星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

復活と永遠のいのち(その9)

(その8)の続き。

 

死とは何でしょうか。

死後の世界はあるのでしょうか。

 

聖書を深く学ぶ前までの私は、死は恐いものであり、可能ならば死から逃れたい、しかし、死から逃れることはできないと知っているので死からなるべく目を逸らして生きてきました。

 

皆さんは、死とどう向き合っていますか。

 

聖書を日々学ぶことによって、死とは何であるのか、死後の世界がどういうものであるのかが、少なからず分かるようになりました。

 

もちろん、死をリアルに経験して、この世界に戻って来たわけではないので、死後の世界の全貌が完璧に分かっているわけではありません。

 

聖書に書かれていること以上のことを知ることはできません。

神は、聖書に書かれていること以上のことを人間に明らかにしてはいません。

 

聖書に書かれていること以上のことを求めるべきではないでしょう。

なぜなら、神は、人間に聖書に啓示したこと以上のことは隠されているからです。

 

神の御心に反して強いて求めようとすれば、オカルトの世界に迷い込むことになります。

迷い込んだ結果、聖書から、つまり唯一の神から離れてしまうことになります。

 

聖書は神が啓示した真理の書であると私は確信しています。

真理の書・聖書は死についてどのように啓示しているのでしょうか。

 

まず、次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・伝道者の書12:7

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旧約聖書・創世記2:7

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最初の人間アダムは、神(キリスト)のかたちに似せて土のちりから造られ、いのちの息(霊)を吹き込まれて生命を得ました。

そして、人間は死によって、霊と肉体(ちり)に分離されると聖書は教えています。

 

死者の霊は、今、どこに、そして、どのような状態でいるのでしょうか。

 

創造主である唯一の神及びイエス・キリストに信仰を持つ者と不信仰の者とでは、霊の行方は異なります。

 

まず、信仰を持つ者について聖書ではどのように教えているか見てみましょう。

新約時代の信仰者、つまり、キリスト者はキリストの空中再臨(携挙)の時に復活しますが、死から栄光の体を持って復活する前までの肉体のない時期の状態を一部の神学者や牧師は「中間状態」と呼んでいます。

 

前回のブログで引用したルカの福音書23:43の「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」とキリストがおっしゃったように、キリストに信仰を持つ者の「」は、「パラダイス(天)」に死んだ瞬間に直ちに行くのです。

 

パウロは肉体と霊について、次のように語っています。

新約聖書・コリント人への手紙第二5:1~8

<参考>「幕屋」つまりテントは地上での肉体、「建物」は神が下さる復活の栄光の体を指しています。

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この聖句から分かるように、パウロも死によって肉体から離れた霊が主イエス・キリストのもとに行く希望を語ったのです。

 

パウロは次のようにも語っています。

新約聖書・ピリピ人への手紙1:21~24
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ところで、パウロはパラダイスについて次のように語っています。

新約聖書・コリント人への手紙第二12:2~4
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<注>「私」と「キリストにあるひとりの人」はパウロ自身のこと。

イエス・キリストと創造主である神のおられる場所がパラダイス、つまり、「第三の天」です。

因みに、鳥の飛び交う空が「第一の天」であり、星々のある宇宙空間を「第二の天」と言います。

 

続いて、次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・テサロニケ人への手紙第一4:14

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この聖句から、死者の霊は「眠っている」と説明する人たちがいます。

 

死者の霊は「眠っている」のでしょうか。

 

済みません。今日は、ここまでです。

↓ ↓ (その10)はこちらをクリック 

hoshishusaku.hatenablog.com

  

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その8)

(その7)の続き。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・ルカの福音書23:39~43

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新約聖書・マタイの福音書5:27~30(口語訳聖書

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<注>

当ブログでは、主に新改訳聖書を引用していますが、それ以外の訳を引用する場合は、その旨(口語訳、新共同訳など)を記します。新改訳聖書では「地獄」ではなく「ゲヘナ」と書かれています。

