異邦人(その④)
(その③)の続き。
残虐非道なことをする異教徒(異邦人)のアッシリヤ人を預言者ヨナは極度に嫌っていたので、創造主(神)からアッシリヤ帝国の首都ニネベに行くことを命じられても、それに背いて反対方向のタルシシュに向かう途中大魚に三日三晩飲み込まれますが、ヨナが創造主(神)に祈ることによって、創造主(神)が大魚に命じてヨナを陸地に吐き出させることになります(ヨナ書2章)。
そして、ヨナはニネベに向かうことになるのですが、ここからはヨナ書3章をご覧ください。
ヨナ書3:1~10
5節に「荒布を着た」とありますが、やぎの毛で織った黒く目の粗い布で、悲しみや後悔の念を表す時に着たようです。
6節の「灰の中にすわった」とは、恥辱、悲しみ、悔い改めを表現する行為です。
7節の獣や家畜にも断食を求めているのは、悔い改めが非常に徹底していたことを示しています。
預言者ヨナが、そもそもニネベに行くことを嫌がったのは、ニネベ(アッシリヤ)が3章に記されているように、創造主(神)のことばによって悔い改めることを予測していたからです。
つまり、ヨナはイスラエルの敵であるニネベ(アッシリヤ)が悔い改めなどしないで、滅ぼされることを願っていたのです。
ヨナ書4:1~2をご覧ください。
私たちキリスト者が信じる創造主(神)は、悔い改める者を赦す「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かな御方」なのです。
続いてヨナ書4:3~11をご覧ください。
6節以降に出てくる「とうごま」という植物が何なのか、聖書中ここにしか出てこないので詳細は不明ですが、下の写真(バチカン、キリスト教美術館蔵)は初期キリスト教時代のコップに描かれたヨナの絵では「ひょうたんの木」となっています。
ヨナは12万のニネベの人々が全滅させられたかもしれないことにさほど心を痛めず、むしろ自分に日陰を作ってくれた植物(とうごま)が枯れたことに腹を立てています。
しかし、ヨナに代表される私たち人間の心根と異なり、創造主(神)の慈しみは、選民イスラエルだけに向けられたものではなく、創造主(神)は御自分が創造されたすべてのものを愛しておられるのです。
つまり、異邦人も間違いなく愛しておられ、家畜すら愛しておられるのです。
私が聖書を学び始めた頃に感じていた、「異邦人」という言葉に対する違和感は、創造主(神)がアブラハムの長男イシュマエルの末裔の異邦人のアラブ人を愛し、そして、アッシリヤ人だけでなく家畜をも深く愛しておられることを知って解消されることになったのです。
ユダヤ人と異邦人(全ての民族)に上下関係や優劣はなく、創造主(神)は分け隔てなく平等に愛しておられます。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
異邦人(その③)
(その②)の続き。
前回まではアブラハムの長男イシュマエル及び彼の子孫であるアラブ人という異邦人を、創造主(神)がイスラエル人、ユダヤ人と同じように祝福し、愛してくださっていることを確認しました。
本日は、ヨナ書の記事から異邦人について考えたいと思います。
まず、ヨナ書1:17をご覧ください。
聖書を神話や作り話だと主張する人たちと同じ様にかつての私もそのように考えていたときがあります。
ヨナが大魚の腹の中に三日三晩にいたという、このヨナ書の記事が、聖書が作り話だと考える理由のひとつだったのかもしれません。
しかし、聖書の学びが進むに従って、聖書は創造主(神)のみことばが記されたものであり、全知全能の創造主(神)の御業つまり奇跡が記された書であることが理解できるようになり、特に天地万物を6日間(144時間)で創造された奇跡と比べると、ヨナが大魚に飲み込まれ、その後吐き出されることなど、創造主(神)の御力からすれば造作無い、た易いことだと考えることができるようになったのでした。
そして、私たちキリスト者が信じる、真理を語る主イエス・キリストもヨナが大魚に飲み込まれた事実を次のように語ったことからもヨナの奇跡を信じることができるのです。
マタイの福音書12:38~40
ヨナの奇跡が事実でないなら、イエスがウソつきだと言うことになってしまいます。
この大魚はおそらくクジラだと考えられますが、聖書ではクジラとは書いていないので断定はできません。
不明なものは不明のままにしておきましょう。
預言者ヨナは、北王国イスラエルの第13代の王ヤロブアム2世の治世(前786年頃~前746年頃)の頃に活動したと考えられています。
それは、列王記第二14:23~25の記事で分かります。
25節にヤロブアム2世が「レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。」とありますが、レボ・ハマテはダマスコ(ダマスカス)の北方約190キロにある町で、アラバの海とは死海のことであり、ヤロブアム2世はその領土をダビデ時代に匹敵するほど拡張したのです。
このように北王国イスラエルはヤロブアム2世の時代に繁栄の絶頂を迎えるのです。
しかし、イスラエルの民をアッシリヤに強制移住(捕囚)することになるアッシリヤ帝国の脅威が迫ってもいました。
同じ25節のガテ・ヘフェルとはナザレの北東5キロほどのところにある町であり、預言者ヨナがこの地の出身であることがわかります。
