている。正しいのは賭けないことだ。』

『そうかもしれない。しかし、賭けなければならない。君はすでに船に乗り込んでいるのだから。すでにこの世に生きている以上、この勝負から降りることはできないのだ。賭けないこと自体が、結果的に一つの選択となるからだ。

賭け金は自分の人生なんだ。【神はいる】というほうに賭けたとしよう。勝てば君は永遠の命と無限に続く喜びを得ることになる。今の人生も意味のあるものになるだろう。賭けに負けた(神はいない)としても、失うものは何もない。

逆に【神はいない】というほうに賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝った(神はいない)としても、君の賭けはこの世の幸福だけだ。死後は無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けた(神がいる)時には、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるから。』

さあ、あなたはどちらに賭けられますか?」

 

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すべての真実がわかる時

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すべての疑問に対する答え、すべての真実は、死ねばわかります。

聖書が啓示する唯一まことの神が存在すること、イエスが救い主(メシア、キリスト)であること、イエス・キリストを信じた者が死んだ後に復活して永遠のいのちを持つことなど、聖書に書かれていることがすべて真実であったことが、死後、神と対峙した時にすべて明らかにされます。

 

人間には2つの道(あるいは2つ門)しかありません。

神、イエス・キリストを信じる道(門)か、神、イエス・キリストを信じることがなく生きて行く道(門)です。

中間の道(門)は存在しません。

 

ここで、マタイの福音書7章13節及び14節のイエス・キリストが語られた有名なことばを引用します。

 

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人間の死後、神と対峙した時に「いのちに至る門(道)」を歩んできたのか、「滅びに至る門(道)」を歩んできたのかがはっきりとすることでしょう。

 

さらに、マタイの福音書13章47節~50節のイエス・キリストが語られたことばを引用します。

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「後悔先に立たず」です。

死後、神と対峙した時に後悔しても手遅れです。

後悔しないために、そして、泣いて歯ぎしりしないためにも、一日でも早く聖書を学び、聖書が啓示する唯一まことの神、イエス・キリストを信じる道(門)を一人でも多くの人が選んでくれることを願っています。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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