星 周作 Blog

★ 福岡より〇〇をこめて  ★

想定外の苦難

あなたは、人生を楽しんでいますか?

人生を謳歌していますか?

人生を楽しんでいるはずなのに、人生を謳歌しているはずなのに、何故か、むなしさを感じる瞬間はありませんか。

そのむなしさを感じる原因は何なのでしょうか?

 

人生を楽しく感じ、人生を謳歌できるのは、心の持ちようかもしれません。

しかし、その心の持ちようも、想定外の天災や苦難(病気や近親者の死)によって、脆くも崩れ去ることがあるかもしれません。

 

わたしたち人間は、金銭的及び肉体的健康に恵まれ、快適過ぎる環境が続くと、それが、いつのまにか当り前になり、神のことを心に留めることがそもそも皆無であったり、少なからずあった神への思いも除々になくなり、神がいなくても独りで生きて行けると錯覚してしまうようです。

 

しかし、快適な環境の時ではなく、地震、洪水などの天災や人間に降りかかる様々な苦難があると、神を思い出し神に救いを求めることになるようです。

 

また、想定外の苦難が「つまづきの石」となり、「多くの人命が失われるような災害が続くことを、何故、神はお許しになるのか。神は沈黙するのか。何故、わたしの愛する幼子の命が失われるのを神はお許しになるのか。神など信じない。神などいない。」と言って、神に背を向けてしまう人もいるようです。

 

進化論のダーウィンは、牧師になるため神学校で学ぶこともしましたが、愛する娘が幼くして死んでしまった喪失感から無神論者になったと言われています(ひとつの説)。

 

神は、人間が遭遇する苦難の中から、人間が神を見上げ、キリストを信じて神の御国(永遠のいのち)に入ることを望んでおられます。

 

神の道を選ぶか、神の道から反れるか、わたしたちに降りかかる想定外の苦難は分岐点(つまづきの石)になるのかもしれません。

 

あなたは、どの道を選びますか?

「聖書の神の道」

無神論

「他の宗教の神」

 

マルティン・ルターと並ぶ宗教改革ジャン・カルヴァン(生1509年~没1564年)は、その著書「キリスト教綱要」で次のように語っています。

「神はわたしたちがこの世を愛する肉欲の愛に、すぐにでも傾いてしまうという強い傾向を持っていることを知っておられますから、わたしたちがあまりにもその愚かな愛情になじんでしまわないようにと、その無感覚さからわたしたちを引き戻し、目覚めさせるために、きわめてすぐれた方法をとられるのです。わたしたちの心の目は、富や権力や名誉などのむなしい輝きにくらまされていますから、あまりに遠い所までは見通すことができません。また魂全体が肉的な誘惑にひかれていますから、その幸福を他に求めます。この悪に対処するために、たえず神は、その子供たち(人間)に、悲惨という教訓を与えて、この世の生活のむなしさを教えられます。彼らがこの世に十分で確実な平安を期待しないようにと、神は、しばしば彼らの平静を乱され、戦争や暴動や盗難やそのほかの危害によって、(神ご自身が手をくだすのではなく)荒らされることを許しておられます。彼らの持ち物に頼ったりしないようにと、時には追放、土地の不毛(飢饉)、大火事、そのほかの方法によって、神は、彼らを貧困にしたり、あるいは少なくとも彼らを平凡さの中に閉じ込めたりなさいます。彼らが夫婦の幸福にひたって、あまりに満足しないようにと、神は、悪い子どものために恥をかかされたり、あるいは子どものないことや、子どもを亡くしたりして苦しむことをお許しになるのです。しかし、ここまでのことにおいては、神が彼らに対して非常に寛大であったとしても、やはり彼らが虚栄や不当な確信で慢心してしまわないようにと、神は、病気や危険によって、この世の過ぎ行く人の幸福の不安定で、はかないことを、彼らに示されるのです。ですから、わたしたちは次のことをこの世の生活から学ぶ時にのみ、(キリストの)十字架の教訓からほんとうに教えられます。この世の生活は、それ自身について考えるなら、数えきれないほど多くの場合に、落ちつかず、狂暴で、みじめで、全然、幸福なものではありません。またその幸福と言われるものも、不確実で、はかなく、むなしいもので、多くの悪と混ぜ合わされていて、質を悪くされているものです。ですから、地上では、闘争以外には何も得られませんし、また期待もできないという結論をすぐに下し、わたしたちが栄冠を思うなら、天(神の御国)に目を向けなければならないことを学ぶのです。・・・・・」


f:id:hoshishusaku:20170806084249j:image

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

何を信じますか!