イスラエル人の預言者ヨナは、残忍非道で知られていた異教徒(異邦人)のアッシリヤ人を極度に嫌っていました。
下の画像はアッシリヤ時代の王宮で見つかったレリーフ(浮彫り)です。
アッシリヤの兵士が弓を引いている左上には杭に串刺しされている3人の人間が見えます。
ある時ヨナは、創造主(神)からアッシリヤ帝国の首都ニネベに行くように命じられるのですが、ニネベとは反対方向のタルシシュに逃げようとします。
この預言者ヨナの行動は驚くべきものです。
いまだかつて創造主(神)からの召命に背いた預言者はいなかったからです。
ヨナ書1:1~3をご覧ください。
3節のタルシシュは列王記第一22:48(引用省略)やイザヤ書60:9(引用省略)の記事で分かるのですが、鉱石などの貿易が盛んな商業都市で、おそらくスペイン南部のタルテソスと考えられます。
そして、ヨッパはエルサレムの北西、地中海に面した港町です(新改訳聖書・注解書より)。
本日はここまでです。
次回は、預言者ヨナの経験から異邦人のアッシリヤ人を創造主(神)がどのように見ているのか、を確認したいと思います。
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・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
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★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
異邦人(その②)
(その①)の続き。
前回に続き本日も異邦人であるアラブ人の祖イシュマエルについて見ていきたいと思います。
まず、次の聖書箇所をご覧ください。
創世記17:15~21
19節後半で創造主(神)は「わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」と宣べられています。
これは、アブラハム契約は、長男のイシュマエルではなく、次男のイサクとその子孫に継承されるという創造主(神)の宣言です。
しかし、イシュマエルの子孫であるアラブ人たちは、これを承認していません。
ここで、アラブ人のムハンマドから始まり大多数のアラブ人が信奉しているイスラム教について少し触れたいと思いますが、私が中学生の時の歴史ではムハンマドではなくマホメットと教えられ、イスラム教ではなくマホメット教ないし回教(かいきょう)と教えられていました。
イスラム教徒(ムスリム)にとって旧約聖書も新約聖書も一応聖典ではあるのですが、コーラン(クルアーン)が最も重要な聖典として位置付けられています。
旧約聖書ではイサクがアブラハム契約を継承する者としているのに対して、コーランではイシュマエルが契約継承者だとしているのです。
さらにアブラハムが創造主(神)に「いけにえ」として捧げようとしたのは(創世記22章)イサクではなく、イシュマエルであったと教えています。
周知のことと思いますが、ムハンマドの生誕地はアラビア半島の現在のアラブ諸国の一つサウジアラビアのメッカ(マッカとも言う)であることを念のため付け加えておきます。
20節ではイサクの息子ヤコブからイスラエルの12人の族長が出ましたが、イシュマエルからも12人の族長が出ると創造主(神)は宣べています。
続いて、創世記25:12~18をご覧ください。
13節から16節は前記した創世記17:20に記されているイシュマエルから12人の族長が出ると創造主(神)が約束されたことの成就です。
18節では「イシュマエルの子孫は、ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき」とありますが、ハビラはユーフラテス川上流地域にある地と考えられ、アシュルはアッシリヤを、シュルはエジプトからアッシリヤに至る主要な道(幹線道路)のシナイ半島の北西の地と考えられます。
つまり、北はユーフラテス川から南は紅海まで、西はシナイ半島の北西から東はアッシリヤ(帝国)の東(バビロンの西)までの地に住みついたということです。アラブ人がイシュマエルの末裔であることは、この地理的なものから充分推測できるのです。
同じ18節の後半の「それぞれ自分のすべての兄弟たちと敵対して住んだ。」とあるようにアラブ人たちは部族抗争が絶えるだけでなく、前回ブログでも扱ったようにイスラエル人(ユダヤ人)に対する敵対意識が現在に至るまで続いているのです。
しかし、紀元前8世紀頃に南のユダ王国で活動した預言者イザヤは、この世の終末のことを次のように預言しています。
イザヤ書19:23~25
このように終末には、異邦人のエジプト(アラブ)及び当時残虐非道さで知られていたアッシリヤでさえも創造主(神)に仕える民となり、イスラエルとともに祝福すると万軍の主(創造主)は宣言しておられるのです。
現代のアラブ人とイスラエル人(ユダヤ人)の中東戦争及びその後のパレスチナの地での敵対を見ると政治的な解決はとても難しいように思われます。
しかし、創造主(神)のみことばに偽りはありません。
必ず成就します。
過去のブログで何度も引用したイザヤ書55:11を再度引用します。
聖書に基づくイシュマエルについての説明はここまでです。
次回も引き続き異邦人について触れますが、登場人物(主役)は一体誰でしょうか?