 

昨日、ジョン・レノンのイマジンを引用しました。

「imagine  there’s  no  Heaven(想像してごらん、天国なんて無いんだと)・・・No  Hell  below  us(地面の下に地獄なんて無いし)・・・」

 

聖書を知らなかった時、聖書を学び始めた当初も私自身「地獄なんて、あってたまるか」と思っていました。

 

多くの人たちも「愛」である神が地獄など造られるはずがないと叫びます。

好き嫌いで言えば、誰でも「地獄」の存在は受け入れられないのかもしれません。

 

しかし、今の私は聖書を真理の書として丸ごと受け入れ信じています。

自分の好き嫌いや自分にとって心地良い聖句だけを受け入れる解釈は避けるべきだと考えています。

 

エスが、パラダイスがあり、地獄があると明確に語られたのです。

 

私は、イエスを救い主(キリスト)と受け入れたキリスト者です。

携挙(空中再臨)の時にイエス・キリストに向かって「私は、イエス様が語られたパラダイスは信じていますが、地獄は信じていません。」などと言えるわけがありません。

 

キリストに信仰を持った人たちは、死んでも、携挙(空中再臨)の時に復活しますが、まだ携挙の時は来ていません。

今、この時、死者はどこでどう過ごしているのでしょうか。

エスは、信仰を表明した罪人に「わたしとともにパラダイスにいます」とおっしゃいました。

 

エスは、どういうお方でしょうか。

エスをイメージしてください。

 

エスは、真実のお方です。

エスは、真理です。

エスは、脅すためにウソ偽りを語ることもありません。

エスは、冗談でウソ偽りを語ることもありません。

(ユーモアや冗談を一切言わなかったというこではなく、ウソ偽りを言わなかったということ)

 

エスは、「復活と永遠のいのち」の他、3年半の公生涯の様々な場面で「神の御国」「地獄」「悪魔(サタン)」「悪霊」について語りました。

エスを信じていると言いながら、イエスが語った「地獄」「悪魔(サタン)」「悪霊」の存在だけは信じないというのでは、イエスを真理と認めてないことになりはしないでしょうか。

 

次回は、死んだ後復活するまでの間死者はどうしているのか、聖書はどう言っているのか、考えたいと思います。

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その7)

(その6)の続き。

 

イマジン。

想像してください。

ある人たちが、蝶を一度も見たことがなく、その存在さえ知らないと仮定して、その人たちの目の前でイモムシ又は蛹(サナギ)だけを見せたとします。

そして、あなたが一生懸命にイモムシから蛹になって、それから翅(ハネ)が生えて、まばゆいばかりの美しい蝶(成虫)になって優雅に空を舞うことを説明します。

あなたの説明を信じるでしょうか。

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↑ イモムシから蛹へ変態中

 

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イモムシだけを見た人は「なんでこんなクネクネした気持ち悪い奴が空を飛べるようになるんだ。バカなことを言うな。」と言って信じようとしません。

蛹だけを見た人は「細い糸のようなものにぶら下がっているだけで全く動かないじゃないか。花から花へ飛んで蜜を吸うだと。俺をからかうのはよしてくれ。」と言います。

しかし、ある人は、説明したあなたが未だかって嘘偽りを言ったことがない誠実で真実な人であることを知っていたので、あなたの言葉を信じました。

 

私は、蝶を見て昆虫の変態を思い浮かべる時、常に聖書の次の聖句を思い出します。

新約聖書・コリント人への手紙第二3:18

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続いて、次の聖句もご覧ください。

新約聖書・コリント人への手紙第一15:52

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キリストが空中に現れた時、一瞬のうちに、死者は二度と死ぬことのないものによみがえり、生きている者も復活した死者と同じように栄光のキリストの姿に変えられるのです。

 

