星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

種の起源

アマゾンで、ある本を探していました。

そうすると「マンガ・種の起源ダーウィンの進化論)」という本に目が止まりました。

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進化論など眼中にない私ですが、読者のレビュー(書評)が★5つの最高評価ばかりなので、読んでみることにしました。

 

読んでみて、私を頷かせ納得させるものが何一つなかったことは言うまでもありません。

しかし、確かに分かりやすく、そして、内容も薄っぺらなものではなく充実したものでした。

 

ダーウィンの「種の起源」を読もうとして、チャレンジしてみたものの「言葉が難しい」「書き方が不親切」で「読みにくい」ので挫折した方も多くいるのではないでしょうか。

 

また、クリスチャンであるが読んだことがない、クリスチャンだからこそ読む気がしないと敬遠している方もいるでしょうが、この「マンガ・種の起源ダーウィンの進化論)」は集中すれば、一日で読めてしまうので読んでみてはどうでしょうか。

 

この本を書いた著者は、ハーバード大学卒業後、MIT(マサチューセッツ工科大学)大学院物理学博士課程を修了した人であり、一般的に言えば、極めて能力の高い人と言うことなのでしょう。

その能力が高い人であっても、万物を創造主である神が創造したことを信じるのではなく、進化論を信じているという現実があります。

 

エスのしるし(奇蹟)を目の前で目撃した人でさえ、そのしるしをサタンの仕業としてイエスを救い主(キリスト)と認めることができませんでした。

新約聖書・マタイの福音書12:22~24

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<参考>「ベルゼブル」とは、悪霊の頭(かしら)、つまり、サタン(悪魔)のこと。

 

創造主である神の存在を認めず、進化論を信じている人が多い現実がありますが、一人でも多くの人が、自然と自然の中の被造物を観察することにより創造主の神の御業を認めることを祈りたいと思います。

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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神のかたちに似せて創造

 

 

人類の祖アダムは神のかたちに似せて創造されたと聖書に書かれています。

旧約聖書・創世記1:26

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この聖句に、少なからず違和感を持ち続けていました。

それは、神は霊であり、人間は神を見ることができない、神を見ると死ぬと聖書には書かれているのに、何故、神のかたちに人間が似せて造られたのかということです。

新約聖書ヨハネ福音書1:18

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新約聖書ヨハネ福音書4:24

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旧約聖書出エジプト記33:20

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必ずしも聖書は、神にかたちがないと言っているのではなく、神は霊であり、人間には神をかたちとして認識できないと言っているのでしょうか。

 

アレコレ思いを巡らせても頭の出来がよくない私には、やはり、霊であり、人間には見えないはずの神のかたちに似せてという表現に違和感があり、その違和感を拭い去ることが出来ませんでした。

 

多くの神学者や牧師は、「人間(アダム)は、主として精神と意志において神に似たものである」というような似たり寄ったりの説明をしています。

 

しかし、私の求めていた答えは聖書にありました。

「聖書のことは、聖書に聞け」ですね。

 

 神のかたちに似せてとは、どういうことか、次に引用する3つの聖句によって読み解くことができるのではないでしょうか。

新約聖書・コリント人への手紙第二4:4

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新約聖書・コロサイ人への手紙1:15

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新約聖書・ローマ人への手紙8:29

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<参考>「御子」とは、イエス・キリストのこと。

 

聖書のある聖句が難解であるときには、別の聖書の聖句を読むことによって、その答えを得ることができるのはよく経験することです。

 

本日のテーマから脱線しますが、難解とされるヨハネの黙示録は、旧約聖書を理解していなければその意味を理解することは困難です。

旧約聖書を理解していない多くの人たちは自分勝手な独自の解釈をしているようです。

逆に旧約聖書を理解していれば、難解とされるヨハネの黙示録も驚くほど理解がすすみ、この世の終末があざやかに見えてきます。

 

