人の心に火をつける
今、私の手元に医師でもある折田泰彦牧師の著書「天声塵語」があります。
この本の一部を引用します。
「イエス様の遺言は、『全世界に出て行って福音を宣べ伝え、人を信仰に導き、主の弟子に育てなさい』ということに尽きます(マタイの福音書28:19~20)、真の弟子とは、当時の弟子たちと同じように、主によって火をつけられた人です。」
私自身も聖書を学ぶことによって主イエス・キリストによって心に火をつけられた人間の一人です。
そして、主イエス・キリストの僕(しもべ)、弟子になりたいと改めて強く願うようになっています。
ですから、真の弟子になるためには、折田牧師が書いているようにイエス様の遺言であるマタイの福音書28:19~20の所謂(いわゆる)大宣教命令に従い、福音を宣べ伝え、一人でも多くの人たちの心に火をつけなければと思っているところです。
そして、今、私の出来ることとして、私と何らかの形で触れ合った人たちに福音を宣べ伝える活動をしているところです。
先日のブログでも書きましたが、下記の名刺を渡したり、4年ほど休止していたフェイス・ブックを再開して聖書の学びを一人でも多くの方にしていただくよう勧める投稿をしています。
<表>
<裏>
このブログとは別に聖書の話題を一切書かないFB(フェイス・ブック)の投稿をしていた4年前までは、多くの「いいね」がありましたが、休止していたFB投稿を再開し聖書の話題の投稿をすると、宗教の話題は敬遠されるのが当然ですから「いいね」の反応はありません。
しかし、決して私は落胆してはいません。
「いいね」を押していなくても、必ず、読んでいてくださる人がいるはずだと思っています。
それが、たった一人のFB友達でもよいのです。
その一人のために投稿を続けたいと思っています。
要するに私の活動によって、直ぐに多くの人の心に火がつくなどと、これっぽっちも思っていません。
ただ、私の出来ることをするだけです。
そして、後は主イエス・キリスト及び聖霊が、その人の状況に応じて適切な時期にその人の心に火をつけるのです。
本名「馬場忠博」で投稿しているFBも宜しければ覗いてみてください。
↓ ↓
ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。
次回は2019年1月3日(木)にアップします。
https://bible-seisho.jimdo.com/
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
恐れることはない
度々、登場してもらっているイギリスのキリスト教の説教者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)の著書の一部を引用します。
「すべて運次第だと思いますか。神にとって想定外の出来事などあるのでしょうか。友よ、それはあり得ないことです。神にとって何事も偶然はありません。・・・<中略>・・・神の許しなしに何事も起こることはありません。神の力なしには何事も起こらないのです。『見よ。炭火を吹きおこし武器を作り出す職人を創造したのはわたしである。それをこわしてしまう破壊者を創造したのもわたしである』(イザヤ書54:16)と言われているように、主によって力が与えられなければ、どんなに凶暴な人であってもその指一本さえも動かすことはできません。・・・<中略>・・・何らかの理由で、私たちの命が失われることがあるかもしれないと仮定してみます。しかし、起こり得る最悪のことが、起こり得る最も良いことに変わるのではないかと私には感じられ、思わず口もとがほころびます。たとえ今、私たちが地上の命を終えなければならないとしても、その後は永遠に主とともにいることになるのです。起こり得る最悪のことが、生じ得る最善のものになるとすれば、恐れる必要などあるでしょうか。」
ルカの福音書12:32をご覧ください。
主イエス・キリストに信仰を持つ者は、何も恐れることはないのです。
起こり得る最悪のことが(予期せぬ病や災害などで死ぬ)、起こり得る最善のものになるとすれば(神の御国でキリストとともに永遠に生きる)、何も恐れることはないのです。
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次回は12月31日(月)にアップします。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
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<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
世界史と聖書(キリスト教)
高卒の私です。
ただ、高校を卒業できたことが不思議なくらい高校時代に勉強した記憶がありません。
中学生の時は、自分で言うのも何ですが、よく勉強をしていました。
しかし、高校生になってから色気づいたこともあって、勉強をした記憶がないのです(笑)。
ですから、中学生の時の知識及び成人してからの歴史小説などを好んで読んだことにより日本史はそこそこ知っていることも多々あるのですが、世界史となると暗黒状態の私でした。
神聖ローマ帝国などという国があったことすら知らなかったのです(笑)。
皆さんは世界史に詳しいですか?
