星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その③)

(その②)の続き。

 

突然ですが、人間のあばら骨(肋骨)が何本あるか知っていますか?

ネットで調べればすぐわかることですが、意外と知らない人が多いのではないでしょうか。

答えは、12対の24本ですね。

 

人体の構造がまだ明らかにされていなかった時代の昔のキリスト教徒の中で、男は女よりあばら骨が1本少ないと信じていた人たちがいたようです。

それは、次の聖書の記事からです。

創世記2:21~22

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世の常識に従えば、エバがアダムのあばら骨から創造されたなどと信じることは、釈迦(仏陀)が母の摩耶夫人の右脇から生まれたということを信じるのと同じように、頭がイカレタ奴と言われても仕方ないでしょう。

要するに聖書は神話作り話と考えるのが普通なのでしょうね。

 

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↑ 摩耶夫人の右脇から釈迦が生まれる様子を浮き彫りした作品(東京国立博物館で展示)

 

しかし、天地万物の創造主(神)の存在を前提とせず、死後に復活もしなかった釈迦が摩耶夫人の右脇から生まれたなどという作り話と異なり、聖書に書かれている通り天地万物の創造主(神)の存在を信じ、イエス・キリストが人間の罪の贖いのために十字架につけられて3日後に復活したことを信じることが出来れば、聖書の捉え方が180度変わり、聖書が神話や作り話ではなく、聖書が真実の書であることが見えてくるのです。

 

近年、iPS細胞を使った再生医療が、山中伸弥教授のノーベル賞を受賞したことで一般人の私たちにも知られるようになりました。

アダムのあばら骨でエバを創造することなど、全宇宙で最高の外科医であり再生医療のプロフェッショナルである天地万物の創造主(神)にとって、あまりにも、た易いことなのです。

 

聖書を学び始めると、難解な箇所や一見矛盾するような箇所に遭遇して戸惑うことが度々ありますが、それらを乗り越えて理解できるようになるためには、三位一体の第一位格の父なる神及び第二位格の子なる神のイエス・キリストを信じていることが必要です。

父なる神及び子なる神イエス・キリストを信じていなければ、聖書の真理を理解することは出来ません。

別の言い方をすれば、神の御言葉である聖書を自分のものとすることは出来ません。

 

聖書の真理を理解するには、「助け主」が必要なのです。

この「助け主」とは、三位一体の第三位格の神である「聖霊(御霊)」です。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

ヨハネ福音書15:26

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<注> 「わたし」とは、イエス・キリストのことです。

 

ヨハネ福音書16:13

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聖霊(御霊)は、イエス・キリストを信じた者の「助け主」となって、真理を解き明かす手助けをしてくれます。

聖霊」及び「三位一体」については、別のページでアップしています。

 

↓ ↓ (その④)はこちらをクリック

hoshishusaku.hatenablog.com

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 
★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その②)

(その①)続き

 

遺伝子による影響によって奇形が生まれるなどの生物学的な理由から、世界の国々で一定範囲の近親の結婚が禁止されていますが、人類誕生の初めの頃はどうだったのでしょうか。

 

アダムとエバの間にはカインとアベルが生まれますが、カインは弟アベルを殺害します(創世記4:3)。

その後カインは、聖書には名前が出てこない妻との間に子孫を残します。

創世記4:17をご覧ください。

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このカインの妻は、どこから来たのでしょうか?

カインの妹でしょうか?

だとすれば、近親結婚ということになります。

それとも、創造主(神)はアダムとエバ以外の複数の男女を創造していたのでしょうか、そうであれば、カインの妻は妹ではない可能性も出て来ます。

しかし、聖書はアダムとエバという一組の男女から人類がスタートしたと書かれており、他の男女を創造したとは書いていません(創世記1:27~28)。

新約聖書使徒の働き17:26でも「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ・・・」と書いています。

 

聖書を神話作り話だと考えている人たちの中で、人類はアダムとエバとカインの3人だけだったはずなのに、「カインは、その妻を知った」というのは、聖書の矛盾だと主張します。

これは矛盾でも何でもありません。

アダムとエバにはカインとアベルの他にセツという子供がいたことが書かれています(創世記4:25)。

 

また、創世記5:4では「アダムはセツを生んだ後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。」と書かれていることから、多くの息子や娘たちがいたことを教えています。