本日はこれで終わりません。
第一次世界大戦(1914年~1918年)の最中に起こった「アラブの反乱」を描いた大作映画「アラビアのロレンス」(1962年公開)のことを少し書きたいのです。
皆さんは、映画「アラビアのロレンス」を観ましたか。
観ていない方はぜひレンタルDVDで観ることをお勧めします。
まだ観ていない方が、イシュマエルの末裔のアラブ人がオスマン帝国の支配から独立するための戦いを描いた映画「アラビアのロレンス」を楽しむために、予め知っておいた方がより一層映画を楽しむことができる事柄を、老婆心ですが以下書きたいと思います。
第一次世界大戦は連合国(イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・日本ほか多数)と同盟国(ドイツ・オスマン帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ブルガリア王国)との戦争でしたが、当時のアラブ人は自らの国家を持っておらず、そして、オスマン帝国の支配に不満を持つアラブ人が多くいました。
そこで、連合国のイギリスは戦いを優位に進めるためにアラブ人にオスマン帝国への反乱を起こさせるために、アラブ人の有力者フサインに接触し「アラブの人々がオスマン帝国に勝利した暁には、アラブ独立国家の建設を支援する」と約束します(1915年のフサイン・マクマホン協定)。マクマホンとはイギリスの外交官ヘンリー・マクマホンのことであり、当時駐エジプトの高等弁務官でした。
そして、アラビア語やアラブ文化に詳しいイギリスの陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスが工作員としてアラブ人の元に送り込まれ、フサインの息子ファイサルの軍事顧問として、当時アラブの各部族は部族間の争いが絶えなかったのですが、各部族を一時的に束ねてオスマン帝国と戦うことになったのです。
オスマン帝国が占拠する港湾都市アカバを陥落し、(ヒジャース)鉄道を爆破し、オスマン帝国の主要都市ダマスカスも陥落させたロレンス率いるアラブ人でしたが、「フサイン・マクマホン協定」に基づくアラブ独立国家の約束をイギリスは果たすことはありませんでした。
それは、イギリスはアラブとの約束の他に、オスマン帝国領土をイギリスとフランスとロシアの三国協商で分割統治する秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結び、さらにユダヤ人にもパレスチナの地にイスラエル建国の約束(バルフォア宣言)をするという、よく知られている「イギリスの三枚舌外交」があったからです。
上記の「サイクス・ピコ協定」は第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリスの中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ピコによって原案が作成されたものです。
また、「バルフォア宣言」は第一世界大戦中の1917年11月2日にイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員の第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡のことです。
第一次世界大戦の末期にイギリスはフランスとともにオスマン帝国領土の山分けをさっさと進め、アラブ人が住んでいた領域はシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ、イラクなどと(人工的に)小分けにして独立させ、シリアと北アフリカ諸国は主にフランスが、イラク、ヨルダン、パレスチナはイギリスが、直接、間接に統治するようになったのです。
要するに「イラク」とか「ヨルダン」とか、歴史的にはあまり馴染みのない地名を冠した人工的な国に分けられてしまったのです(酒井啓子著「中東の考え方」より一部引用)。
以上のことを踏まえ、雄大な砂漠の中をラクダに乗って駆け巡るロレンスとアラブ民族を描く映画「アラビアのロレンス」(DVD完全版)をお楽しみください。
因みに、映像の中で私が感動した10数秒前後の際立ったワンシーンがあるのですが、DVDに収められている特典映像の中で「未知との遭遇」「E・T」などの監督スティーブン・スピルバーグも「奇跡」と絶賛したワンシーンです。
初めて映画を観る方は、どのシーンがその「奇跡」のシーンなのか、貴方の感性がスティーブン・スピルバーグの感性と一致するか、探してみてはどうでしょうか(特典映像は本編の後で観ることをお勧めします)。
最後に手許にある映画パンフレットの記事を一部引用します。
「私はロレンスを現代に生きた最も偉大な人物と信じる。私は二度と彼のような男を見ることは出来ないだろう。彼の名前は歴史の中に生きている戦史の中に、そしてアラブの伝説の中に生きている(イギリスの元首相:ウィンストン・チャーチル)」