ジョン・レノンは有名な曲「イマジン」で「imagine  there’s  no  Heaven(想像してごらん、天国なんて無いんだと)・・・No  Hell  below  us(地面の下に地獄なんて無いし)・・・」と歌い、聖書を否定しました。

 

しかし、聖書を神の啓示を受けた真理の書と信じる私たちキリスト者は、天地万物の創造主が存在し、キリストを信じた者たちが、死から復活し、或いは携挙によってイエス・キリストと同じ栄光の姿に変えられ天に上っていくことを確信します。

 

冒頭の昆虫の変態について、アメリカの昆虫学の専門家ゴードン・ウィルソン博士の論文の一部を引用します。

興味のある方は引き続きご覧ください。

「・・・現代のDNA解析やMRI(磁気共鳴映像法)の助けを借りて、これまで隠されていた変態の秘密を知ることができるようになってきました。綿密に組み合わされた変態の諸段階は、その背後におられる私たちの創造主の知恵と力を示しています。ではまず、イモムシから始めましょう。それ自身がまったく奇跡なのです。このウネウネ動く、ミミズのような生き物は、いわば『食事機械』であって、食べ物をつかみ、むさぼり食べることに特化された道具を持って生まれてきます。ずんぐりした6本の足(歩脚)に加え、何対かの疣足(いぼあし)と呼ばれる、短い円筒形で先端に多数の爪を持つ足を持っています。この先端に多数ある爪のために、葉の表面をつかみやすくなっているのです。それから、噛み砕くための口吻部(こうふんぶ)で葉をかじり取り、かなりの量の葉っぱをむさぼり食べるのです。・・・・・孵化(ふか)に際しては、幼虫は卵から這い出して、誰にも教えられることなく、食事スケジュールを始めなければなりません。最初のメニューは卵の殻です。その後の幼虫期は、ひたすら爆食に専心するのです。それが終わる頃には、イモムシは最初の大きさの約3000倍に成長しています。これはたとえて言えば、最初2700グラムだった赤ちゃんが、体重9トンのゴジラになるようなものです。なんとわずか数週間で!・・・・・蛹(サナギ)の段階の間に、イモムシ時代の消化器系や筋肉・神経系統が、丁度、家屋の解体のようにすっかりバラバラに取り壊され、それと同時に、成虫の対応組織が新しく作られます。古い神経組織の徹底的な再構成作業が進行し(神経細胞は壊されるのではなく、再構成されるので)その結果、全く異なった神経系統になるのです。これは家屋のリフォームで言えば、配線の変更し直しに相当します。しかしながら、実際は、家のリフォームとは比較になりません。実際の家屋解体では、全ての廃材は投棄され、新しい建物の材料が運び込まれます。しかし、蛹ではそうではないのです。蛹は一切食べないので、全てのパーツは幼虫段階で蓄積された材料から作られなければなりません。イモムシを構成していたパーツを液状化して、成虫を構成する材料にするのです。・・・・・想像してみて下さい。蛹の内側で起きていることを。体を完全に作り直しているのです。翅(ハネ)が生え出るだけではありません。身体の主要な構造変化なのです。6本のずんぐりした足が、長くほっそりした脚に、葉っぱをむさぼり食う顎(アゴ)は花の蜜を吸うストローに、単眼は複眼に、そして飛翔するには全く新しい呼吸システムや新しい呼吸器官、胸部、それに新しい腹部が必要なのです。蛹の中では、数日で、古い体を形づくっていた諸々の構造が、注意深くばらばらにされ再構成されているのです。・・・・・成虫が組み上がると、蝶は膨張し、蛹の外骨格が破れます。それから、血液が翅の動脈に押し出され、充分に翅が広がります。少し待つと、外骨格は柔軟性を保ちながら硬化し、この変身した生物は翅を広げて空中に飛び立つのです。・・・・・」

 

旧約聖書詩篇104:24

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imagine 神の御国が存在することを!

imagine キリストに信仰を持つ者が栄光から栄光へと主イエス・キリストと同じ姿に変えられることを!