因みに、ユダヤ歴史学者のヨセフスは「伝説によればアダムには33人の息子と23人の娘がいた。」と言っています。

結局、カインの妻はカインの妹(又は姪)であり、近親結婚だったことは間違いないようです。

 

アダムとエバは完全な人間として創造されたので、二人の遺伝子には欠陥がなかったので、子孫の近親間での結婚でも奇形が生まれる心配はなかったのです。

 

しかし、パウロ新約聖書・ローマ人への手紙5:19で「ちょうどひとりの違反によってすべての人が罪に定められた」と書いた通り、アダムが禁断の「善悪の知識の木」を食べて創造主(神)に背いて人類に罪が入った後は、徐々に遺伝子にも欠陥が生じるようになったのでしょう。

 

ただ、アダム誕生から約1700年後のアブラハムの頃は、遺伝子の欠陥の悪影響はまだ現れず、アブラハムは母が異なる妹のサラを妻とする近親結婚ですが問題はなかったようです(創世記20:12参照)。

 

アブラハムから数百年後のモーセの時代になると創造主(神)から与えられた律法により近親結婚が禁止されますが、旧約聖書レビ記18:6~23、20:11~21に書かれています。

レビ記20:17だけご覧ください。

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近親結婚の禁止や十戒などの律法は、創造主(神)よりモーセを通して与えられました。

旧約聖書39巻のうちの「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の5巻を指して「律法書」あるいは「モーセ五書」とも呼ばれて、モーセが書いたとされています。

近親結婚が禁止と書いたモーセイスラエル民族に、この律法を守るように戒めました。

もしモーセが書いた五書が作り話であれば、作り話だからこそ、五書を矛盾しないように書くのではないでしょうか。

作り話の近親結婚の禁止の律法を徹底させるには、この律法に抵触しないためには、創世記の中でアダムとエバの他に複数の男女を創造させて、カインの妻となる女がカインの妹ではないストーリーを創作したはずです。

 

モーセ五書が作り話ではないからこそ、モーセは近親結婚が禁止される律法を創造主(神)から与えられる前の時代の創世記に近親結婚が問題なく行われた事実をそのまま書いただけなのです。

 

前回も書きましたが、一見矛盾と読めたり神話作り話と読める聖書箇所こそに真実が潜んでいるのではないでしょうか。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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聖書の矛盾? 聖書は作り話?(その①)

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

マタイ福音書8:28

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マルコ福音書5:1~2

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ルカ福音書8:26~27

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マタイの福音書8:28で、悪霊につかれた人をイエスがいやす場所が「ガダラ人の地」としているのに対して、マルコの福音書5:1とルカの福音書8:26では「ゲラサ人の地」となっています。

 

そこで一部の学者は、地名が異なり矛盾するので、聖書は作り話だと主張します。

 

しかし、これは矛盾でも何でもなく、ゲラサ人の地はガリラヤ湖東岸の「」を指しているのに対して、ガラダ人の地はガリラヤ湖東岸の「地域」を指しているだけの話です。

例えば、福岡市博多区に住んでいる人が「博多っ子の私の住所は博多です」と言った場合と「福岡市民の私の住所は福岡市です」と言った場合に、博多と福岡市では地名が異なるから矛盾しているとは誰一人として言わないでしょう。

 

同じ箇所で、悪霊につかれた人の数がマタイ8:28では二人としているのに対して、マルコ5:2とルカ8:27では一人となっているようです。

これも、一部の学者は、二人と一人では矛盾するので、聖書は作り話だと主張しますが、これは矛盾ではなく、マルコとルカは悪霊につかれた深刻な一人に焦点を当てているに過ぎないのです。

 

学者などの一部の人が矛盾だと指摘する箇所は矛盾でも何でもなく、実際起こった事実だからこそ、聖書記者がどこに焦点に当てるかによって、説明する内容の書き方が微妙に異なることになるのです。

もし、数人の記者が、同じ場面を書く場合に、一字一句すべて同じように書いているほうが、真実性を疑ってみるべきではないでしょうか。

数人が通謀(つうぼう:あらかじめ示し合わせること)してウソの情報を書いている可能性があるからです。

 