「謀略、反乱、闘争に明け暮れるアラビアの天地に登場したのが『アラビアのロレンス』と呼ばれ、『無冠の帝王』と恐れられたT・E・ロレンスだった。すぐれた指導者そして卓越した謀略家、さらにたぐいまれな戦術家としての素質と天賦の才能は中東、英、米、仏、独の政府当局に脅威を与え、彼の一挙一動が戦局に動揺をもたらした。そして、アラビアにおける彼の行動は以後、世界各国の情報謀略活動に大きな影響を与えた。日本でもロレンスのやり方を手本にして謀略活動を行ったといわれる。満州事変の口火となった盧溝橋(1928年)と柳条橋における鉄道爆破がそれで、この事実はあまりに有名。」
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
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異邦人(その①)
昔、久保田早紀の「異邦人」という曲が流行ったことがあります。
ご存知の方も多いかと思いますが、久保田早紀さん(現在は久米小百合)はプロテスタントのキリスト者です。
勿論、今日のブログが久保田早紀さんの曲の異邦人について語るわけではありません。
聖書を学び始めて間もない頃、聖書に対してある違和感を持っていました。
それは、イスラエル人及びユダヤ人以外の人々を「異邦人」と呼んでいることの違和感です。
聖書を読んでいて日本人である私が聖書的には異邦人として疎外されているような感じを抱かざるを得ない居心地の悪さがあったのです。
因みに、私の手許にある新共同訳聖書の巻末の用語解説では異邦人を次のように解説しています。
「ユダヤ人以外の人。旧約では『諸国民』『異国の民』『国々』と訳されることがある。新約時代のユダヤ人は、神の約束によって特に選ばれ、そのしるしとして律法が与えられた神の民イスラエルの子孫であることを誇り、他の民族を異邦人と呼んだ。」
さらに、創造主(神)を聖書では「全人類の神」と記しているのではなく、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」や「イスラエルの神」と記されていることが正直不満であり、異邦人である日本人の私と創造主(神)との間に一定の距離があるように感じていたのです。
ところで、アブラハムには息子のイサクとイシュマエルがいましたが、もっぱら聖書に登場するのはイサクという名前です。
イシュマエルはどうなったのでしょうか。
イシュマエルは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫に連なるイスラエル民族ではない傍系であり、まさに異邦人です。
イシュマエルはアラブ人の祖であると言われており、パレスチナの地に住むパレスチナ人は民族的にはアラブ人です。
創造主(神)は異邦人のイシュマエルのこと、そしてユダヤ人と対立するアラブ人のことを気に掛けていないのでしょうか。
そこで本日のブログでは、イシュマエルに焦点を当てながら異邦人のことを考えてみたいのですが、その前にイシュマエルを祖とするアラブ人とは、そもそも何なのか、少し触れて置きます。
アラブ人は、おもにアラビア半島や西アジア、北アフリカなどのアラブ諸国に居住し、アラビア語を話し、アラブ文化を受容している人々のことです(ウィキペディアより)。
なお、アラブ諸国は人口の大半がイスラム教徒(ムスリム)です。
ただ、同じ中東でイスラム教徒が人口の大半を占めていてもペルシヤ語を公用語とするイラン、トルコ語を公用語とするトルコは、「アラブ」の国ではありません。
それから、アラブ人=イスラム教徒だというわけではなく、特に、シリアやレバノン、パレスチナ、エジプトといった東地中海沿岸地域や、イラク北部にはキリスト教徒のアラブ人が多いし、イスラエル建国以前は、モロッコやイラク、イエメンに多くのユダヤ教徒が住んでいました(酒井啓子著「中東の考え方」より)。
(出典:ウィキペディア)
それでは、聖書記事を以下見ていきます。
創造主(神)からアブラハムと名付けられる前のアブラムと、同じくサラと創造主(神)から名付けられる前の妻サライには高齢になっても子がないので、妻サライはエジプト人(アラブ人)の女奴隷ハガルをアブラムに妻として与え、ハガルがみごもることになります。
しかし、ハガルは自分がみごもったので女主人のサライを見下すようになります。
見下されたサライは怒り彼女をいじめるようになり、ハガルはサライのもとから逃げることになります(創世記16:1~6)。
逃げている途中にハガルに創造主(神)の御使いが現われます。
ここからは創世記16:7~12をご覧ください。
7節の「シュルへの道」とは、カナンの地とエジプトを結ぶ主要な道であり、ハガルはエジプトに戻ろうとしていたのです。
10節に注目してください。
主の使いが言ったことは、主ご自身が言ったも同様であり、ここで創造主(神)はアブラハムに約束(アブラハム契約)したことと同じように子孫がおおいにふえると約束(契約)し、実際ハガルが生んだイシュマエルから子孫がふえていきアラブ民族となっていくことになります。
要するに、創造主(神)はアブラハムを祝福しただけではなく、イシュマエル(異邦人)をも祝福されているということなのです。
アブラハム契約について既に当ブログ「アブラハム契約」で取り上げましたが、未読の方はこちらもご覧ください。
12節の「野生のろばのような人」とは、家畜とは異なり飼いならされることを好まないという意味合いであり、イシュマエルは荒野を渡り歩く遊牧民となるということです。