神が天地万物を創造され、そして、わたしたち人間を創造してくださったことが確信できれば、神がその気になれば、新しく創造するのと同じように、わたしたち人間が一度死んでも復活して永遠に生きる者としてくださることは不思議なことでも何でもない、ということが容易に理解できるのではないでしょうか。

 

創造主である神を信じることができても、また、キリスト・イエスを信じることができても、死者が復活して永遠の命を得ることができる、ということだけは信じられない、という方がいるとしたら、神が全能であるということを信じていないことになりはしないでしょうか。

 

キリスト・イエスが地上にいた際に語った永遠の命のことは、キリスト・イエスがウソをついていたということになるのではないでしょうか。

 

神、キリストに偽り(ウソ)はありません。

偽りがないから神なのです。

 

新約聖書・コリント人への手紙第一6:14
f:id:hoshishusaku:20170805080807j:image

 <注> 「主」とは、キリスト・イエスのことです。

 

新約聖書ヨハネによる福音書3:15~16
f:id:hoshishusaku:20170805075650j:image
 <注> 「人の子」「御子」とは、キリスト・イエスのことです。

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

あなたのニーズは何ですか?

長年会社勤めをしているAさんは、妻子に愛され、上司や同僚にも信頼され毎日誠実に働いていました。

 

Aさん:「宝くじが3億円当選するようにしてくれれば、神様を信じます。」

神様:「わかった。お前の願いをかなえてあげよう。」

Aさん:「神様ありがとうございました。当選しました。あなただけを神として毎日祈りを欠かさず崇めます。」

 

Aさんは、会社も退職し、かねてから夢であったビジネスを始めました。

そして家を新築し、あこがれのベンツや様々の高価な物を購入し、海外旅行も何度も行き人生を享受していました。

この間、Aさんは一度も神様をかえりみることなく一日として神様に祈りを捧げたことはありません。

数年後Aさんは、ビジネスに失敗し一文無しになりました。

もう、厳しい会社勤めに戻る意欲をなくしたAさんは、また神様にお願いします。

 

Aさん:「お金がなくなり困っています。もう一度だけ、宝くじ5億円の当選をお願いします。」

神様:「お前のほかにも宝くじの当選を願っている者たちが行列を作っている。私は忙しいのだ。あきらめなさい。」

Aさん:「なぜ、最初3億円の当選をかなえてくれたんだ。かなえてくれなければよかったんだ。ビジネスにも失敗して、妻子も失ってしまったじゃないか。俺は神を一生恨む」

 

聖書の神は、御利益(ごりやく)宗教の神ではありません。

わたしたちに真に必要なものを備えて下さいます。

 

聖書の神は、わたしたちの願いをかなえてくださいます。

ただ、その願いは1時間後かもしれないし10年後、30年後かもしれません。

ただ、わたしたちに真に必要なものです。

 

「親の心、子知らず」という言葉があります。

わたしたち人間は、万物の創造主である神が愛をもって創造されたということをどれほど理解しているのでしょうか。

真の神を崇めることをせず偽りの神(〇〇神社、カルトなど)を礼拝したり、神の存在を否定したり、「神の心、人間知らず」のようです。

 

聖書の神は、わたしたちの(自己本位の)ニーズに合わせた神にはなってくれません。

聖書の神は、わたしたち好みの神になってくれるわけではないのです。

 

「人間を創造したとする愛の神なら、何故、人間の命を脅かす生物やウィルスを造るようなことをしたのか。そんな神を俺は神とは認めない」と言う人たちがいます。

天地創造、万物創造の神は、人間の知恵、能力を遥かに超えた存在です。

人間の尺度、基準で神を測ってはならないし、測ることはできません。

人間の知恵では理解しえない神の知恵があるのではないでしょうか。

 

被造物の人間は、「愛である神」を信頼して無条件で受け入れ、人生を導いていただく必要があるのではないでしょうか。

 

自分の好みに合わないから、自分の求める神様像ではないから、神とは認めないとは、何と傲慢なことでしょうか。

 

新約聖書・ペテロの手紙第一5:5 ↓

f:id:hoshishusaku:20170803084008j:image

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

無教会のキリスト者

私は過去及び現在まで一度も特定の宗教の教団及び教会に属したことのない無教会のキリスト者です。

 

そもそも、無教会とは何でしょうか?