また、一部の学者は、聖書の原本は全て失われていて、全て写本なので、書き写す際に書き換えられた可能性があると主張します。

しかし、上記の「ガダラ人の地」と「ゲラサ人の地」の違いこそ、書き写す際に、どちらかの地に統一するように書き換えても不思議ではないのに、それをしていない点においても、私は聖書の真実性を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。

 

聖書全般を通して、学者などの一部の人が矛盾だと指摘する聖書箇所に、私は魅力を感じ惹きつけられるのです。

何故かと言うと、私の直感が、矛盾だと指摘される聖書箇所にこそ聖書の真実性が潜んでいると訴えてくるからです。

 

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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天使、サタン、悪霊(最終回)

(その⑰)の続き。

 

昨日、テレビのチャンネルを切り替えると、お笑い芸人の加藤浩次が司会している番組にお坊さんが出演していました。

お坊さんは「位牌に霊がいる」という説明を当然のごとくしていました。

 

奥山実牧師は、「位牌の中には悪霊が住んでいる。仏壇と同じように先祖の霊などいない」と断言します。

 

位牌の中に悪霊が住んでいるかどうかは別にしても、位牌はただの板切れに過ぎません。

 

私は、両親の位牌を粉々に叩き壊しましたが、何の後悔もなくスッキリしています。

 

拝む対象は、唯一、創造主(神=イエス)のみです。

 

ところで、皆さんが悪魔サタンを視覚化して想像図を描くとしたらどのように描きますか。

聖書を学ぶ前の私であれば、邪悪な獣的なオドロオドロしい想像図を描いたことでしょう。

 

しかし、エゼキエル書28章17節に「あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせた。」と悪魔サタンのことが記されていることを学んでから、私の描く悪魔サタンの想像図は最高に「美しく輝く」イケメンの中のイケメンとして描くことになります。

もちろん、悪魔サタンを賛美するということではなく、あくまでも表面上の悪魔サタンがそうなのであって、内面はあくまでも邪悪ということです。

 

創世記3:1に記されているエバの前に現れた蛇は最高に「美しく輝く」サタンだったはずです。

エバは、その最高に「美しく輝く」姿に魅了され、サタンの邪悪な正体を見抜くことが出来ずに見事に欺かれて「善悪の知識の木」を食べてしまい、創造主(神)に背く罪を犯してしまったのです。

 

また、悪魔サタンは、創造主(神)に次ぐ最高の「知恵」を持つ者であったことを忘れてはなりません。

悪魔サタンは、この最高の知恵を使って人間を欺いてくるのです。

この世の人々に「悪魔サタンなどいない」「悪霊などいない」と思わせることなど朝飯前です。

だから、クリスチャンであってすら欺かれて悪魔や悪霊の存在を信じない一部の人たちがいるのです。

 

特に日本では、聖書の真理に触れようとしない人があまりにも多いために、最高の「知恵」を持つ悪魔サタンにとっては赤子の手をひねるよりも容易に、欺き放題、やり放題の状態です。

神社や寺での偶像礼拝、占い、姦淫(不倫)、スピリチュアル・カウンセラー、ニューエイジ思想、オカルト要素満載のマンガやゲームの氾濫など挙げればキリがありません。

 

悪魔サタンの用いる方法は、表面上は美しく輝いて、私たち人間の目をくらませ、表面上は平和を装い、表面上は癒しを装って、私たち人間の思いをくらませることを忘れてはなりません。

 

終末の大患難時代の直前に現れる反キリストや偽預言者もサタンに似て「美しく輝く」ように見え、表向きは平和を説いて人々を欺くはずです。

 

マタイの福音書7:15のイエス・キリストの御言葉に耳を傾けましょう。

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繰り返しになりますが、悪魔サタンは最高の「美しさと輝き」と最高の「知恵」を用いて人間を攻撃してくるのです。

攻撃と言っても、人間を傷つけたり殺そうとするのではなく、創造主(神)に背くように仕向けて、己自身を神として拝むようにさせるのです。

 

聖書を学び神の御言葉である「武具」を身に着けて、狡猾かつ巧妙な悪魔サタン及び悪霊の攻撃に立ち向かいましょう。

エペソ人への手紙6:11~18

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この聖書箇所を内村鑑三は次のように説明します(現代語で一部要約)。