同じ12節の「彼はすべての兄弟に敵対して住もう」とは、弟のイサクと敵対するだけでなく、イサクの子孫であるイスラエル人(ユダヤ人)とイシュマエルの子孫となるアラブ人が敵対することが預言されていると解釈できます。
1948年5月14日のイスラエル建国にからむアラブ諸国とイスラエル国家の中東戦争(1948年から1973年の第一次から第四次の戦争)や今現在も続くパレスチナの地をめぐるイスラエル人(ユダヤ人)とパレスチナ人(アラブ人)の争いは、この創世記16:12の創造主(神)のことばが成就しているように、皆さんは感じませんか(私は感じています)。
聖書を学ぶ前までの私は、中東戦争やパレスチナ問題の新聞記事を読んでも何が起こっていたのか皆目理解出来ずにいました。
しかし、聖書を学ぶ中でアブラハム契約を知り、創世記のイサクとイシュマエルの誕生をめぐる箇所の意味を学び理解することで中東戦争が何であったのか、パレスチナ問題が何であるのかが少しずつ理解できるようになったのです。
別の機会に中東戦争及びパレスチナ問題についてブログアップしたいと考えています。
本日はここまでです。
次回もイシュマエルのことを引き続き取り上げます。
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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(最終回)
(その⑩)の続き。
前回同様に本日もアケメネス朝ペルシヤのクロス2世について触れたいと思います。
クロスはペルシヤ帝国(アケメネス朝ペルシヤの別称)の初代の王ですが、ペルシヤ帝国は今のイラン及び東はインド、西は小アジア、南はエジプトの一部に渡る大帝国でした。
今のイラン人はクロスを建国の父と呼んでいます。
クロスが生まれる100年以上も前に預言者を介して預言された聖書の記事を前回に続き見たいと思います。
イザヤ書45:1~7をご覧ください。
1節冒頭で「主は、油そそがれた者クロス」と驚きのことばが書かれています。
「油注がれた者」とはヘブル語で「メシア」つまり救い主のことです。
異邦人がこのように呼ばれることは極めて異例のことであり、それだけにクロスの使命の重要さがわかります。
つまり、創造主(神)が立てた御計画を遂行するためにクロスに特別な能力を賦与されたのです。
同じ1節に「彼の前に諸国を下らせ」とありますが、クロスは、シリヤ、アッシリヤ、アラビヤ、カパドキヤ、フルギヤ、ルデヤ、カリヤ、フェニキヤ、バビロン等を征服して大帝国を築くことになりました。
「王たちの腰の帯を解き」とは武装解除することを意味し、「彼の前にとびらを開いて」とは敵の町の城門を開くことを意味していますが、クロスがバビロンを攻める時、首都バビロンは無敵艦隊のような要塞都市だったのですが、バビロンの最後の王ペルシャツァルや貴族は大宴会を催して乱痴気騒ぎをしていたので武装されておらず、堅牢な城門も開かれていて首都バビロンは一夜にして陥落したのです(紀元前538年)。
これらの事は、当時、バビロンに捕囚されていたダニエルが書いていますが(ダニエル書5章参照)、後世のヘロドトスも著書「歴史」の中で書いています。
次に注目していただきたいのは、4節の「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書を与える」という言葉です。
これも驚くべき言葉です。
言うまでもなくクロスはイスラエル人でなく、イスラエルの神、すなわち唯一の神を信じる者でないにも拘わらず、肩書つまり油注がれた者とされた、という驚きです。
ペルシャの宗教はゾロアスター教(ゾロアスターが開祖の宗教)であり、クロスもゾロアスター教を信じていて、多神教者でもあったのです。
それで主なる神は「あなたはわたしを知らないが」と言われたのです。
聖書をユダヤ人が書いた神話、作り話だと主張するたくさんの人たちがいます。
もし、作り話であるならば、「油注がれた者」ヘブル語で「メシア(救い主)」という極めて重要な称号を異邦人に、それもゾロアスター教などの異教の神を信じる者に与えるストーリーをユダヤ人が書くようなバカげたことをするはずはないはずです。
そもそもユダヤ人はメシア(救い主)はダビデ王の家系から出ると信じているのです。
異教の神を信じるクロスであっても創造主(神)が「油そそがれた者」としたことを、ユダヤ人の著者(預言者イザヤ)は不本意だったはずですが事実として忠実に記しただけなのです(と私は考えます)。
7節では「わたしは光を造り出し、やみを創造し」とありますが、この言葉はとても重要なものです。
何故かと言うと、ゾロアスター教は世界を光の神アフラ・マズダと暗黒の神アーリマン(アングラ・マイニュともいう)の闘争とみていて、やがて両者は善と悪、創造者と破壊者と考えられるにいたったのです。
つまり、ゾロアスター教のふたりの神の役割は別であるが、イスラエルの神(真実の神)は唯一であり、光もやみも、すべてを創造するお方であるということなのです。
最後に前回予告したヘロドトス(紀元前485年~420頃)の著書「歴史」の中でクロス2世のことが書かれている、その一部を要約し以下紹介したいと思います。
少し長くなりますが(日本語訳の原文よりかなり短縮要約)、ご容赦ください。