話を戻します。

創世記1:26「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。」の「われわれ」である神は、三位一体を表しています。

因みに、主なる神は第一位格、キリストは第二位格の神、聖霊が第三位格の神です。

難解な三位一体の教理を理解することは、私にとっても、かなり大きなチャレンジでした。

正直、長い期間、三位一体の教理を理解することができませんでした。

三位一体の教理を理解するためには、旧約聖書の原語であるヘブル語の理解が必要です。

私自身は、ヘブル語は全く分かりませんが、ユダヤ人の神学者(メシアニック・ジュー)によるヘブル語文法に基づくヘブル語的聖書解釈のセミナーを聞くことによって、はじめて明確に三位一体の教理を理解することができました。

三位一体の教理だけではなく、聖書全体を理解するためには、聖書時代のユダヤ人の置かれた状況を踏まえ、ヘブル語的に聖書理解をする必要があるようです。

 

有名な聖句を引用します。

新約聖書・マタイの福音書7:7(文語訳
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カッコつけて言えば、私は、創造主である神のこと、イエス・キリストのこと、聖霊のこと、永遠のいのちのこと、この世の終末のことなど、つまり「真理」を求めています。

難解な聖書の聖句も、求める姿勢があれば、その答えである真理を神は必ず与えてくれると確信しています。

そして、日々、実感しています。

 

本日のテーマの結論です。

私たち人間は、神の御子キリスト(第二位格の神)に似せて創造されたのです。

人間を神は愛したからこそ、神に似せて創造してくださったのです。

愛してくださった神に、感謝の祈りを捧げたいと思います。

 

↓ ↓ 聖書の他の重要なテーマについては、こちらをご覧ください。 

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https://bible-seisho.jimdo.com/



★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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宗教改革500周年

太り気味なので、天気の良い日はウォーキングをしていましたが、中々体重が減りません。

そこで、10月から週3回ほど市民プールでスイミングを始めました。

クロールと平泳ぎを交互に約1時間ほどスローペースで泳ぎます。

さすが全身運動だけあって、お腹にダブダブと付いていた脂肪も結構とれてきました。

今日の日曜日は、市民プールの利用者が多いのでスイミングは休んで、近くの川沿いをウォーキングしようと思っています。

 

さて、今日のテーマに入ります。

 

今年は、宗教改革から500年が経ちます。

宗教改革は、マルティン・ルターが1517年10月31日に、ドイツ東部にあるヴィッテンベルグの城教会の扉に「95ヶ条の提題」(免罪符に対する抗議書)を掲示したことに始まるとされます。

私の手許にある「いのちのことば」という小冊子の記事の一つを紹介したいと思います。

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私も「ユダヤ人と彼らの嘘」を読みましたが、一部を引用します。

「彼ら(ユダヤ人)は一つの原則を保持して、それを頼りにしている。即ち、彼らは地上でもっとも高貴な国民の生まれ、アブラハム、サラー、イサク、レベッカヤコブ等の子孫であるという事である。われわれ異教徒(ゴイム)は、彼らの目から見ると人間ではなく、ほとんど虫けらにも値しない。・・・」

彼ら(ユダヤ人)は彼(イエス)を売春婦の子と呼び、彼の母マリアを売春婦と呼ぶ。彼女はイエスを鍛冶屋との不倫のうちに産んだとするのである。まことに不本意であるが、私は悪魔と戦うために非常に粗野な言葉を使わねばならない。彼らが単なる憎悪とわがままでこうした嘘をつくのは、ただ彼らの哀れな若者や単純なユダヤ人達がイエスの教義(それを彼らは否定できない)を受け入れてしまわぬよう、我らの主に対する偏見を彼らに抱かせるためなのである。・・・」

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ルターは、当ブログでは引用がはばかれるほどの激烈な言葉をもってユダヤ人を攻撃しています。

 