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

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私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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復活と永遠のいのち(その6)

(その5)の続き。

 

NHK大河ドラマ西郷どん」が1月7日(日)より放送されますが、昨年12月に発売されたばかりの「西郷隆盛と聖書」を昨日購入し、読み始めました。

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本文まえがきを引用します。

「十年近く前になるでしょうか、民放のテレビで、『西郷隆盛キリシタンか?』という歴史探訪番組が放映されました。ナビゲーターが俳優の榎本孝明氏であったのも印象に残っていますが、正直、その都市伝説的タイトルに違和感を覚えたものです。番組では、西郷に関し、二つの驚くべき説が紹介されました。第一は『西郷さんは漢訳聖書を読んでいただけでなく聖書を教えておられた』。第二に『西郷さんは、秘密裏に、横浜でキリスト教の洗礼を受けていた』というものでした。にわかには信じられない出来事です。・・・・・」

西郷隆盛キリシタンだった?

真相や如何に!

 

さて、本日のテーマに入ります。

昨日に続き、携挙の聖句を再度ご覧ください。

新約聖書・テサロニケ人への手紙第一4:16~17

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17節の「引き上げられ」という言葉は、ギリシア語でharpazo(ハルパゾー)と言う言葉で「激しい力によって運び去る」という意味があります。

ラテン語ではrapio(ラピオ)と言う言葉で「力によって取り去る」と言う意味があり、英語ではrapture(ラプチャー)です。

 

携挙を理解する上で、これから先に起こる事のどの位置に携挙があるのかを知っておくことが大切です。

 

「携挙」→「患難(大患難時代)」→「キリスト再臨」→「千年王国」→「最後の審判(白い御座の裁き)」→「新天新地」

 

キリストが処女マリアから生まれて地上に現れてくださったことを「初臨」といい、十字架上で死に3日後に復活して天に上られて再びこの地上に来られることを「再臨」と言いますが、携挙のことを「空中再臨」と言う人もいます。

そして、「空中再臨」と区別するために、地上にキリストが来られることを「地上再臨」と言うこともあります。

 

携挙があった後に、創造主である神に背を向けてきた者たちに対して神の怒りの裁きが始まりますが、この時期(7年間)を患難期とか大患難時代と言います。

 

ただ、携挙は患難期の前に起こるのではなく、患難期の中頃又は患難期の後に起こると解釈する人たちもいます。

 

それぞれ、「患難期携挙説」、「患難期携挙説」、「患難期携挙説」と言います。

 

私の立場は患難期携挙説です。

 

昨日紹介した小説及び映画の「レフト・ビハインド」は、患難期携挙説に基づいたものです。

 

話は前後しますが、患難期(大患難時代)にはどんなことが起こるのでしょうか。

詳細はここでは書きませんが、7つのラッパによる裁き、7つの鉢のさばきと呼ばれるものなどがヨハネの黙示録6章から19章に書かれています。

一部引用します。

血の混じった雹(ひょう)と火によって地上の3分の1が焼ける(黙示8:7)。

火と煙と硫黄とのために人類の3分の1が殺される(黙示9:18)。

海は死者の血のような血になり海の中のいのちあるものはみな死んだ(黙示16:3)。

人間が地上に住んで以来かってなかったほどの大地震が起こる(黙示16:16)。

 

このような大患難の只中にいることを誰が望むでしょうか。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書ヨハネの黙示録3:10

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上記聖句に書かれているように、神はキリストに信仰を持つ者を試練の時である大患難から守るとおっしゃっています。

つまり、患難期の前に携挙によってキリスト者を守るということです。

 

続いて次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・テサロニケ人への手紙第一5:9

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神は、キリストに信仰を持つ者が、神の御怒りに会うことがないと保証してくださっています。

この聖句からもキリスト者が大患難を経験することがなく、神が患難期の前に携挙によってキリスト者を守ってくださることが分かるのではないでしょうか。

 

一人でも多くの人たちがキリストに信仰を持つ人となり、携挙によってキリストと共に天に上る恵みによって、大患難の只中で苦難に遭うことがないよう祈りたいと思います。

アーメン。

 

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その5)

(その4)の続き。

 

突然ですが、「化石」はどのようにできるかご存知ですか?