そんな私ですが、今、世界史の中でも特に西洋史にはまっています。
今更、世界史を学んだところで無意味のようですが、聖書及びキリスト教の歴史を研究する上で世界史も学ぶ必要性を痛感したのです。
世界史を紐解いていてわかることは、聖書とキリスト教を中心軸にして世界史を展望すると複雑に入り組んだ難解な民族や各国々の栄枯盛衰も不思議とよく見えてくるのです。
イギリスの歴史の中でも、テューダー朝の時代、それもヘンリー八世の時代は中々読み応えがあります。
16世紀の宗教改革の時代を背景としてカトリックとプロテスタントの攻防が絡んだヘンリー8世の離婚問題とザ・ヴァージン・クィーン(処女王)と呼ばれたエリザベス1世の母親アン・ブーリンとの結婚に至るまでの起伏に富んだエピソードなど興味が尽きません。
このヘンリー8世を描いた10年程前のドラマ「チューダーズ」(DVD全19巻)は結構面白かったですよ。
私の感想としては、第一話は面白くありませんでした。
だから、あまり面白くないドラマかな、と早合点をするところでしたが、第二話から俄然面白くなってきます。
歴史上のことをフィクションを交えながらドラマ化したもので結末は分かっていても充分楽しめる作品となっています。
未視聴の方は、レンタルDVDを借りて、ご覧になってはどうでしょうか。
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ブログアップは月曜日・木曜日の週2回です。
次回は12月27日(木)にアップします。
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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
わたしはぶどうの木
月曜日(12月17日)にアップした木彫の「柿の葉っぱのお盆」は、この日が教室の日だったので彫りが完了しました。
塗り仕上げは来年早々にする予定です。
次は、「ブドウの手鏡の浮彫り(レリーフ)」を手掛けます。
写真は、下絵だけを描いた状態です。
ブドウの実の丸い感じと凹凸、枝の武骨な感じ、葉のなめらかな感じと起伏をしっかりと出せるよう彫り進めたいと考えています。
皆さんは、男の私が「手鏡」などを?、誰かにプレゼントでもするのだろうか?、
と思われたのではないですか?
「私の後頭部のハゲ具合を見るため」と回答して置きます(笑)。
そもそも、ブドウを彫りたいと思い立ったのは、聖書の中でイエス・キリストが弟子に語った有名な言葉があるからです。
皆さんにご覧いただいている当ブログを書く前までは、フェイスブックで投稿していました(ただし、聖書の話は一切なし)。
2015年1月25日を最後に休止していたFBを先日(12月16日)再開しました。
今後はFBでも聖書に関することをメインに投稿する予定です。
当ブログは今までと同様にアップします。
FBの投稿はブログの内容と基本的には同じですが、簡略化した投稿になると思います。
本名の「馬場忠博」で投稿していますので、宜しければ、FBも覗いてみてください。
なお、FBの友達申請をする御方は、メッセージに「ブログ読者」と書いて送信していただけると幸いです(メッセージなしの友達申請は基本的には承認していない為)。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
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〈私の信条〉
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★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
彼の言うことを聞きなさい
「柿の葉っぱのお盆」が7割程彫り進みました。
今、葉脈と葉脈の間にU字形の凹窪みを彫って葉に表情が出るようにしています。
材料の木は「樟(クスノキ)」ですが、彫るたびに樟特有の香りがして、教室に居ながらにして森林浴をしているようです(先生の言葉)。
木彫教室は月3回で朝10時から14時の4時間です。
昼食はすぐ近くにスーパーがあるので、パンやおにぎりを買って食べています。
本来14時で終わりなのですが、先生の好意で16時まで自習ができます。自習と言いながらも、実際は先生が指導してくれています。