「いかにして悪魔の奸計を防ぐことができるか。パウロは言う、『神の武具を身に着けるべし』と。人の武器ではこれを破るに足りない。神より賜る特別の武器をもって身を装い固めればならない。何故なら、『私たちの格闘は血肉に対するものにあらず』、敵は目に見える血肉ではない。見えざる悪魔である。目に見えて形を見せて襲い来る敵はむしろ恐れるに足りない。悪魔の特質の一つは、思いがけない時に思いがけない所より不意を打って来ることである。のみならず悪魔の勢力は尋常なるものではない。悪魔はきわめて偉大なる敵である。」

 

「天使、サタン、悪霊」をテーマに全十八回書かせていただきましたが、まだまだ書きたいことが山ほどありますが、今回書けなかったことは別の機会に書きたいと思います。

 

次回のテーマはまだ決まっていませんが、興味にある方は引き続き宜しくお願いします。

 

 

 ↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。

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・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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天使、サタン、悪霊(その⑰)

(その⑯)の続き。

 

前回は占いや霊媒など創造主(神)の忌み嫌われることを検討しましたが、偶像崇拝と姦淫(不倫)は創造主(神)の最も忌み嫌われることです。

 

旧約聖書時代の大昔及び新約聖書時代の約2000年前から現在に至るまで一向に廃れることもなく、占い、霊媒偶像崇拝、姦淫などが世界的にはびこっています。

 

創造主(神)が忌み嫌うことを全人類が延々と続けていることは、単なる偶然なのでしょうか。

 

このブログを書く際に色々な悪霊に関連する本を読んでいますが、改めて気付かされることは、決して、単なる偶然ではなく、創造主(神)が忌み嫌われることを知っていて敢えてさせようとしている「この世の神(悪魔サタン)」とその配下の悪霊の存在があるように思えてなりません。

 

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とにかく、悪魔サタンは私たち人間の思いをくらませて、真の神及びキリストから徹頭徹尾遠ざけたいのです。

このことを忘れないようにしなければなりません。

 

悪魔サタンは手を替え品を替えて人間の思いをくらまそうと、うごめいています。

そこで、本日は、悪魔サタンの手を替え品を替えての一つ「ニューエイジ・ムーブメント」を取り上げようと思います。

ニューエイジ・ムーブメント、ニューエイジ運動、ニューエイジ思想など、これらの言葉を見たり聞いたりしたことがありますか。

 

オウム真理教の事件や統一教会霊感商法事件などにより多くの人が宗教に警戒心を抱くようになりました。

そこで、表面的には宗教色を出さないで人間の心理に働きかけようとする様々な企てが進行し、かつ、浸透しています。

これが、ニューエイジ・ムーブメントの一つの傾向です。

 

そもそも「ニューエイジ・ムーブメント」とは何なのか。端的に説明するのは困難なのですが、ニューエイジ・ムーブメントをキリスト教会最大の敵と捉えている奥山実牧師は著書「悪霊を追い出せ」の中で次のように説明しています(一部要約)。

ニューエイジ・ムーブメントは、1875年に始まる古い歴史を持っています。ヘレナ・ペトローナ・ブラヴァッキーという女性によってはじめられましたが、彼女はニューヨークに、まず神智学会というものを創設しました。これは瞑想や降霊術をやるオカルトグループなのです。けれども、この会からアリス・ベイリーという人物が、1880年に出現し、この女性がニューエイジの基礎を作ったと言われています。彼女はニューエイジの祭司として数えられており、チベット人のジャワル・クルという者から、メッセージを降霊術で受け、そして本を作ったと言われています。まさに悪霊によるオカルト宗教です。・・・中略・・・また、色々な活動に参加することによって侵入してきます。健康食、健康トレーニング、瞑想、ヨガ、催眠術、心霊療法、可能性思考など、時に、彼らの可能性思考は、聖書の御言葉を使っています。このように、すごくたくみです。」

 

さらに、尾形守牧師の著書「ニューエイジ・ムーブメントの危険」を引用します(一部要約)。

ニューエイジ・ムーブメントは、諸思想、諸宗教を統一し、東洋の汎神論的影響を受け、人間の内に神性を見い出し、オカルト的指向を持つ、組織というより(中には組織化しているニューエイジのグループもあるが)、社会の様々な領域に広がりつつあるネットワークであり、霊的流れである。ニューエイジは、教育、ビジネス、スポーツ、統合医療、健康生活プログラム、科学、宗教など多面に浸透している霊的潮流である。」