ペルシヤの地を支配していたメディア帝国の王アステュアゲスにマンダネという娘がいましたが、ある時王は、この娘が放尿した尿が町中に溢れ、さらにアジア全土に氾濫するという夢を見ました。
王は側近のマゴス(智者、占い師、占星術師)に夢の意味を問うと、マゴスは王の娘から出る者から、あなたの王位は押し流されてしまうと解き明かします。
王は恐怖して、娘マンダネが年頃になった時に、その当時小国であったペルシヤのカンピュセス王のところに嫁がせたのです。
このカンピュセス王の父がクロス1世です。
マンダネがカンピュセス王に嫁いだ最初の年にアステュアゲス王はまた夢を見ます。
それはマンダネの陰部から一本のブドウの樹が生え、その樹がアジア全土を蔽ったという夢でした。
占い師のマゴスが言うには、この夢から判断して、王の娘の生む子が、アステュアゲス王を追い出して王となると解き明かすのです。
それで、アステュアゲス王は既に妊娠している娘をペルシヤから呼び戻して子供を生ませ、親族で重臣でもあるハルバゴスという者に子供を殺すよう命令します。
命令されたハルバゴスは自分にとっても血続きの子供を自らの手で殺すことが出来ず、メディア帝国の奴隷の牛飼いミトラダテスという男に殺すことを託します。
しかし、牛飼いのミトラダテスも殺すことが出来ず、自分の妻に相談すると、丁度妻は身ごもっていた子が死産だったこともあり、マンダネの子を自分たちの子供として育てることにしました。
牛飼いに育てられてから10年後のある時、この子供クロス(その頃はまだクロスという名ではなかった)が友達数人と王様ごっこの遊びをするのですが、王様に選ばれたクロスの命令に背いたメディア帝国の重臣であったアルテムバレスの息子をほかの子供に捕らえさせ、鞭で打つなどさんざんな目に遭わせました。
鞭打たれた子供は父のアルテムパレスにこの仕打ちを訴えます。
アルテムバレスは、自分の子供を連れて、すぐさまアステュアゲス王の許へゆき、「王よ、私どもはお抱えの奴隷、牛飼いのせがれから、かような狼藉に遭いました。」と子供の鞭打ちの傷がある体を見せたのです。
それでアステュアゲス王はクロスを呼び寄せ訊問すると、子供に似合わぬ物腰と風格があり、見ているうちに自分と顔立ちが似ていることと、ハルバゴスに殺すように命じた時期とこの子供の年齢とがちょうど符号することにも気付きます。
そこで子供の牛飼いの父親を問い質しますが、白状しません。
しかし、拷問をかける段になってやっと真実を白状することになります。
アステュアゲス王は命令に従わなかった重臣のハルバゴスを呼び、我が孫が生きていた祝いの宴会を設けたいのだが、ハルバゴスの13歳になる子供を宴会の前に宮殿に出向くよう命じます。
アステュアゲス王はハルバゴスの子供を殺し、体をバラバラにして頭と手足以外を調理して、この子供の肉以外の獣の肉料理は宴会に参加した他の者たちに食べさせ、何も知らないハルバゴスには子供の肉の料理を食べさせたのです。
そして、頭と手足に蔽いをした皿が運ばれ、ハルバゴスが蔽いを取ると我が子の死骸を見ることになるのです。
アステュアゲス王はハルバゴスにお前の食べた肉がどんな獣の肉か判ったかと聞くと、ハルバゴスは自若として「判りました。王のなされることにはどのようなことでも、私は満足でございます」と答え、残った肉を持って自分の屋敷に帰るのです。後で遺骸をまとめて葬るつもりであったようです。
アステュアゲス王はハルバゴスに上記のような罰を与えたのですが、孫のクロスついてどのような措置をとればよいか、夢を解き明かしたマゴスに聞いたところ、子供の遊びとは言えクロスは一度王になっているので、もう国王に禍を及ぼすこともない、という意見をします。
これを聞いたアステュアゲス王はクロスをペルシヤの王カンピュセスに嫁いだ娘マンダネのもとに返すことにしました。
小国ペルシヤに戻ったクロスはやがて成人し、同年輩の友人の中でも武勇に優れ人望有る人物になりますが、アステュアゲス王にひとり子を殺されて復讐の念を抱き続けていたハルバゴスは、クロスに贈り物を届けてはクロスにとり入ろうとします。自分のような一私人ではアステュアゲス王へ報復することは出来ないと思っていたからです。
あるときクロスの元にウサギの腹の中に隠された密書が届きます。それはハルバゴスからのもので、生まれて間もないクロスを亡きものにしようとしたアステュアゲス王に報復を促す内容でした。
ペルシヤ人はすでに以前からメディア人に支配されることを快く思っていなかったので、クロスという指導者を得て、欣然として自由を獲得する戦いに臨みます。
クロスの率いるペルシヤ軍が大軍のメディア軍を攻撃すると、かねてより内通していたハルバゴスが率いる部隊が寝返ったため、メディア軍は総崩れとなりました。
メディア軍の惨澹たる壊滅の報に接したアステュアゲス王はクロスをペルシヤに戻せと説いたマゴスたちを串刺しの刑に処し、つづいて町に残った者たちを老若を問わず武装させ、これらを率いて出撃しペルシヤ軍と戦いますが敗れ、アステュアゲス王も捕らえられ、メディアはペルシヤに支配されることになったのです。
以上、ヘロドトスの長編「歴史」の中のクロスが登場するほんの一部を要約しましたが、当ブログの読者の中で「歴史」を未読の方は、紀元前四百数十年前という大昔のものですが、岩波文庫(上・中・下巻)は読みやすいので、機会があれば読まれてみてはどうでしょう。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