木彫をしていると16時までの6時間が短く感じられます。
先生は「私の技術と知っていることをすべて教えるつもり」だと言ってくださっています。
ですから、私の持っている木彫の本や図書館から借りた本のどこにも書かれていないことを実際教えてくださっています。
教室には1年間程度通うことを考えていたのですが、先生は人柄も良く指導も懇切丁寧なので、もっと長くこの先生の教室に通うことになりそうです。
何年先になるか分かりませんが、ほんの少しでも先生の技(わざ)に近づけるようコツコツと継続していきたいと思っています。
さて、本日のテーマに入ります。
前回のブログでも書いたイギリスのキリスト者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)は、ある時イザヤ書45:22に触れて、肉の人(旧い自分)から神の子として生まれ変わりました(ボーン・アゲイン)。
イザヤ書45:22をご覧ください。
日本では、「交通安全の神」「安産の神」「学問の神」など様々な(偶像)神がいます。
しかし、聖書に啓示された神以外に神は存在しないことを心に銘記すべきです。
そして、この唯一の神が、人間の罪の贖い主として主イエス・キリストを地上に遣わしてくださいました。
イエス・キリストが弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登っている時に天から声がありました。
マタイの福音書17:5をご覧ください。
この聖句にあるように、唯一の神は「彼(イエス)の言うことを聞きなさい。」と命じられました。
ですから私たち人間は、歴史上の人物、賢人?と巷でもてはやされている人物、ビジネスで成功した人物などの(これらの人物の言葉も重要ですが)どんなに優れた人間の言葉よりも最優先でイエスのことばを聞かなければなりません。
さらに、ペテロの手紙第二1:20~21に記されているように、神が語ったことばが書かれている聖書を最優先で学ばなければならないのではないでしょうか。
ペテロの手紙第二1:20~21
そして、主イエス・キリストが私たち人間から真理の目を開いてくださり、そして、永遠のいのちに導いてくれるのです。
永遠の時からすれば人間の一生など一瞬の時に過ぎません。
そういう意味では、地球の70数億全ての人間の死が真近に迫っていると言えなくもありません。
しかし、この一瞬の時の間に人間は、病に苦しみ、貧困に苦しみ、戦争や災害によって近親者を亡くすなど、様々な苦難に絶え間なく遭遇します。
主イエス・キリストに信仰を持つキリスト者にとって「死」とは何でしょうか。
キリスト者にとって「肉体の死」は、必ずしも悲劇ではなく、短い一生の人間の様々な苦難からの解放であり、キング・オブ・キングス(王の中の王)の主イエス・キリストが統治する神の御国での永遠のいのちに至る、栄光への移行という祝福なのです。
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〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
終活
私にとっての日々の聖書研究の主な目的は、父なる創造主(神)、主イエス・キリスト、聖霊という三位一体の神との霊的な交流をすることです。
そして、最重要のテーマは、「死後の復活」と「永遠のいのち」です。
ただ、出来得れば、私を含めた全世界のキリスト者がこの地上で生きている間に主イエス・キリストによって携えられて天に引き挙げられること(携挙・けいきょ)を目撃する祝福に与かることを希望します(全ては創造主の御心にお任せ致します)。
念の為、携挙の聖句を引用します。
テサロニケ人への手紙第一4:16~17
<携挙について書いている過去ブログを未読の方は、↓こちらもご覧ください。 >
さて、本日のテーマに入ります。
人間にとって「死」は、話題にしたり、考えたくないタブー(禁句)だったはずですが、最近、「終活」という名のもとに人間の「死」がビジネス化して軽く扱われているような気がしているのは私だけでしょうか。
「終活」という名のもとに高齢者が断捨離をしたり、遺言や葬儀の準備をしたり、納棺の体験をしていたとしても、一人静かに死と対峙すれば、死をたやすく受け容れることができるわけではなく、心の声は「死にたくない」「生き続けたい」という願いのはずです。