 

ニューエイジ・ムーブメントの危険性は、表面的にはその正体が見えづらいことです。

「癒し」「ヒーリング」の言葉に代表される心地良さを人間の心理に訴えてきて、知らず知らずのうちに、創造主(神)の栄光及びキリストの福音から遠ざかるようにしていることです。

 

何でもかんでも全てが悪魔サタン及び悪霊の影響だと言うつもりはありがせんが、ニューエイジ思想と知らずにその影響を受けた人が新たな活動としてヨガ教室を開いたり、瞑想法を教えたり、関連書籍を出して、ニューエイジ思想を社会全般に伝播しているのです。

これらのことが結果的に創造主(神)の栄光及びキリストの福音から遠ざかるようにしていることになることが問題なのです。

 

↓ ↓ (最終回)はこちらをクリック

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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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天使、サタン、悪霊(その⑯)

(その⑯)の続き。

 

聖書的見地から悪霊の存在を検討する時、オカルト的活動を見逃してはいけません。

オカルトとは、簡単に定義すれば次のように説明できます。

「秘密にされて隠されているものを人間の五感以上の世界に触れて隠されているものを得ようとすること。」

 

悪霊とオカルトの世界は密接に関係しているのですが、旧約聖書申命記18:9~13は、忘れてはならない聖句です。

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10節及び11節に書かれている創造主(神)が忌み嫌う8つのことを検討したいと思います。

(1)占い

占いには各種のものがあります。

星占い、手相占い、風水、トランプ占い、タロットカード、水晶玉、占い棒(水脈探知)、千里眼など。

占いは「隠されている将来の情報を知る技術」のことですが、何故、創造主(神)が忌み嫌うのでしょうか。

奥山実牧師は著書「悪霊を追い出せ」で次のように書いています(一部要約)。

「占いをやると悪霊に心を開きます。占いというのは主なる神を否定することで『神様あなたなんか、あてになりません。だから悪霊に聞きます』というのがその姿勢です。ですから、どんな小さな占いも罪です。それで占いにこって、占いが当たる人は、悪霊の影響が強くなりますから危険です。新約聖書使徒の働き16:16に『占いの霊』とあるように、占いというのは当たるのです。もし占いが、まったくのインチキだったら、とうの昔に地球上から姿を消しているはずなのです。ところが困った事に、当たる占いがあるのです。なぜ当たるのかというと、占いの霊(悪霊)だからです。」

新約聖書使徒の働き16:16

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「おみくじ」も「この世の神(悪魔サタン)」や「悪霊」がいる神社で売られているものであり、おみくじを引くことによって将来を占うことになるので避けるべきです。

 

(2)卜者(ぼくしゃ)

動物の内臓の形などを読んで将来を予言する者。

 

(3)まじない師

魔術師のことであり、悪霊を用いて超自然的な現象をもたらす者。

 

(4)呪術者

魔術を使い人々を惑わす者。

 

(5)呪文

催眠術的なものを含めて呪文を唱え悪霊の支配下に置く。

 

(6)霊媒

死者とコンタクトをとること。

東北地方のイタコなど。

江原啓之は、著書「江原啓之への質問状」でフリーライターとの対談で次のように答えています。

フリーライター:江原さんはご自分のことを『スピリチュアル・カウンセラー』とおっしゃいますが、どうして霊能者という肩書きではないんですか?」

「江原:これはロンドンで出会った霊能者が『スピリチュアル・カウンセラー』という肩書きなのを知って、イメージがいいなと思ったからなのです。だって『霊能者』とか『心霊相談』とかいうと、なんだか『おどろおどろしい』感じがするでしょう。」

江原啓之は多数の本を出していますが、「因果(カルマ)の法則」「霊魂の法則」などを語り、ことごとく聖書に反することばかりを説いています。

幸福の科学大川隆法深見東州なども同じ類です。

 

(7)口寄せ

男の魔法使いのこと。

 

(8)死人に伺いを立てる者。

以上8つのことを創造主(神)が忌み嫌うことを肝に銘ずる必要があります。

 

テレビで心霊現象というものを取り上げる番組があり、成仏しない霊が荒れ果てた建物にいるとか、写真に写っているなどと騒いだりします。

 

そもそも、成仏していない霊は存在するのか?