・天地万物の創造主だけが神
・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし
・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。
〈私の信条〉
盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。
★(HN)星周作:(本名)馬場忠博(1956年生):馬場聖書研究室★
<私は聖書の神を信頼する>
私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑩)
(その⑨)の続き。
本日のテーマに入ります。
ただ、いつもより少し長いブログになりますが最後まで読んでいただけると幸いです。
本日は、南のユダ王国の民がバビロニア帝国の王ネブカデネザルによってバビロンに強制移住させられた後のことを概観します。
強制移住、つまり、「捕囚」という言葉からユダヤ人は奴隷のような生活を想像してしまいますが、バビロンでのユダヤ人の生活は監視の目があったものの比較的自由な暮らしぶりだったと伝えられています。
集会を行うこともでき、職業選択も少なからずできたようで、中には財産を築くようになった者もいたようです。
しかし、ユダヤ人を真に苦しめたのは宗教的なもので、聖地エルサレムの崩壊と捕囚という事実から、主(唯一の神)に対する信仰が揺らぐという危機的状況に陥っていきます。
こうした中で、イザヤやエゼキエルなどの預言者が現われて信仰を守ろうと懸命になったのです。
バビロニア帝国はユダ王国を滅ぼしたネブカデネザルの治世が絶頂期でしたが、その後徐々に弱体化していきます。
そして、バビロニア帝国に代わって台頭したのがアケメネス朝ペルシヤです。
アケメネス朝ペルシヤの王クロス2世(新共同訳聖書では「キュロス」、在位紀元前559年~530年頃)が紀元前538年(前539年とする学者もいる)にバビロニア帝国を征服しペルシヤ帝国の属州とします。
そして、捕囚された人々を解放します。
因みにアケメネス朝の「アケメネス」とは王家の始祖の名です。
クロス2世はメソポタミアを統一し「クロス大王」ともいわれ、またユダヤ人からバビロン捕囚の解放者として尊敬されています。
そこで、ユダヤ人のバビロン捕囚を解放した重要人物のクロス2世に焦点を当てて以下書き進めたいと思います。
このクロス2世の治世についてはクロスの円筒(クロス・シリンダー)のようなクロス2世自身による碑文、同時代のバビロニアの文献や聖書などに記されています。
また後世のヘロドトス(紀元前485年~420頃)が著書「歴史」に記録し、クセノフォン(紀元前429年頃~357頃)が著書「クロスの教育」に記録したりしています。
なお、クロス2世ということはクロス1世がいたからですが、クロス1世はクロス2世の父ではなく父方の祖父です。母方の祖父はメディア帝国の王アステュアゲスです(次回、ヘロドトスの著書「歴史」の一部を要約しアップします)。
↑ このクロスの円筒(クロス・シリンダー)にはバビロニア帝国に強制移住(捕囚)させられた人々の帰還と神殿再建を認めるクロス2世の布告が記されています(大英博物館蔵)。
また、ユダヤ人のフラウィウス・ヨセフス(後30年~100年頃)は著書「ユダヤ古代誌」でクロス2世について次のように書いています。
「クロス王の第一年、わたしたちの民が祖国から追い立てられバビロンへの捕囚の憂き目に遭ったときから70年目である、神は捕囚の状態やこの悲惨な者たちがこうむった災禍を憐れました。神は都が破壊される前に、預言者エレミヤを介して、イスラエル人がネブカデネザルとその子孫に仕え、その隷従に70年間耐えた後、再び祖国の地を踏み、神殿を建てて往時の繁栄を謳歌することになると、あらかじめ告げられていたが、その約束を果たされたのである。神はクロスの心を動かし、全アシアの諸民族宛てに次の文書をしたためさせた。『クロス王は宣言する。大いなる神は予を人の住む世界に任命されたが、予はこの方こそイスラエル人の民族の拝する神であることを確信している。この方は預言者たちを介してあらかじめ予の名をあげ、予がユダヤの地方にあるエルサレムに神の神殿を建てると告げられたからである。』」
このようにフラウィウス・ヨセフスが書いていることは聖書に記されています。
以下引用します。
エズラ記1:1~6
1節の「エレミヤにより告げられた主のことば」とはエレミヤ書25:11や同書29:10を指しています。
エレミヤ書25:11
エレミヤ書29:10
このように預言者エレミヤはバビロン捕囚が70年で終わることをあらかじめ預言していたのです。そして、実際成就しました。
バビロン捕囚の解放は創造主(神)の御力によるものです。
上記エズラ記1章1節に「主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせた」とありますが、箴言21:1では次のように書かれていて、すべては創造主(神)の御手にあり王の心、人間の心も創造主(神)が支配しておられるのです。
上記エズラ記1章4節の「残る者はみな」とありますが、バビロンの地で商業その他で成功し、故国のユダの地に帰還することを望まないユダヤ人のことです。