無神論者であっても、現実に死が真近かに迫れば、心の奥底で「神様助けてください」と叫んでいるのではないでしょうか。
もしも「死」というものがなければ、人間が神の存在を真剣に考えたり、神を求めることもないのではないのか、と最近私は考えるようになりました。
ところで、私も「終活」をしています。
ただ、私のしている「終活」は、葬儀の準備や納棺の体験などではありません。
常に当ブログで書き続けているように、私はキリスト者として「死後の復活」と「永遠のいのち」を信じています。
私たちキリスト者の国籍は天にあり、この世に一時的で滞在している旅人であり寄留者です。
ピリピ人への手紙3:20~21
ペテロの手紙第一2:11
つまり、この世での役割を終えた肉体が土の塵に還る(つまり死)時は、本来の国籍である「天」に帰還することになるわけです。
そして、創造主(神)が定めた時が来れば、キリストと同じ「新しいからだ」を身に着けて復活をすることになります。
したがって、キリスト者にとっての死は全ての終わりではなく、全ての始まりなのです。
ですから、私の「終活」はこの世の旅人、寄留者として役目が肉体の死によって終わりに近づいて、国籍の天に帰還するための活動を毎日現在進行形でしていることを指すのです。
この現在進行形でしている活動とは、冒頭で書いた聖書研究を通じて三位一体の神と霊的な交流をし、そして、主イエス・キリストの命令であるところの福音を一人でも多くの方に宣べ伝えることなのです(イエスの大宣教命令・マタイの福音書28:19)。
本日のブログの終わりにイギリスのキリスト教の説教者C・H・スポルジョン(1834年~1892年)の著書の一部を引用します。
「私は、自分の教会の会員の中で、死の時、わずかでも恐れや不安を示した人を一人も目にしたことがありません、彼らは恵みに満たされ、その最期の困難な時を乗り越えたのです。主イエスは痛みと死に勝利する力を彼らに与えてくださったのです。彼らは墓に行くよりもむしろ結婚式に行くかのようにこの世を去って行きました。もし信仰者の臨終に立ち会う機会が与えられるとすれば、あなたがもっているさまざまな疑いはすぐに取り除かれることでしょう。私には大きな謎があります。天における最初の五分間はいったいどんな様子なのでしょうか。天における数千年とはいったいどのような時間なのでしょうか。また、天における数万年とはいったいどのような時間なのでしょうか。肉体から一時切り離され魂は、主イエスの胸の中で完全に幸いな状態で休むことになるでしょう。しかし、時がくれば、よみがえりの時がやって来ます。今のこの体は完全な栄光の中で復活し、魂と体の再結合が起こります。そして、私たちはよみがえられた主と同じような状態にされるのです。やがてやって来る栄光の素晴らしさを想像すると、私の思いはその期待で膨らみます、」
C・H・スポルジョンについて知りたい方は下記のサイトをご覧ください。
https://bible-seisho.jimdo.com/
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〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
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<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
見えないものを信じることが出来る歓び
本日のテーマに入ります。
ある宇宙飛行士が、遠い遠い遥か銀河の彼方に旅に出ました。
そして、ある惑星に着陸すると、他の惑星と同様そこは岩石と砂だらけの不毛の土地で生命の痕跡を見ることはありませんでした。
何日か探検しているとある場所で信じられないものを発見したのです。
それは造花のバラでした。
そこで宇宙飛行士は、この造花のバラを造った知的生命体がこの惑星にいるはずだと、数か月、数年、数十年の間探しましたが、結局知的生命体と遭遇することは出来ませんでした。
ここで、皆さんに質問です。
このバラを造った知的生命体すなわち創造者などいるはずはなく、この惑星で何千万年、何億年の時の経過によって自然に存在するようになったと結論を出しますか?