 

人が死ぬと「ちり(肉体)は地に帰り、霊は神に帰ります」(伝道者の書12:7)。

そして、聖書では創造主である神及びイエス・キリストを信じた者は、死後直ちに霊はパラダイスに上げられ、不信者は黄泉(よみ・ハデス)に行くとあります。

したがって、成仏しない霊としてこの世に漂っていることはありえません。

成仏しない霊を見たという人がいるとすれば、フェイクか錯覚でしょう。

フェイクや錯覚ではなく、事実だとすれば、悪霊の仕業なのです。

 

男・女を問わずスピリチュアル・カウンセラーという名称であろうが、霊能者という名称であろうが、どんな名称を使用したとしても、悩みなどを抱える相談者の過去の経歴を言い当てる者がいます。

相談者が芸能人等の有名人の場合は、事前に下調べをしている可能性があるようです。

仮に本当に言い当てることがあった時こそ注意が必要です。

上記の使徒の働き16:16の「占いの霊(悪霊)」と同様に悪霊が働いて、真の神の栄光を閉ざしているからです。

 

人の将来を言い当てる「占い」や霊能者が死者の霊とコンタクトしたり、相談者の過去を言い当てることに何の意味があるのでしょうか。

 

言い当てられた相談者にとって何の益があるのでしょうか。

 

ただ「当たった」ということだけで、その相談者に真の「救い」をもたらすことにはなりません。

「救われる道」は、イエス・キリストを信じる道しかないことを、一人でも多くの人が、一日でも早く知ることが出来るよう心より祈ります。

アーメン。

 

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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天使、サタン、悪霊(その⑮)

(その⑭)の続き。

 

本日は悪霊について、検討したいと思います。

 

悪霊も元々は天使でしたが、最高位であった天使が堕落して悪魔サタンとなったときに一緒に堕落して悪霊となったわけです。

 

悪霊と堕落した天使(堕天使)は同じです。

 

マタイの福音書12:24

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ベルゼブル」は悪魔サタンを指しますが、悪魔サタンが「悪霊どものかしら」と呼ばれていることから、悪霊が悪魔サタンの手下であることがわかります。

 

悪魔サタンは独りですが、悪霊はどのくらいいるのでしょうか。

マルコの福音書5:9

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新改訳聖書の注解書では「レギオン」を次のように説明しています。

「ローマ軍の最大の軍団。6千人で編成されていた。」

確定した数は分かりませんが、無数にいることがうかがえます。

 

また、ヨハネの黙示録9:16では、2億という悪霊の数が出て来るのですから驚くべき数です。

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聖い天使を含めると無数にいる天使のうち、3分の1が堕落して悪霊になったことがヨハネの黙示録12:3~4に書かれています。

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「天の星」は、天使を指します。

 

悪霊は人間に対して様々な悪影響を与える活動をすることが聖書(特に新約聖書)の記事から分かります。

悪霊による肉体的悪影響の例としてマルコの福音書9:25~26

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悪霊による精神的悪影響の例としてルカの福音書8:27

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注意しなければならないのは、悪霊の存在を信じる人の中で、精神的な疾患(うつ病など)のほとんどを悪霊の影響だと言う人がいますが、この認識は誤りです。

多くは悪霊の影響ではない病気です。

 

昔、「エクソシスト」という映画があり、悪霊を追い出すために悪霊に支配された人間を縛ったり、聖水をかけたりしていました。

しかし、人間を縛ったり、聖水をかけて悪霊を追い出すことが出来るなどとは聖書のどこにも書いていません。

 

聖書に書かれている悪霊を追い出す方法は次のようなものです。

① イエス・キリストの御名による。

  ルカの福音書10:17

② 聖霊(御霊)による

  マタイの福音書8:16

③ 言葉による

  マルコの福音書5:8

④ 信仰によって行う

  マタイの福音書17:18~20

⑤ 祈りによる

  マルコの福音書9:29

 

いずれにしても悪霊を追い出すには言葉が重要であり、縛ったり、十字架をかざすなどの行為や聖水などの物は、聖書的ではなく一切不要です。

したがって、悪霊を追い出すことができるなどと称する人間が現われて、上記①~⑤までの聖書に書かれていること以外をしようとすれば、疑ったほうが賢明です。

 

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・天地万物の創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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