昔の私はユダヤ人すべてがユダヤ教徒であると思い込んでいましたが、この小冊子の記事に出てくる「メシアニック・ジュー」という言葉が示すように、ユダヤ教徒ではなくイエス・キリストを信じているユダヤ人達も徐々に増えているということです。

 

<参考>

メシアニック・ジューとは、ユダヤ人であってイエスをメシア(救い主)と信じている人たちです。

簡単に言えば、ユダヤ人のクリスチャンということですが、メシアニック・ジューは、(個人差はあるようですが)クリスチャンと呼ばれることを好まないようです。

メシアニック・ジューはユダヤ人であることに誇りを持ち、イエス(イェシェア)をメシアと信じる信仰にも誇りを持っている人達ということでしょう。

 

イエス・キリストを十字架に吊るしたユダヤ人及びそれに賛同したユダヤ人だけでなく、ユダヤ人全体を憎む反ユダヤ主義者が現在の今も数多くいます。

 

しかし、イエス・キリストご自身がユダヤ人として誕生し、マタイ、ヨハネ、ペテロなどの12人の使徒(弟子)もユダヤ人なのです。

 

さらに、上記で書いたようにイエスをメシア(救い主)と信じるメシアニック・ジューがいることも忘れてはなりません。

 

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・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

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・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

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<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

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エリ、エリ、レマ、サバクタニ

十字架上でイエスは、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。

新約聖書・マタイの福音書27:46

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聖書初心者の頃、この聖句を読んで、イエスの弱々しさを感じた私でした。

 

信者ではない多くの人たちも、この聖句を読めば、私と同じ印象を持つのではないでしょうか。

 

聖書の学びを本格化させてみると、私が感じたイエスに対する印象が明らかに間違いであったことに気付かされることになります。

 

この聖句は、旧約聖書詩篇22章の引用です。

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多くのユダヤ教徒は、旧約聖書を暗唱しています。

ですから、イエスが十字架上で叫んだことばが、詩篇であることを当然わかっていたのです。

詩篇22章は主なる神を賛美する聖句です。

 

十字架上のイエスの命は風前のともし火でした。

詩篇22章の冒頭を叫ぶのがやっとだったのでしょう。

決して弱々しいお方ではありません。

エスは人類のメシア(救い主)です。

KING OF KINGS(王のなかの王)です。

エスを信じる人間を力強く神の御国に導いてくれます。

 

本日引用した聖句だけでなく、聖書自体を丁寧に学ぶことなく、間違った解釈をしてしまって聖書を信じないままでいること、イエス・キリストを信じないこと、神を信じない多くの人たちがいることは、本当に残念なことだと思います。

 

一人でも多くの人が、聖書を丁寧に学び真実のイエス・キリストに出会うことを祈ります。

 

 


★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

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・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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エバをそそのかした蛇の真実

40数年前のテレビの記憶です。

アメリカの映画だったのか、アメリカのニュース番組だったのか、はっきり記憶していませんが、40数年経った今も覚えているシーンがあります。

裁判所か集会所で、大勢の聴衆の前で、ある男性がキリスト教徒の人を問い詰めているのです。

「あんたは、ヘビがエバを騙したなんて馬鹿げたことを本当に信じているのか?」

「神がヘビに呪いをかけて地を這うように命じた、と本当に信じているのか?」

覚えているのは、たったこれだけです。

キリスト教などにまったく関心などなかった私が何故40数年も覚えていたのか不思議です。

 

<追記>

上記の事をこのブログを書いて後、ネットで調べてみて判明しました。

1960年のアメリカ映画「風の遺産」であり、それをテレビで放映されたのを見て覚えていたのです。

この映画は、1925年に実際にテネシー州で起こった有名な「モンキー裁判」を題材に採り、ある教師が公立学校で進化論を教えるという「違法行為」により検挙され、それをめぐる裁判を描いたものです。

「モンキー裁判」について下記のウィキペディアでご確認ください。

↓ ↓ こちらをクリック

モンキー裁判 - Jinkawiki

 