 

ここでは、詳細を語ることは避けて、矢内原忠雄の著書「キリスト教入門」から一部引用したいと思います。

「私は高等学校2年生の時、明治44年(1911年)10月に、内村鑑三先生の聖書集会に入門が赦され、爾来昭和5年(1930年)先生が天に召されるまで師事しましたので、私の信仰は内村先生からだけ学んだと言ってもよいのです。内村先生の教えが無教会主義です。簡単に言えば、キリストに救われるためには教会員にならなくてもよい、ということです。更に、教会員となるためには洗礼を受ける必要がありますので、無教会主義というのは、キリスト教を信じるためには洗礼を受けなくともよい、ということなのです


f:id:hoshishusaku:20170801130436j:image


f:id:hoshishusaku:20170801131425j:image

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

内村鑑三と矢内原忠雄

矢内原忠雄(生1893年~没1961年)は、19歳の時、内村鑑三の門に入って聖書を学び始めた、内村鑑三と同じ無教会派のキリスト者です。

ちなみに1951年から1957年まで東京大学総長をつとめた学者です。

プロフィールの詳細はウィキペディアをご覧ください。

 

内村鑑三の信仰は、一言にして言えば正統的すなわち聖書的であった。彼はキリストの神性を信じ、処女懐胎を信じ、十字架上の贖罪を信じ、奇蹟を信じ、再臨を信じた。・・・中略・・・聖書のことばに一点を加えず、一画を減ぜざるものであった」(「内村鑑三とともに」より引用)

 

f:id:hoshishusaku:20170727144430j:image

 

真理は簡単である。真理を簡単に生きよ。そこに人生の力と美がある。枝葉末節に捕らわれて右顧左眄(うこさべん)するは、頭脳がよさそうに見えて実は愚者である。良心的に見えて実は不信仰である。少しく読みて大きく考えよ。少しく考えて深く信ぜよ」(「聖書講義第六巻・詩篇」より引用)

 
f:id:hoshishusaku:20170727144442j:image

 

真理とは、神のことば、イエス・キリストのことばです。

そして、この「ことば」とは聖書です。

 

内村鑑三の聖書に対する姿勢「聖書のことばに一点を加えず、一画を減ぜざるものであった」ということが、真理に生きるということではないでしょうか。

 

枝葉末節に捕らわれて右顧左眄して聖書の真理から遠ざかることのないようにしたいものです。

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

消えた一日

アメリカのインディアナ州で発行された新聞『勝利の生活』に、「どうしたら消えた一日を見つけることができるか」というタイトルの記事が掲載されました。

1960年代の始め、NASAではアメリカ大統領の命令により、月に人間を着陸させるための研究が盛んに行われていました。

その計画が実行されたのは、メリーランド州のグリーンベルトにあるゴダード宇宙飛行センターでした。

そして、何年にもわたって、マーキュリー宇宙計画、ジェミニ宇宙計画が進められていました。

月に着陸する時間を計算するために、未来の時間を計測することのできる統計資料が必要となりました。

宇宙科学者は今から100年後、または1000年後の太陽と月、また星の位置を知るために、徹底した計算をしなければなりませんでした。

それまでに発見されている小惑星や遊星の軌道を計算し、人口衛星を打ち上げた時にそれらがぶつからないようにするためでした。

人口衛星の軌道が一つ一つきちんと計算されていなければ、それこそ新しい宇宙の交通地獄が発生してしまいます。

しかしある日、科学者たちが正確な時間を測定するために過去から未来までの時間を細かく区切ってコンピュータを作動させていた時、突然、機械が止まってしまったのです。

時折、コンピュータに入力した資料に問題があったり、出力された結果がほかの値と大きな誤差がある場合、このように機械が止まることがあります。

技術スタッフが集まり、問題は何か検討しました。

コンピュータ技術者が言いました。

「コンピュータ自体には何の問題もなく、すべてが正常です。しかし、コンピュータの資料によると、過去のどこかで、24時間がなくなっていると出ているのです」

全員で資料を再検討し、もう一度入力してみましたが、結果は同じでした。

論理的な説明や解答を、少しも見つけることができません。

みんなが困り果てている時、クリスチャンである科学者の一人がこう言いました。

「私が日曜学校に通っていたころ聞いた話なんですが、昔の旧約聖書の時代に太陽が一日止まったと言うんです」

みんな半信半疑でしたが、ほかの解決策がなかったため、一度聖書の内容を確認してみることにしました。

彼が聖書を持ってきて、旧約聖書ヨシュア記を開きました。

そこにはヨシュアがエモリ人の王たちと戦う場面があります。

 