もちろん、こんな結論を出す人は皆無のはずですネ。
しかし、この地球では、造花のバラよりも一層複雑な生花のバラが何千万年、何億年の時の経過によって「進化」によって自然に存在するようになったと考えている人達が残念ながら数多くいるのです。
聖書に啓示されている天地万物の創造主(神)を、私たち人間の眼で見ることは出来ません。
このブログを読んでいただいている方の中で、聖書には興味を持っていて神を見たら信じることが出来るけど、見たことがないので、まだ信じることができない、という方は、この見えない創造主(神)の御業の現われである(動植物の)被造物を見て、創造主(神)の存在に思いを巡らせてはどうでしょうか。
ノルウェーの神学校の教授だったオーレ・ハレスビー(1879年~1961年)は、著書「みことばの糧」の中で、この詩篇19:1に関して次のように書いています。
「人間が自然の中にも神を知ることができるようにと、神は創造のみわざの中に、神ご自身をあらわして下さいました。」
見ることの出来ない創造主(神)であっても、見ることのできる創造主(神)の御業である天地万物(被造物)を観察することにより、創造主(神)の存在を十分に信じることが出来ている今の私は、嘘偽りなく日々歓びを感じています。
キリスト者であった「万有引力の法則」を発見したアイザック・ニュートン(1643年~1727年)も自然の営み(天体・宇宙)を観察することによって創造主(神)の存在を認識した一人ですが、彼の著書「プリンキピア」で、彼が創造主(神)について述べている箇所を一部引用します。
「これらの物体(惑星および彗星)は、実にただ引力の法則のみによってその軌道を保っているのではあるが、これらの法則から、軌道の正規の位置を最初に自分で導きだし得たのでは決してなかった。・・・<一部省略>・・・このいとも美しい太陽、惑星、および彗星の体系は、智と力に満ちた存在者の計画からのみ生じうる。・・・<一部省略>・・・彼は永遠で無限、全能で全智である。すなわち、彼の持続は永遠から永遠にわたり、彼の存在は無限から無限に及ぶ。彼はすべての事物を支配し、およそ在るもの、また、なされうることを知る。・・・<一部省略>・・・至高の神が必然的に在すということは、すべてによって認められる。・・・<一部省略>・・・われわれは神の本質を知らない。われわれは彼を、彼のいとも賢く優れた事物の仕組みと究極因とによってのみ知る。」
1936年ニュートンの残した膨大な研究手稿集が競売にかけられ著名な経済学者ケインズ(1883年~1946年)がその半分を落札しました。
この手稿集の中には、「聖書に基づく歴史」に関するものが多数含まれていました。
そして、ケインズはこの手稿集を見てニュートンの「恐るべき秘密」を発見したと発言したというのです。
「恐るべき秘密」は、ニュートンが異端説の信奉者だというのです。
異端説とは「イエスは神ではなく、神の被造物にすぎない」というものです。
これはカトリックおよびプロテスタントともに信条としている「三位一体」を否定する神学です。
<「三位一体」について書いた下記の過去ブログを参照してください。>
何故、ニュートンは「三位一体」を否定する異端説を信奉していることを秘密にしていたのでしょうか。
このことについて東京大学名誉教授の渡辺正雄(1920年~)は、著書「科学者とキリスト教」で次のように書いています。
「ただ、残念に思われるのは、ニュートンの神学は三位一体の教義を認めない、正統的ではない神学であったということである。当時、もしもそのことが知られると、彼はケンブリッジ大学での教授の地位を追われることになったかもしれないし、50歳代の後半に就任した造幣局長官を免職されたかもしれない。そこでニュートンは、そういう異端的な神学思想を人々に知られないようにひたすら隠していたのである。」
因みに私は「異端」という言葉をあまり好ましく思っていません。
何故か、その理由については別の機会に当ブログで書く予定です。
アイザック・ニュートンをはじめ数多くの科学者も人間の眼で見ることのできない創造主(神)の存在を、天地万物(被造物)を観察することにより認めています。
一人でも多くの人が、一日も早く天地万物の創造主(神)の存在を確信し、主イエス・キリストへの信仰に導かれるよう、お祈りいたします。アーメン。
5月3日のブログ「一般啓示と特別啓示」を未読の方は、こちらもご覧いただけると幸いです。
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〈私の信条〉
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