まず、下記の聖書箇所をご覧ください。

旧約聖書・創世記3:1~6

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旧約聖書・創世記3:14

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聖書を信じていない人はもちろんですが、聖書を信じているはずのキリスト教徒であっても、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実(善悪の知識の木)を食べさせた場面になると途端に歯切れが悪くなるようです。

多くの神学者や牧師が書いた本でも、神話程度の扱いしかしておらず、真正面から歴史的事実として説明している本は稀なようです。

 

7月27日のブログでも紹介した東大総長を経験した無教会者の矢内原忠雄(1893年~1961年)も、その著書に次のように書いています。

「之は一つの物語である。従って詩の心を以て読むべきであって、西洋の学者が往々にして為す如く、重箱の隅を箸にてつつくような詮索を試みるべきではない。彼らは言う、神が人に命じて『善悪を知るの樹は汝その果実を食うべからず』と言ったことを、どうして蛇は知ったのであろうか。どうして又蛇は人間の言葉を語り得たのであろうか。いや、この事件以前においては事実において蛇は立って歩み、又人語を解したものと考えなければならぬ等々。およそかかる種類の詮索はこの物語の文学的妙味を害するものであって、正しき解釈の態度ではない。今日の動物学者は蛇に足の痕跡あることを発見した。さればとて我々はそれに基き、創世記記事の科学的正確を証明しようなどとは思わない。之は科学の記事ではなく、詩的物語である。物語もしくは詩にありては蛇が人語を語ることを妨げない。・・・」

 

私は、聖書を丸ごと信じていると当ブログで何度も書きました。

 

アダムとエバが禁断の果実を食べたことから人類の苦難の歴史が始まったと聖書に記されています。

したがって、禁断の果実を食べたということは、人類にとって最重要の問題のはずです。

その最重要の問題が発生した根本原因が、事実ではなく、単なる神話や作り話というのでは、私は断じて納得できません。

事実としてあったことであり、あやふやにしたままではいけないと私は考えます。

 

よく例えられる建物の基礎です。

基礎が揺らいではいけません。

アダムとエバが神に背いて禁断の果実を食べたことによって、私たち人類の苦難がスタートしました。

つまり基礎の最重要問題であるヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面が、歴史的事実ではなく神話や作り話では、聖書を信じる価値が損なわれる、と私は考えます。

 

ところで、イエスが十字架上で死んで三日後に復活して天に昇られるまでの40日間に弟子たちに現れて、イエスが語る言葉の中で次の聖句があります。

新約聖書・ルカの福音書24:44

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モーセの律法と預言者詩篇とに書いてあること」とは、創世記から始まるヘブル語聖書の3区分のこと、つまり、旧約聖書全体を指します。

この聖句は、キリスト(メシア)の復活について語るイエスの言葉ですが、イエス自身も創世記3章のヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面を含む旧約聖書全体が神話や作り話ではなく事実として認めた上で語っているのです。

 

ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせたことが事実ではなく、単なる神話や作り話であるとすれば、イエスが語った言葉の信憑性に重大な疑義が生じるのではないでしょうか。

 

イエス・キリストは真実のお方です。

イエス・キリストの語った言葉にウソ偽りはありません。

イエス・キリストは真理です(ヨハネ福音書14:6)

 

私は、イエス・キリストを信じています。

私は、イエス・キリストが語った言葉を信じています。

イエス・キリストは、様々な場面で旧約聖書を引用して語りました。

イエス・キリストを信じている私が、イエスが引用した旧約聖書を信じることは当然のことです。

私は、イエス・キリストの語った言葉を聖書によって知ることができたのです。 

 

パウロも、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面を神話や作り話ではなく歴史的事実として捉えており、新約聖書コリント人への手紙第二11:3では次のように記しています。

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聖書を真剣に学ぼうとする人は、聖書を理解する補助として、聖書注解書や聖書事典を持っていると思います。