また、「化石」ができるにはどのくらいの期間が必要かご存知ですか?

 

恐らく多くの人は数千万年、数百万年、少なくとも1万年以上の年数を要するのでは、と考えているのではないでしょうか。

 

ところが、数週間で化石ができると言ったら、皆さんは信じることができますか。

 

名古屋大学博物館の吉田英一博士たちが、化石が数週間で出来ると主張しています。

下記のサイトをご覧ください。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

www.kodomonokagaku.com

 

聖書を信じる私たちキリスト者は、天地万物が創造されたのは、今から約6千年前であると信じています(一部のキリスト者は信じていないようです)。

そのように信じているキリスト者としては、生物が数千万年、数百万年も前に存在したことなどありえないのです。

 

聖書では天地万物を神が6日間で創造し、7日目に休息されたと書かれています。

万物が進化によって存在しているのではなく、約6千年前に創造主である神によって創造された、それも、文字通り6日間(144時間)で創造されたことを当ブログで近々検討したいと考えています(しばしお待ちを)。

 

さて、本日のテーマに入ります。

聖書の記事の中で、死んで墓に葬られて4日経つラザロをイエスが生き返らす場面があります。

新約聖書ヨハネ福音書11:39~45

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キリストを信じる私たち信者の望む復活は、キリストの復活のように二度と死ぬことがない永遠のいのちへの復活です。

 

しかし、ラザロの復活は厳密に言うと復活ではなく蘇生でした。

したがって、時が来て死に至りました。

 

私の信仰の基礎にあるのは、一時的な蘇生ではなく「復活と永遠のいのち」です。

復活と永遠のいのちを実現できるのは、天地万物の創造主において他にありません。

天地万物の創造主は、キリストを信じる者に永遠のいのちを約束してくださいました。

釈迦は今も死んだままです。

復活などしませんでした。

釈迦は永遠のいのちを約束してくれませんでした。

私たち人間と同じ、創造主によって造られた被造物に過ぎません。

イスラム教のムハンマドマホメット)も死んだまま、復活などしませんでした。

イエス・キリストだけが復活したのです。

 

復活と永遠のいのちを約束された天地万物の創造主である神とイエス・キリスト以外を信仰の対象とすることなど考えられません。

 

当ブログで、度々、キリストを信じた者は死んでも復活し、永遠のいのちを持つと書いてきました。

では、何時、死者は復活するのでしょうか?

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・テサロニケ人への手紙第一4:14~17

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ところで、携挙(けいきょ)という言葉をご存知ですか。

「携挙」という言葉そのものは聖書には書かれていませんが、復活したイエスが天から下って来られて、キリストに信仰を持つ者たちを雲の中に一挙に引き上げることを指します。

 

エスが天から下って来られた時にすでに死んでいた者たちは、この時復活し、生きている者たちは生きたまま空中に引き上げられます(テサロニケ人への手紙第一4:16~17)。

そして、イエスと共に天に上り永遠のいのちへとつながっていきます。

 

恐らく、イエスが死んで3日後に復活したときに、体に巻かれていた布が墓に残っていたように、携挙された信者も地上に衣服を残して天に上っていくのでしょう。

 

「携挙」をテーマにした2014年に公開されたアメリカ映画「レフト・ビハインド」及び続編の「人間消失」をご存知ですか。

キリスト教の各教会及び教派で物議を醸した作品ですが、全世界で数千万部を売り上げたとされる1995年に発売された小説を映画化したものです。

聖書に興味のない人や聖書を学び始めて間のない人にとっては、単なるSFないし空想話に過ぎない作品でしょう。

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次回もこの「携挙」について触れたいと思います。

↓ ↓ (その6)はこちらをクリック 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

  