上記のフラウィウス・ヨセフスのユダヤ古代誌に書かれているクロス王の宣言の中に「この方は預言者たちを介してあらかじめ予の名をあげ・・・」とありますが、クロスは預言者イザヤが、クロスがこの世に現れてもいない昔に書いた預言の書を読んでこれらのことを知ったとフラウィウス・ヨセフスは書いています。
預言者イザヤの預言をご覧ください。
イザヤ書44:28
このように、クロスが生まれるはるか前にクロスの出現を預言している聖書は驚きの書であり、クロス王も自分のことが記されているイザヤ書を読んだ時に驚嘆し、奮い立ったのです。
本日はここまでです。
バビロン捕囚の解放者である最重要人物クロス王について次回も触れます。
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〈私の信条〉
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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。
イスラエル人、ユダヤ人、ヘブル人(その⑨)
(その⑧)の続き。
前回、バビロン捕囚が一度だけ行われたのではなく数度行われ、最初の捕囚が預言者ダニエルの少年時代の紀元前605年だと書きました。
しかし、この時に捕囚された人々が少数であり聖書に人数が記されていないこともあってなのか(ダニエル書1:1~6)、私が2度目の捕囚だとした紀元前597年(列王記第二24:6~17)を最初のバビロン捕囚だと説明する人たちも多くいます。
ここで私自身がバビロン捕囚の最初が何時で何度行われたかを強く主張するつもりはありません。
何故なら、私の聖書研究は、無神論者などを含めた歴史学者がする研究とは違い、私自身の信仰を深めるための研究であって、バビロン捕囚があったという事実があくまでも重要だからです。
ただ、当ブログの読者の皆さんのために、上記以外のバビロン捕囚が記された聖書箇所を引用しておきます。
エレミヤ書52:28~30
本日は、アッシリヤ捕囚とバビロン捕囚のその後のイスラエルの民の辿った経緯を概観する予定でしたが、済みません、アッシリヤ捕囚後の北のイスラエル王国だけとなります。
北のイスラエル王国がアッシリヤ帝国に紀元前722年に滅ぼされ、首都サマリヤの指導者階級や優秀な者たちがアッシリヤの地に強制移住(捕囚)されたのですが、人口が減少した占領地のサマリヤに、アッシリヤ帝国は首都バビロンやその他の町の人々を送り込みます。
列王記第二17:24をご覧ください。
上記の結果、サマリヤの地に残ることが出来たイスラエルの民(ここでは北の10部族)と異国人との雑婚(混血)が進み混合民族が生じていくことになります。
雑婚の過程でそれぞれの民族が持っていた宗教自体も混合することになったのです。
そして、混合宗教を持った混合民族が「サマリヤ人」の起源となったようです。
このことを列王記第二17:33~34で確認しましょう。
ところで、アッシリヤ帝国の地に強制移住させられたイスラエルの民(北の10部族)がその後どうなったかは謎のままです。
南のユダ王国が滅亡し(紀元前586年)バビロンに強制移住させられたユダ族は、70年後にペルシヤの王クロスの命令でエルサレムに帰還が許されエルサレムの神殿を再建するのですが(詳細は次回アップ)、北の10部族が帰還した記録はないのです。
帰還しておらず、そして、占領された地は混合民族(主にサマリヤ人)による混合宗教が生じた結果、北の10部族は俗に言う「失われた北の10部族」となってしまいました。
ただ、「失われた北の10部族」と言われているのですが、聖書をしっかり読むとそこここに10部族の足跡が残されていることを窺うことが出来る聖書箇所があります(今回のブログでは割愛します)。
サマリヤ人はイスラエル人と他民族の混血であり混合宗教を持った民族として、バビロンから帰還した(詳細は次回アップ)南のユダ王国の末裔のユダヤ人から偏見の目で見られるようになりました。
北のイスラエル王国の10部族が、捕囚後に行方が不明(失われた北の10部族)であることとサマリヤ人という混合民族が生じたのとは対照的に、南のユダ王国のユダ族(ベニヤミン族は弱小民族で影が薄い)は民族的純粋性を失わなかったことから「ユダヤ人」という民族的概念が生まれたのです。
サマリヤ人とユダヤ人との関係について、紀元後のイエスの時代について記したヨハネの福音書4:7~9に次のように書かれています。
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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★
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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし
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〈私の信条〉
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