私も必要に応じて参照しますが、この聖書注解書や聖書事典では、ヘビがエバをそそのかして禁断の果実を食べさせた場面について、事実としてではなく神話として捉えて説明しています。

 

因みに、日本基督教団出版局「新共同訳・旧約聖書注解」には次のように解説されています。

「(創世記3章)1節の『蛇』は古代の神話・民話の世界では生命・知恵・富・生殖・癒しなどをつかさどる神(しばしば原初の混沌の神、地下世界に住む神、その姿形から両性具有、脱皮することから再生・回帰・復活などの力をもつ神)の象徴。ここでも古代のエジプトやメソポタミヤで蛇が知恵の象徴であることから、(新共同訳聖書では)『最も賢い』とされている。」

 

聖書注解書などの解説では納得できない私は、他の様々な本を購入して調べたり、図書館で調べたりしましたが、中々、納得できる説明に出会えずにいました。

 

しかし、私の尊敬するキリスト者内村鑑三は、やはり、私の求めている答えを持っていました。

その著書の「聖書之研究」には次のように書かれています。

「(創世記3章1節が)事実であるか、比喩であるか、明白に識別することができない。しかしながら、これを原語(ヘブル語)にて読むときは、その困難の大部分を解き去ることができる。蛇の原語(ヘブル語)ナカシュは、その字義によれば『光あるもの』または『りこうそうに見ゆるもの』の意である。すなわち一見して博識多才、世事に精通し、人心の機微をうがつがごときものを『ナカシュ』という。その注解を得んと欲すれば、コリント人への手紙第二11章14節を見よ。『サタンさえ光の御使いに変装するのです。』と。アダムとエバとの前にあらわれたる蛇すなわちナカシュは、光の御使いのかたちに変じたるサタンである。ゆえにこれを訳語にて蛇と読まずして、むしろ原語のまま『ナカシュ』と読むをよしとする。・・・・・<中略>・・・・・ナカシュは蛇を代表するものたることは疑いがない。蛇そのものにはあらざるも、蛇のごときものである。」

〈参考〉ヘブル語「ナシュ」は、訳者によっては「ナシュ」と書いています。

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(出典:教文館刊「聖書大事典」)↑

 

新約聖書・コリント人への手紙第二11:14

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なお、新約聖書ヨハネの黙示録12:9では、サタンのことを「あの古い蛇」と表現していますが、「あの古い蛇」がエバをそそのかした蛇を指していることは明らかです。

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この「ナカシュ」は賢く、話すことも出来た生物であり、足もあったようです。

6月10日のブログでも登場したフラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ古代誌」には次のように書かれています。

「神は、アダムにたいする蛇の悪意ある態度に立腹し、蛇からその言語を奪われた。・・・・・<中略>・・・・・神はまた、蛇から足を奪って地上を這い廻るようにもされた。

 

<参考>

旧約聖書ヨブ記40:15~24に神が創造した「ベヘモット」という生物が登場しますが、新共同訳・聖書では次のように書かれています。

「見よ、ベヘモットを。お前を造ったわたしはこの獣をも造った。これは牛のように草を食べる。見よ、腰の力と腹筋の勢いを。尾は杉の枝のようにたわみ、腿の筋は固く絡み合っている・・・・・」

新改訳・聖書では、「ベヘモット」を「河馬」と訳しています。
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「尾は杉の木のように垂れ」とありますが、動物園で実際に見た河馬の尾が杉の木のようには私には見えないのですが、皆さんにはどう見えますか?