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その4)

(その3)の続き。

 

復活を次のように考えている人たちがいます。

「イエスの復活は異常な出来事ではない。それは、普通の出来事が異常な形で現れたものにすぎない。人が死ねば、その霊は創造主である神のみもとに行く。これが復活である。」

 

この考えには注意を払う必要があります。

復活を人のからだではなく、人の霊に当てはめているからです。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

新約聖書・テサロニケ人への手紙第一5:23

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人間は高度な知性を持った生き物であり、三つの部分、すなわち、「霊、たましい、からだ」から成り立っています。

 

人の霊とたましいには密接なつながりがあるので、この二つを区別するのは困難ですが、それらは全く別のものであることが、新約聖書・ルカの福音書1:46~47の記事でわかります。
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霊とたましい(霊魂)は、永遠のいのちを考える上で重要な要素なので別の機会に必ずブログ・アップします。

 

聖書に用いられている「復活」ということばは、からだにだけ関連しています。

復活とは、人のからだが肉と骨を備えた状態でよみがえり、そのからだを持って神に会うという意味です。

 

<番外編>

トリノの聖骸布」をご存知の方も多いことでしょう。

北イタリアのトリノにある聖ヨハネ大聖堂に厳重に保管されているその布は、全長約4.4メートルです。

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エスの遺骸を包んだとされる布ですが、その真偽は如何に?

 

聖書の記事を読めば、その真偽は明らかです。

 

エスは、十字架刑に処せられた後にからだは亜麻布で巻かれて墓に葬られました。

新約聖書ヨハネ福音書19:40~42

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墓に葬られてから3日後に復活した際の墓の中の様子を次のように聖書は語っています。

新約聖書ヨハネ福音書20:6~8

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復活したイエスは亜麻布から通り抜けて消えていた。

亜麻布はイエスの死体を覆ったままで残っていた。

頭に巻かれていた布切れは、離れた所に巻かれたままの状態になっていた。

したがって、イエスの死体を覆った布は、頭に巻いた布と体に巻いた布が別であることが分かります。

 

結論です。

トリノの聖骸布は一枚布であり、一枚布に人間(イエスとは書きません)の全身が写しだされているものであり、誰かが人間の姿を書いたものであることが真実のようです。

 

昨年のアメリカ映画「復活」はイエスの復活に焦点を当てた映画ですが、この「トリノの聖骸布」が出て来る場面があります。

そこそこ面白い映画でした。

レンタルショップのツタヤとゲオが住まいの近くにあるのですが、意外にも商品数が多いツタヤには置いてなかったので、普段利用することのないゲオで借りました。

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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復活と永遠のいのち(その3)

(その2)の続き。

 

エスの復活などなかったと批判する説の二つ目を検討します。

復活の聖書の記事はイエスの弟子が創作したとする説。

多くの人が支持する説だろうと思います。

しかし、この説が本当だとすると、弟子たちはイエスの復活を公言し自らの復活の希望も持ちながら宣教をしたのですが、自ら創作したウソのために数々の迫害に遭い殉教の死を遂げることは不可解ではないでしょうか。

 

次の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書出エジプト記20:16

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モーセ十戒の第九戒です。

ユダヤ人にとって神の戒めであるモーセ十戒に違犯することは大罪です。

 

大罪であることを承知で弟子の皆でイエスの復活というウソを作り上げて、そのウソのために迫害に遭い殉教の死を遂げるなどあまりにも馬鹿げたことです。

 

人は真実を守るためであれば命をかけることがあっても、ウソを守るために命をかけることはないのではないでしょうか。

 

パウロは次のように語っています。

新約聖書コリント人への手紙第一15:12~20

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★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリストを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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