旧約聖書ヨシュア記10:12~13  
f:id:hoshishusaku:20170722143257j:image

クリスチャンである科学者は、聖書に出てきた事件を参考に、もう一度計算してみようと提案しました。

彼の言葉通りコンピュータで再計算してみると、だいたい同じぐらいの時間がはじき出されました。

ヨシュア記で太陽が止まっていた時間は23時間20分でした。

しかしまだ説明できない40分が残っていました。

聖書をもう一度探してみると、太陽が一日中止まったのではなく、「一日ほど出て来ることを急がなかった」とあります。

しかしそれで問題が解決した訳ではありません。

軌道計算をする時には、40分という時間はとても大切なのです。

みんなが頭を抱えていましたが、その時クリスチャンの科学者が、聖書の別の箇所に太陽が後ろに進んだという事件があることを思い出しました。

その部分は列王記です。

 

旧約聖書・列王記第二20:8~11

f:id:hoshishusaku:20170722143322j:image

10度とは、正確には40分を意味しました。

ヨシュアの時代に23時間20分、ヒゼキヤの時代に40分、これらを合わせると、宇宙科学者たちが説明できなかった消えた一日を、正確に説明することができました。

彼らは皆半信半疑でしたが、消えた一日をこうして聖書の中で奇跡的に見つけたのです(ジョン・クゥアン著「I LOVE 聖書」より引用


f:id:hoshishusaku:20170722144821j:image

 

30年ほど前に読んだ三浦綾子著「聖書に見る人間の罪」の中に上記と同じ内容の話が書かれていました。


f:id:hoshishusaku:20170722145221j:image

天地万物を創造した神です。

 

宇宙を支配されている神にとって太陽を一日止めることも不思議なことではないのです。

 

神の辞書に不可能の文字はありません。

 

新約聖書ルカによる福音書1:37
f:id:hoshishusaku:20170722143334j:image

 

 下記の過去ブログを未読の方は、こちらもご覧ください。

写真部分をクリックしてください。

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image

ヨセフスのいわゆるキリスト証言

 

フラウィウス・ヨセフスは、ユダヤの歴史家です。

ヨセフスのいわゆるキリスト証言」が書かれている「ユダヤ古代誌」の著者です。


f:id:hoshishusaku:20170610075447j:image

 

ちくま学芸文庫ユダヤ古代誌」の訳者(秦剛平)前書きを以下引用します。

少し読みづらいとは思いますが、ぜひ、お読みください。

f:id:hoshishusaku:20170610075243j:image
f:id:hoshishusaku:20170610075254j:image

 

ちくま学芸文庫ユダヤ古代誌」「ヨセフスのいわゆるキリスト証言」以下引用。

これも、少し読みづらいとは思いますが、ぜひ、お読みください。 

f:id:hoshishusaku:20170610075306j:image

 

エスが十字架上で刑死したのは紀元30年頃ですが、ヨセフスが生まれたのは紀元37年頃だとされていますので、イエスときわめて近い時代を生きた人物であることを考えると、「ヨセフスのキリスト証言」は、イエス・キリストが架空の人間などではなく歴史上間違いなく存在したことの実在証明になるのではないでしょうか。

 

ヨセフスのプロフィールに興味のある方は、下記のウィキペディアでご確認ください。

↓ ↓ ここをクリック

フラウィウス・ヨセフス - Wikipedia

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

 

hoshishusaku.hatenablog.com

 

★私は、聖書に書かれている内容を、誰が読んでも明らかに比喩的な言葉を除き、字義通り理解した上で信じています。したがって、創造主である唯一の神の存在を確信し、イエスをキリスト(救い主)と認める者です。しかし、カトリック教会等のいずれの教会にも属していない無教会者です。あらゆる新興宗教のいずれの信者でもありません★

・創造主だけが神

・万物・人間を創造せずして神たる資格なし

・商売繁盛の神、龍神など「〇〇神」と「神」の文字をくっつけても、万物を創造せずして神たる資格なし

・釈迦が万物を創造した方なら、釈迦を神と崇めますが、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

親鸞日蓮など、人格が高潔であり尊敬できる方であっても、万物・人間を創造せずして拝む対象に非ず。

〈私の信条〉

盲目的ではなく根拠に基づき、キリスト・イエスを信じ尽くし、聖書を信じ尽くします。

★星周作(HN)本名:馬場忠博:馬場聖書研究室★

〈イエスを信じる者は永遠の命をもつ〉ヨハネによる福音書3:16)ことを私は確信します。
f:id:hoshishusaku:20170608074434j:image