ここは、河馬と訳すよりも、新共同訳・聖書のように原語のヘブル語「ベヘモット」としておくのがベターだと私は考えます。

 

そこで、創世記3:1の「蛇」も、内村鑑三が言うように原語のヘブル語「ナカシュ」と読んだ方がベターではないでしょうか。

 

結局、エバが対面した生物は、私たちが現在眼にする地を這う「蛇」ではなく、「ナカシュ」という生物だと考えた方が良いでしょう。

そして、神の呪いをうけた「ナカシュ」が、地を這う姿に変えられて「蛇」になった、と私は解釈します。

 

過去、多くの芸術家の絵画には、聖書本来のナカシュではない、足のない蛇が描かれて、その絵画を見た我々に聖書が神話や作り話だと誤解を与える一因になった、と私は考えています。

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アルブレヒト・デューラー作)↑

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/

 


 ★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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負け犬人生と神の御国

もう少しすると(10月)61歳になります。

私の人生を振り返ると仕事上も私生活上も失敗の連続でした。

ある時期、すべての希望を失い、自殺を試みたこともあります。

約1年間クルマの中に自殺のためのロープを積んでいました。

今風に言えば、負け犬人生ですね。

 

しかし、聖書と出会い、命の源である天地万物の創造主である神を知り、イエス・キリストを信じることができている今は、過去の負け犬人生があったからこそ、聖書の真理を信じることが出来たのだと、心より思っています。

 

聖書に「凡てのこと相働きて益となる」という聖句がありますが、至言です。

新約聖書・ローマ人への手紙8:28(文語訳

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この聖句が実感として理解できます。

 

聖書・神・イエスを信じることによって、人間レベルの愛ではなく神の愛の体現者である愛そのもののイエス・キリストが、将来天より地上に来られ(再臨)支配される神の御国に入る招待状を手にすることができ、感謝の毎日です。

 

ここで勘違いしてもらうと困るのですが、私が善人だから神の御国に入る資格があると言うことでは決してありません。

相変わらず私は罪人です。

しかし、イエスの十字架の死によって、私たち人間の罪をイエスは贖ってくださったのです。

別の言い方をすれば、私たち人間の罪をイエスがすべてかぶってくださったのです。

 

数か月前、何気なくNHKテレビを見ていると爆笑問題の二人が長崎の隠れキリシタンの里を訪問していました。

太田氏が歩きながら(一言一言がそのままではありませんが)次のように言っていました。

キリシタンの人達は、貧しさや苦難のために、現実社会に希望を見いだすことができなかったので、(幻の)天国に希望を求めるしかなかったんでしょうね」

爆笑問題の太田氏だけでなく、聖書を信じる以前の私も、このようにキリシタンの人達のことを認識していました。

 

しかし、今は、断言します。

キリスト教徒は、ありもしない心の中にだけ存在する幻の神の御国に希望を持っているのではありません。

リアルに必ず訪れる「神の御国」を信じているのです。

 

当ブログでも何度も書いてきました。

盲目的に信じているのではありません。

現実世界を冷静に観察し、聖書を研究することにより、「神の御国」が到来することが合理的であると、理性的に捉えているのです。

 

今年の日本は、豪雨による災害が頻発しています。

一昨日もメキシコで大地震が起きました。

私の信頼するエル・シャダイ(全能の神)は、このような状態の地球をそのままにして置くおつもりは決してありません。

エル・シャダイ(全能の神)を見くびってはなりません。

 

再度言います。

イエス・キリストが支配する「神の御国」は必ず到来します。

 

まだまだ、当ブログで語りたいことが山ほどあります。

しかし、少しの間、休みをいただくことにしました。

申し訳ありません。

尚、ブログ休止期間中にホームページを作成します。

HPアップの際は、当ブログでも表示します。

 

次回は、本年12月1日(金)に必ずアップします。

<予告>

12月1日アップ予定のテーマ

「(仮)エバをそそのかした蛇の真実」

一般書店で売られているキリスト教関連本や聖書注解書ならびに聖書事典、または多くの神学者や牧師が語っていることとは違う角度から解説する予定です。

私が尊敬するクリスチャンの解釈を基に解説します。

まだクリスチャンではないが、真の神を求めている人(求道者など)であれば、エバをそそのかした蛇の場面が神話などではなく、少しは事実として受け入れることができる人が出て来ることを期待して、ブログをアップします。

尚、くれぐれも過大な期待はしないでください(笑)。

 

最近、当ブログをお読みいただくようになった読者の方は、恐縮ですが、遡って過去のブログもお読みいただければ嬉しい限りです。

 

とりあえず、本日まで読んでいただいた読者の皆様に感謝を申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
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反面教師

昨日、掘り出し物の本がないかと思い、ブックオフに行きました。

掘り出し物はなかったのですが、新約聖書(定価1800円税別)が新品同様なのに200円とあったので、すでに複数の聖書を持っているのですが、安さと新品同様であることの誘惑に勝てず、10%割引クーポンもあったので他の本と一緒に購入しました。

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ブックオフで購入した聖書)

 

前々回、前回とバート・D・アーマンの著書「破綻した神キリスト」「捏造された聖書」の一部を引用しました。

彼の主張に至る心情は無視できないものです。

聖書のオリジナルは存在しない、コピーのコピーが繰り返されて改竄も多々あるはずだ。

「神が愛」なら、苦難ばかりの悲惨な現実世界を神は何故、そのままにして沈黙するのか。

上記の二つの主張は、全世界の、とりわけ日本では一般的にクリスチャン人口が1%程度しかいないと言われてますが、99%の聖書の神を信じない人々の共通な心情を代弁しているように感じるからです。

 

確かに「神は愛」を以て私たち人間を創造されました。

しかし、アダムが土の塵から創造されたことを忘れてはなりません。

聖書には、人間は「土の器」であるとも記しています。

神に背を向けて、神の御心に従わない人間は、単なる「土の器(陶器)」として扱われてもしかたがないことを心に留めておくことも必要なのではないでしょうか。

 

私たち人間は、神の愛によって創造された「神の作品」として霊的な存在である一面と「土の器」に過ぎないという一面の両面があることをバランスよく認識する必要があるように思います。

 

一般書店で売られているキリスト教関連の本は、繰り返し書いてきましたが、神の愛ばかりが語られ過ぎる傾向があります。

土の器に過ぎない面との両面がバランスよく語られている本の出版がされることを期待したいものです。

 

私が、聖書の真実性を否定したり、神の存在や神の愛を否定するような本を読むのは、私の信仰が盲目的でなく理性的、合理的であることの再確認の為でもあります。

また、反聖書的、反キリスト的な本の著者の主張を検討することで、いままで気が付かなかった聖書の真実性を新たに発見することも多々あるのです。

 

バート・D・アーマンは、新約聖書のすべてを初めから終わりまで一字一句違わず暗唱できるほどになった、と「破綻した神キリスト」に書いていました。

間違いなく、私などよりも遥かに多くの知識を有してキリスト教に精通していた人ですが、キリスト教を棄てることになってしまいました。

豊富な知識が、真の信仰に必ずしも繋がらないことが、皮肉にも、バート・D・アーマンによって見ることができます。

 

神学者や牧師でもない私の聖書研究は、職業としてではなく、イエスの「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」とのご命令に従うためにする個人的なものです。

 

バート・D・アーマンを反面教師として、私の聖書研究が、単なる聖書情報の収集になることなく、信仰がより一層深まる研究になることを祈りたいと思います。

 

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https://bible-seisho.jimdo.com/


 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき理性的に、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

<私は聖書の神を信頼する>

私は、命の源である天地万物の創造主である神が愛をもって私たち人間を創造してくださったと確信しています。愛である神が、天災、戦争、病などの苦難の多い人生で人間の一生を死によってすべて終わらせてしまうとは、私には考えられません。聖書に書かれている通り、神、キリスト・イエスを信じる者たちが、死後復活して神の御国において祝福の中で永遠の命を生きていくことを信じています。そのようにしてくださる神を信頼して、聖書の学びを継続します。

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。

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